第62話 行く年、来る年

「本当に私とでよかったのかい?」


「はい。今日はラヴィボンドさんと過ごせる最初で最後の年越しですから」


 週末になってもお父さんが家に帰ってこなくなった今、家にいれば必然的にお母さんと二人きりの状況になる。こんな日までそんな嫌な時間を過ごしたくはなかったから、今日はラヴィボンドさんのところに泊まると事前に伝えていた。


「こうして年末をサイラス君と過ごせるだなんて、私は幸せ者だね」


「いえ、ラヴィボンドさんを独り占めしている僕の方が贅沢すぎるんです」


 ラヴィボンドさんの研究室。彼は器用に緑茶を準備して、物で溢れた部屋の中で僕たちは今までのことを話し込んだ。


 初めて出会った日に箱庭で交わした会話。依頼で巡った学院の中の不思議な場所。魔術ができないことの悩みを打ち明けて、初めて作ることができたエトワールのこと。お祭りを二人で廻ったこと。ノーマンさんとアスさんのこと。リアンさんの研究について。あの日の出来事を話すと今でも心がぎゅっと縮むけど、それでも細かなところまで考えながら話すことができた。


「そういえば家の中を案内していなかったね」


「家の案内?」


 ラヴィボンドさんは少し悪戯そうな笑みを浮かべて足元を指さした。


「この部屋は私の研究室だけど、私が住んでいる家の一室を学院の廊下に繋げてもらった状態なんだ」


 床下の扉を持ち上げる。それは言われないと気づかないほど周りの床板と同化していて、扉の先には梯子が下がっていた。


「きゅん!」


「ちょっと、待って!」


 さっきまで僕らの足元をウロチョロしていたスミが、お先にと梯子を駆け下りていく。下の部屋はまだ暗いから、その姿は途中から見えなくなった。


「まあ、危険なものはないはずだから問題ないよ。私が先に降りるね」


 梯子を下りたラヴィボンドさんの髪が光る。彼が光の筋から離れてしばらく、下の部屋の明かりがついた。


「サイラス君、気をつけて降りておいで」


 その言葉を受けて、僕も梯子に足を下ろした。一段一段が大きい梯子は、足場を確認しながら降りなければ踏み外してしまいそうだった。


「スミは他の部屋に行ってしまったみたいだね」


 僕が床に足をついてすぐ、ラヴボンドさんは部屋の扉の前で告げた。何も置かれていない部屋に、スミが隠れられそうな物陰はない。


「ついでだし、迷子を捜しに行こうか」


「はい!」


 廊下向かいの部屋には扉がなく、広いスペースに埃被ったキッチンとテーブルが並べられていた。いくつかの戸を開けてもその中にスミが入った形跡はなく、この場所には来ていないみたいだった。


「いないみたいだね。次はどこに行こうか?」


「えーっと」


 廊下の片側には階段があり、その下に部屋がある。反対側にも部屋が一つと玄関があるようだった。とりあえず階段とは反対側の部屋を調べたが、最初から扉も空いていなかったし、部屋に入った様子もなかった。


「一階はあと階段下くらいですね」


 その言葉に従って階段下の扉を開けたが、そこはシャワー室に繋がっていてスミの姿は見当たらなかった。


「きゅっきゅきゅ―」


 スミの鳴き声とトコトコと軽い足音が、上の階から聞こえてきた。


「行きましょう!」


 部屋を出て階段を上がるが、スミはどこかの部屋に入ってしまったようだ。


「二階の半分はバルコニーになっているからね。入れる部屋は研究室を除いて二つ」


 僕は階段のすぐそばにある扉を開けた。物がたくさん置かれた部屋は、ラヴィボンドさんの研究室によく似ている。


「ここは物置だったね。この中を探すのは、さすがに骨が折れそうだ」


「スーミー!」


 僕は大きな声で名前を呼んだ。スミならきっと、返事をくれると思ったから。


「きゅっきゅー!」


 その声は部屋の外から。僕の声に合わせるように聞こえた大きな鳴き声を辿って、僕たちはバルコニーに出た。雲で覆われた空はもう暗く、風が強く吹いていた。


「きゅん」


 そこにいたスミが飛びついてきた。散々遊びまわってもまだ遊び足りていないようで、体を擦り付けては僕の手から逃げるようにひるがえした。


「天気が悪いね。どうせなら月を見ながら年越しでもと思ったんだけど」


「ちょっと強いけど、でも風が気持ちいいですよ」


「そうだね。でも体が冷えちゃうから」


 僕はスミを捕まえて抱え上げた。


「ココアでも入れようか。もうすぐ新しい年が来る」


「はい!」


 静かな夜。二人と一匹で迎える新しい年。これから進む道は分かれているとしても、これまでの思い出や今日の記憶が僕たちを強く結びつける。この時間が彼にとっても幸せな記憶として残るように、そんなことを願いながら、僕たちは互いに笑いあった。

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