食べたり、飲んだり

山村 草

ある店のラーメン


 その店は客の入らない店だった。


 元々そこは寿司屋だった。地方の回転寿司チェーンの店だったが、そこが潰れ中華料理屋になった。もう十五年は前の事だろうか。

 地方とは言え国道沿いにあって立地条件は悪くないはずだ。


 その頃から大して繁盛はしていなかった。

 だがその店はそれからしぶとく生き残り続けた。


 ある時、店の名前が変わった。


 またある時、焼き肉を始めた。中華料理屋が、である。


 また別のある時、また名前が変わった。


 またまたある時、またまた名前が変わった。


 コロコロと名前が変わる。その頃にはその店をなんて呼べばいいか分からなかった。今の名前を出しても通じないのである。前〇〇だった所、と言ってようやく通じる始末だ。


 店内は、というとそれこそ行く度にあれやこれやと変わって行った。テーブルの中央には焼き肉用の鉄板スペースが追加され、次に行った時にはそのスペースが同じ形をした板で蓋をされていた。おそらく芳しくない経営を何とかしようとテコ入れとして焼き肉を始めたのだろう。が、それも上手く行かず中華料理屋として具合のいいテーブルにしたという事だろう。その頃にも頼めば焼き肉を食べる事は出来た。だが焼き肉を食べる客はいなかった。そもそも他の客を見かける事が少なかった。


 テーブル以外は酷く雑だった。

 入り口の自動ドアはセンサーの感度が悪く手を近付けないと反応しない。

 エアコンから出る風は中華料理屋特有の脂臭さを纏っている。

 テーブル、椅子ともにベタベタしている。

 入店して真っ先に目に入るレジの前にある水槽は濁っている。それはやがて空になったが場所はそのままだった。

 テレビは古いブラウン管タイプの物にチューナーを付けて使っていた。

 そのテレビを眺める二人の子供は店主の子供だった。時に店内を走ったりもしていた。客一人に店主と子供二人、賑やかなのは勿論彼らの方だった。


 そして何よりも飯屋として最悪だったのは、トイレが汚い事だった。一度入った私はそれ以来その店で便意を催さないように調節しておいたものである。



 私はこの店が営業を続けている事が疑問だった。

 飯屋という物は客が入ってこそ続けられるものである。客があまり入らないなら潰れてしまうのが道理である。確かに料理人が変わった事があるような記憶があるがその辺りの事情は常連と言えるほど行っていないので良く分からない。私にとって一月、或いは二月に一度行く程度の店だった。

 そんな店が生き残っている。だから私はその店は所有者にとって開店し続ける事に意味があるのだと思っていた。単に空き店舗としておくよりもその店を営業する事で例えば節税になったりその土地の価値を維持するとかそんな裏事情があるのだろうと思っていた。実際すぐ隣にはコンビニとガソリンスタンドがありそのどちらも客入りは盛況だ。少なくともその土地は結構な価値があるはずだ。



 さて、肝心の味だが、大した事はなかった。

 当然である。大した味だったらもっと流行っていて名前を変えたり焼き肉を始めたりする事なく営業出来ただろう。

 それでも不味いとは思わなかった。良くある空き店舗を利用した中華料理チェーンと同じくらいか若干マシと言ったレベルだろう。


 ラーメンも同じだった。国道を挟んだ直ぐ側にあるラーメンチェーン店の物の方が美味かった。同じ市内にある人気のラーメン屋には及ばなかった。

 それでも、私は最終的に月に一度はその店に食べに行っていた。


 結局のところあのラーメンはジャンクフードのような物だったのだ。

 私がいつも頼んでいたのはチャーシュー麺の大盛りだった。普通のラーメン丼に大盛りの麺とスープを入れる物だから溢れそうになっていた。スープで麺をほぐすのも儘ならない。

 ラーメンの味はスープで決まる。この店のスープは五種類から選べた。醤油、味噌、塩、そして台湾ラーメンと台湾味噌ラーメンだった(と思う。最早記憶が定かではない。その理由は後述する)。塩は食べた記憶がない。食べた事はあるのかも知れないが印象にも記憶にも残らない味だったのだろう。味噌は一度か二度。それ以降頼まなかったのを思えば美味くはなかっただろう。良く頼んだのは醤油だった。魚介豚骨ベースの醤油味という事で濃厚でこってりとしていた。この点前出の二店に旨さの面で劣っているようには思えないが、美味さという意味ではやはりジャンクフードの様な雑味があった。少なくとも上品とは言えなかった。

