第19話 相棒の声

「それで、ボクは二人のこと聞きたいよね?」


 話を切り出せない僕にマスターさんは助け舟を出してくれた。今目の前で何が起きたのか。この男の人は誰なのか。


「……そうだな。話しておくべきか」


 あまり乗り気でないノーマンさんは、掻い摘むように教えてくれた。


 ノーマンさんは変異者だった——


 変異者とは、魔術などで体に不可逆的変化が現れた人のこと。それは行き過ぎた実験や魔術の誤った使い方などで起こった。


 かつて変異者は未熟な証だとか名誉の勲章だとか言われていたが、現代ではただの怪物でしかない。人として生きることのできない中途半端な生き物を、人間は人と呼ばなかった。共に生きる生き物として認めることができなかった。


 賢者は変異者が生まれないように、監視の目を怠らない。特に新たな魔術の領域へと踏み込む研究者のリスクは高く、彼らへの取り締まりは厳しかった。それでも毎年、誰かがその手から零れ落ちていた。

 

「俺の体は八十七羽の烏で構成されている。大抵は今の姿で過ごしているが、さっきみたいなことがあると、つい体が分裂してしまう。防衛本能みたいなものだ」


 ノーマンさんは賢者の手から零れ落ちた。あの大量の烏や真っ黒い影もまた、ノーマンさんの姿だった。


「俺の中にはいつも八十七羽の意識があって、分裂したときは一番大きな一羽の中に俺の意識がある」


「……混乱はしないの?」


 ふっと笑うノーマンさんの瞳は優しげだった。


「この体になってだいぶ経つからな。流石にもう慣れた」


 彼の言葉には、その苦労が滲み出ていた。辛そうなその様子には掛ける言葉が見つからない。


「どうして変異者なんかになったのかな?」


 そんなことなどお構いなしというように、ニコニコとマスターさんが笑う。


「その話なら何度もしたはずだが」


「でもボクは知らないでしょ?」


 話しに出されたことが少し申し訳なくて、僕はジッと手元を見つめた。今ノーマンさんの方を見れば、目が合ってしまう。そうなってしまえば彼は、嫌でも話すことになるのだろう。


「……そうだな」


 目を合わせることも何か返事をすることもなく、彼が話してくれることになった。その事実に、僕は少しだけホッとしていた。


 それは研究者になって間もない頃、俺は飼っていた烏の相棒と研究室で暮らしていた。研究室にあるのは必要最低限の設備だけ。狭い部屋で碌に羽根を伸ばせない相棒のために、外へ散歩することが俺たちの習慣だった。


「たまには別の場所へ行こう」


 その日はなんだか気分が乗って、知らない場所を求めて研究室の窓から飛び出した。俺の研究室があったのはとあるアパートの二階。窓のすぐ横にあるパイプを使って地面まで下り、相棒と共に町の中を歩いた。


 相棒の存在は珍しく、通りを歩いている人に視線を貰う。俺たちにとってそれはよくあることなので、特に気にせずにブラブラと彷徨った。そうして町の郊外まで出て、見つけた草原が相棒のお気に入りになった。


 草原には心地よい風が流れ、見晴らしも良い。相棒はゆったりと風に身を任せて飛び、俺はよく考え事をするようになった。研究のことだったり相棒のことだったり腐れ縁のような人間のことだったり、それは他愛もない日常の一部だった。


 草原へ出かけるようになって数ヶ月、草原でくつろいでいた俺は地元の住人に話しかけられた。


「最近カラスが増えているんだ。夜はうるさいし街を荒らし始めている。お前が原因だろうからどうにかしろ」


 それはここの住人の苦情だった。その時見かける烏はおらず、今までそんな問題が起こったこともない。


「それは何かの間違いではないでしょうか? こんなこと今まで――」


「間違いなわけがないだろう!」


 相棒は群れることを嫌っている。特に不満がない限りは鳴かない相棒が、他の仲間を呼ぶことなんて考えにくいことだった。それでも長年付き添った仲だから、俺がそう思いたいだけなのかもしれない。


