賢者は一日にして成らず
雪鼠
第1章 闇に慣れた瞳なら、小さな光でも拾うことができる
始まり
森で囀る鯨の声が 恵みを分け与え
空で遊ぶ鼠の飛跡が 未来を輝かせる
海で揺蕩う羊の瞑想が 願いを包み込み
砂漠で微睡む鶏の吐息が 心を奮い立たせる
人々は声を上げた
紡がれる旋律が 世界を満たす
まだ夜は明けない
人々は舞い遊んだ
付き従う風が 世界中を巡る
まだ夜は明けない
人々は手を結んだ
結ばれた輪が 世界を繋ぐ
まだ夜は明けない
人々は瞼を閉じた
流離う夢が 世界を創る
もう夜が明ける
それは新たな世界の始まり
地平線と水平線
光だけが満ちた世界に
一つ また 一つと影が立つ
茜色の中心の煌々と燃えた標へ背を向けて
私は今ここにいる
あなたは今 何処かに立ってくれていますか
古代の詩人が、ある景色を前に詠んだとされる歌。美しい言葉で綴られたそれは、希望と絶望が表裏一体であることを物語る。そしてその光景は、近い未来にまた現実となるだろう。
荒れ果てた世界――
広大な絶望の渦のはるか上空。地上の騒乱がまるで嘘であるかのように、世界から切り取られた場所で大粒の涙を流す一人の少年がいる。口を大きく開き、全身を床に叩きつけるかのように声を吐いている。その彼の叫びが、私の耳に届くことはない。
苦しいのだろう。辛いのだろう。
だが私は彼に決断を求める。彼が私の願いを断らないと知っていながら、私は選択肢を与え命令を下しはしない。現実に起きている光景にもそれに対する彼の行動にも、その責任を彼自身に負わせた。行動するもしないも、彼自身の自由だと謳って。
守り続けること、救い続けること。それが私に課せられた役割。今回、その役割は彼の存在を利用することで達成される。しかし、それが今できる精一杯の手段であると分かっていても、どうしても認めたくはなかった。私が守らなければならない対象の中でただ一人、彼自身を守ることができないから……。
ならば彼を守り、救うことができるのかと問われれば、答えは否だ。だからといって彼を見捨てるのかと問われれば、私は何も言えなくなるだろう。それが、今の私に出せる答えだった。
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