第64話 歩み寄り
「ただいま」
「あら、お帰り」
平日の夕方。その日は珍しくお父さんが帰ってきた。
「すぐに出るよ。着替えを取りに来ただけだから」
疲れ切った顔色が変わることはない。どちらかと言えば悪くなっているような気がする。
「どうかしたか? 学院は楽しいか?」
「……う、うん」
黙って見つめていた僕に、お父さんが声をかけた。
「ついておいで」
お父さんは僕の肩に手を置くと、背中を押すように寝室へと促した。
「ほらほら、何でも話すといい」
寝室で二人っきり。お父さんはクローゼットを開けて仕事に行く準備を始めた。
「ちゃんと休んでる?」
「そうだなー。今は忙しいから、あまり休めてはいないかな」
お父さんはそれが当たり前だとでも言うように、手を止めることも振り返ることもなかった。こうして僕と話そうと時間を用意してくれるが、それがただでさえ忙しいお父さんの、さらなる負担になってはいないだろうか。
「サイラスの方はどうだ?」
「…………」
着替えの準備をしているお父さんの横で、僕は黙って立っていた。面と向かって話すとなるとお父さんの方がずっと心配になるが、今は自分のことについても不安なことが多かった。それを話してもいいものか、正直なところ分からない。
「お母さんが病院に迎えに行った時のことか? 大変だったんだってな」
「……知ってたんだ」
「ああ、さすがにな」
僕はその日あったこと、ラヴィボンドさんが日本に行くことを話した。カフェの人たちのことやお母さんとのことは黙ったまま。
「その人は、あちら側の世界に行くんだね」
「うん」
その事実はもう受け止めているけれど、寂しさが無くなることはない。
「いつ向こうに行くって?」
「明後日のお昼だって」
「土曜日か……。時間を調節して会いに行けるようにするよ。サイラスもちゃんと準備しておきな」
「えっ?」
「行く前に挨拶したいだろ? 仕事の管轄内だから、ある程度融通もきかせてもらえるだろう」
「お父さんの仕事?」
「言ってなかったか?」
僕はコクコクと頷いた。これまで表面上でしか話したことがなかったから、お父さんがいつも何をしているのかなんて知らないことが当たり前だった。
「それじゃあ、この街に隣接するようにある湖は覚えているか? あの湖があちら側とこちら側、二つの世界を繋ぐゲートだってことも知らないのか?」
「初めて聞いた」
「そうか……。教えたことがなかったんだな」
お父さんは作業の手を止めて、僕の頭に手を置いた。
「土曜日、必ず休みを貰うから。そこでお父さんの仕事も教えよう。期待しておけよ」
「うん」
「もう仕事に戻らないと。……夜も遅いからもう寝なよ。体を冷やさないように」
僕は玄関に向かったお父さんの後ろをついていった。服を詰め替えただけで、お父さんが家にいた時間は一時間もなかった。
「疲れているのに……ありがとう」
「親に気を遣うな。言いたいことはもっと気軽に言うこと」
「分かった」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
最後に笑顔をみせて、お父さんは仕事に向かった。
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