「すみません……」


 どちらにしろこの人は、俺の言葉に聞く耳を持ってはくれない。俺はそそくさと相棒を呼び戻してその場を後にした。


 苦情を言われた場所をまた訪れる勇気はなかった。その原因が俺たちにないことを証明することはできない。どちらかと言えば、その原因は俺たちである可能性が高いのは事実だった。


 俺が散歩に出る回数は少なくなった。昔訪れていた場所に足をのばすが、相棒はどうにも満足できないようだった。研究室で鳴き声を上げては、その恋しそうな顔を無視することしかできない。俺は気にしないようにと耐えてきたが、次第に食事をしなくなる相棒を放ってはおけなかった。


 俺は久々にあの草原へと向かった。苦情を言われて随分と時間が経っている。一度だけならば問題はないだろう。


 この判断が間違いだった。


 草原には点々と黒い生き物がいた。聞き慣れた鳴き声があちらこちらから聞こえ、それは騒音と呼んでいいほどだった。俺は草原の入口で固まっていた。相棒も俺の肩から離れず、顔に身を寄せるようにしてその景色を見ていた。


「いたぞ!」


 俺の姿を見かけたのだろう、突っ立ったままの俺たちの元へ住人たちが集まってきた。その殺気立った様子に、相棒は怯えてバサバサと暴れだした。相棒がこんなにも騒ぐことは滅多になく、住人たちも警戒して一定の距離を保って俺たちを囲んだ。


「どうしてくれるんだ」


 すでに怒りが溜まっているらしく、住人たちは口々に文句を言い始めた。


「すみません。……どうにかします」


 住人と相棒に挟まれて、俺はその場を離れることしか考えられなかった。相棒にストレスを与えてしまった。住人たちからは追い立てられて、もう逃げることはできない。どうすればいいのかもう分らなくて、相棒を連れて少し歩いた。


 住人と離れたことで相棒も落ち着いて、俺もゆっくり状況を確認できるようになった。目の前の烏たちは人間に慣れてしまっているようで、こちらを無視してのんびりと過ごしている。住民たちは先ほどの場所から動かずに俺たちをジッと監視している。


 どうにかすると言ってしまった。その方法なんて考えていなかったし、こうなることさえ考え

っていなかった。この場に留まっている烏が、住人の迷惑になっている。追い出すとしても、相手は相棒と同じ烏だ。傷つけるような真似だけはしたくない。


「なあ、お前からなんか言ってくれねえか?」


「カー」


「傷つけたくはないんだよな」


「カー」


「どうしたらいいと思う?」


「カー。カー」


 相槌のように答えてくれるが、その返事の意味は分からない。いつもは俺が励ましてほしい時だとか肯定してほしい時、叱責してほしい時に話しかけるから、その内容なんてどうでも良かった。答えてくれるだけで、俺の心は落ち着いた。


「そうだな……。話してみるのもいいか」


 途中で思い浮かんだ魔術は、研究で利用できないかと考えていたものだった。それは複雑で難易度が高く、簡単に実行できるものではない。だがそれ以外に、この状況を好転させるものなんて思い浮かばない。


「カー」


 その返事は俺の背中を押してくれた。俺の考えに賛同してくれたような気がした。


「試してみるか」


「カッカ―」


 相棒の声は心地が良い。それを聞けばどんな場所でも、いつもの日常の中にいるような気になる。俺はゆったりと周りを見渡して、烏たちが集まっている場所のちょうど中心にあたる場所まで移動した。


 近くにいた烏を追い払って、俺は足元の草を焼いた。小さな円形の灰と土に、烏たちも少し距離を取る。相棒だけは離れずに、俺の肩に止まっていた。その頭を撫でて、俺は記憶を思い起こした。


 ザッザッと土を避けるようにして魔術式を刻む。既に何度か挑戦していたおかげで、式を正確に示すことができた。後は俺の魔力の扱い次第。俺は式の中心で胡座をかいた。


「カー」


「大丈夫だ」


 烏たちがすぐ近くへと集まってきていた。既に人間に対する警戒のない烏たちは、俺の見慣れない行動への興味をあからさまに態度で示す。


 相棒を膝の上へと移動させ、背中を撫でた。俺は集まった烏たちに話しかけた。


「ごめんな、巻き込んじまって。少し話をしよう」


 ゆっくり息を吐いて、式に沿って魔力を流し込む。あらゆる生物間の意思疎通を補助する魔術。人と同じくらいの知能を持つ烏だからこそ、対話から得られるものは大きいはずだ。


