モミジのごとく

香取 淳

第1話 プロローグ

 傾斜して曲がりくねったニュータウン大橋、その歩道を高みまで登ると前方に視界が開けた。長い橋を渡った先は緩やかな下り坂で、銀杏並木が黄金色に煌めいている。とりわけ、“花の丘公園“に沿った木々が色濃く染まり、中には黄葉を散らし始めた樹木もある。


 坂下の交差点を渡り、公園内に足を踏み入れる。小高い左手の丘にイベントホールや事務所が連なり、右側の低地にくさび形の大きな池が現れた。その池に沿って、キヨシは小径をゆっくり降りる。

 水面の先は深緑の杉を背景に、ならは黄色に、背の低いかえでは赤い塊になっていた。しばらく水辺に沿って進み、楔の先端で右折すると、眼の前に広大な芝生とそれを取り巻く葉の薄い木立が広がった。

 そこから小径は水辺を離れて、広場の中に入ってゆく。枯れかけた芝生の遥か前方に数本の赤い木立が見える。楓かそれに類した樹木が、互にその鮮やかさを競っているようである。

 彼は重いリュックを背負い直して、赤や黄に彩られた公園をぐるりと見回した。


――この見事な色彩は、一体何処からくるのか?


 その答えは銀杏や楓の本来の色、それまでは濃い緑に覆い隠されていた葉の色。その証拠に、芽吹いたばかりの楓の葉は、くすんだ紅色をしている。

 その若葉に葉緑素が宿り、光に水と炭酸ガスを取り込み、糖質―デンプンや繊維―を創り出す。中学か高校で誰もが習う生物の知識であるが、その糖質産生の源とも言える葉緑素が、本来の葉の色を包み隠していたためである。


 そこまで考えたとき、キヨシの脳裏に何かが閃いた。それは、彼自身がこれまで歩んできた半生と何処か似ている。懸命に自分を抑え、押し殺すことが多かった己の生きざまと妙に重なり合う。

 緑一色に染まった青葉は、フルタイムで必死に働いていたときの自分。何よりも仕事が大事、会社が大事と生きてきた姿に似ている。そして、赤や黄に染まったモミジは、定年後の、自分自身に立ち返ったときの己の姿・・・。

 そう思うと、キヨシは眼の前のモミジに、これまで味わったことのない親しみを感じて、広い芝生の真ん中に立ち尽くした。


 ――春から夏、そして秋口へと働き詰めであったモミジたちよ、陽光に煌めくあざやかな姿を大いに誇示するがいい。これまでは緑一色に身を染めて、ひたすら糖質を創り続けてきた。しかし、その作業はもうお仕舞い。これまでは懸命に取り込んできた陽の光を、今度は存分に撥ね返して、自分自身の好きな色に思い切り輝くがいい……。


 そんな思いに駆られながら、彼は時が経つのを忘れていた。しかし、広場を取り囲む樹木の中には、すでに葉を落としたものもある。たとえば池の近くに立ち並ぶ桜の若木は、灰色の幹や枝だけになっている。

 そして、眼の前の鮮やかなモミジたちも、すぐに鮮やかな葉を散らして土に還ってゆく。残された時間はきわめて短く、“そのとき“は否応なしにやってくる。


 モミジと同化していた彼の思いは、次にやって来る落葉、人であれば“終焉“のときに及んできた。


 人が死ぬこととなればモミジを愛でているほど暢気な話ではなくなる。たちまち恐怖や不安、苦しみといった忌まわしい思いが押し寄せてきた。

 しかし、何処かがおかしい。人が生まれ、成長して目いっぱい働き、やがて年老いてリタイア、そして老後という時期を過ごして死に至る。

 春に芽吹いた若葉が緑を濃くして、デンプンなどをいっぱい造り出し、やがて色づき散ってゆく。この二つの事柄は動物と植物の違いはあっても、自然の摂理としてほぼ同じこと。単なる自然の営みに過ぎないのではないか……。


 そう思った彼は、“いたずらに死を忌み嫌うのはもう止めよう“と心に誓った。


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