 魔術式が緑色に輝く。揺れる光の狭間から、青色の光が垣間見えた。


 何かおかしい。


 純粋な魔術にこの色は含まれなかったはず。緑色の光を取り込むように、俺たちを囲むのは鮮やかな青色のカーテンとなった。


 魔術に失敗した。式の複雑に絡み合った魔術は、その効果を不明瞭化する。もう止まらない。何が起こるかも分からない。


「すまない」


 俺は相棒へと手を伸ばした。


 目の前が暗かった。空間の上下感覚がなかった。耳元で人の声が溢れた。


「お腹が空いた」


「ここはどこ?」


「体が動かないぞ」


「あの子はどこに行ったの」


「変な匂い」


「何も見えないよ」


 ゆっくりと目を開いた。青空と住人たちの顔が歪んで見える。体を動かしていないのに息が苦しくて、全身から汗が吹き出す。住人たちが何やらわめいているようだった。ただ何を言っているのかはよく分からなくて、俺の耳に届く言葉とは別ものである気がした。


「相棒はどこだ……。烏たちは……」


 無理に起き上がろうとすると視界が回り、吐気がこみ上げる。そこに相棒の姿はない。返事さえも聞こえない。俺は意識を手放した。


 意識がはっきりし始めたのは、それから一週間以上経ってからだった。俺は研究室のベッドで寝ていて、傍には一人の賢者がいた。未だに多くの声が響き、その言葉にまとまりはない。俺がそれに疲れきり、気を失うように休むことしかできなかった。


「落ち着いてきたようなので、あなたの身に何が起こったのか説明しましょう」


 うるさい頭の中でかろうじて聞こえる賢者の話は到底理解できるものではなかった。俺が魔術を発動した時、相棒以外に八十六羽の烏がいたらしい。そして失敗した魔術は、俺とその場にいた烏たちの魂を繋ぎ、混ぜ合わせてしまった。今の俺は、八十七羽の烏と魂を同化させた状態にあるということだった。


「そんなこと……できるはずがない……」


 聞いたこともない魔術。これまで人間が到達しなかった領域。魂を同化させるだなんて馬鹿みたいだ。


「魔術でなら何でもできてしまうんです。だから魔術は規制され、管理しなければならないのです」


 その言葉は俺の心に刺さった。涙が流れる。俺は本当にそんな魔術を発動させてしまったのか。その言葉が賢者からのものでなければ、絶対に信じはしなかっただろうに。


「あなたの頭に響いている声は、同化した烏たちの意思です。八十七もの意思が同時に存在する状況は不安定で、それから身を守るためにあなたは今まで眠っていたということです」


「相棒は……」


 答えは分かっているというのに、聞かずにはいられなかった。その答えを知ってしまったら立ち直れないと分かっているのに。


「残念ですがあなたと共にいた烏も、あなたの魂へと同化しました」


「…………」


 俺は何も返せなかった。ただ黙って、この事実を受け入れようとすることしかできなかった。頭の中ではいまだに多くの声が響いている。その中に、相棒の声があるのかもしれない。じっと耳を傾けても、それを見つけることはできなかった。




 俺がしたことは魔術における禁忌に当たる。式が間違っていたのだろうか。魔力の流し方が違ったのかもしれない。大元の文献は信用できるものだったはずだ。他に条件があったのか。


 そんな思考は、研究者として正しいものなのだろう。失敗を見つめ直し、成功のために正していく。しかしそれは、俺にとって地獄でしかなかった。俺のせいで相棒はいなくなった。俺のせいで八十六羽の烏が巻き込まれた。その烏たちから、たった一人の相棒さえ見分けることができない。


 頭の中で溢れる声が、ずっと俺を責めているように思えた。

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