 麺は中太麺でモチモチしていた。それがスープとよく合っていた。

 私にとって肝心のチャーシューは、これについてはその時々で味も量も変わった。チャーシューは前出の同じ市内の人気店がかなり個性的であったのでそこと比較すると明らかに劣っていた。柔らかさという点ではその店の国道を挟んだ所にある店とは別のもう一つの店のチャーシューの方が上だった。

 要は何の特徴もないチャーシュー。しかもある時は在庫が切れたのか豚バラ肉をただ焼いただけの物が乗っていた。焼豚としては間違ってはいないが、期待したほろほろに煮込まれたチャーシューとは程遠く、豚バラの脂身の放つ脂臭さで軽く気持ち悪くなったほどである。

 乗っている具材もその時々で変わった。もやしだったり、それを炒めた物だったり、そこにキャベツが混じっていたり。


 それでも私はそのジャンキーさが好きで度々その店を訪れた。


 ある時、私はちょっとした気まぐれで台湾ラーメンの大盛り肉盛り(元々この店にはチャーシュー麺はなく普通のラーメンに肉盛りオプションを付けて注文する)を頼んだ。醤油味に何となく物足りなさを感じたからだった。量ではなく味にである。

 元々極稀に辛い物が食べたくなる性分で、翌日に掛けて訪れる尻の辛痛が分かっていながらも食べる事があった。その欲求は麻婆豆腐丼などで満たしてきたのだが(この店の麻婆豆腐も数回食べた事がある。ぶつ切りの鷹の爪が容赦なく入っていた)この時不意にその欲求とラーメン欲求が合致したのだった。

 知らない人のために台湾ラーメンについて説明すると、ラーメンに挽肉を炒めた麻婆豆腐の豆腐の無いような物がトッピングされているのが台湾ラーメンである。名古屋を中心とした近隣地域のご当地メニューのような物だ。


 これが、旨かった。


 ただ辛いだけではない。辛さの中に旨味がある。浮かぶ脂に旨味がある。

 辛さに耐えつつ汗をかきながら麺を啜りスープを飲む。

 醤油味の物に感じていた物足りなさはこの挽肉によって埋められた。挽肉と一緒に炒められていたニラも良い風味を出していた。

 辛くこってり濃厚なスープに中太麺がまたよく合った。


 要するにラーメンのスープは旨味に溢れていれば美味いのである。

 だがこの店のスープのどこを探しても上品さは見つからなかった。どこまでもジャンキーなラーメンだった。


 初めて食べて以来、私は麻婆豆腐を食べなくなり代わりにこの店の台湾ラーメンを食べる事にした。最終的にはこれしか頼まなくなっていた。メニューはそこしか見ない。稀に気まぐれで唐揚げやチャーハンを頼むことはあったが、ラーメンは台湾ラーメンと決まっていた。だから他の味のラーメンについてはよく覚えていないのである。

 同じ市内の人気店とこの店、どちらかに月一回訪れる。そんな事を二年くらい続けていた。人に比べたら外食はしない方なのでこの店が私の外食習慣の半分を占めていた事になる。

 だがその店は流行っていなかった。



 そう、今思い出したのだがその店の店員さんに一人美人がいた。そもそも店主を含め日本人ではなくおそらく中国の方だった。店主の奥さんらしき人(混雑時にしかいないのかやがて見かける事はなくなった。それとも別の理由があったのかも知れない)ともう一人二十代後半くらいの女性、この方に若干惹かれるものを感じた事もあるが、いつの間にかいなくなった。おそらく祖国に帰ったか日本の別の土地で暮らしているのだろう。



 さて、話を本題に戻そう。

 ある時、この店の前を通り掛かると店先に物が置かれていた。店が開いているはずの時間にだ。家財道具が山積みになったような光景からそれらがおそらく店内の物であろう事、そして大きな変化が起こった事は分かった。

 それでも、また改装でもするのか? よくそんな金があるな、くらいにしか思わなかった。いつものテコ入れが始まったのだと。


 結局その店は別の店になった。隣の市にある台湾料理店のチェーン店のような店になった。

 再び開店したのでその店を訪れると中はすっかり綺麗になっていた。椅子やテーブルの位置は変わらなかったが以前よりも明るくなり雰囲気も良くなっていた。自動ドアも手をかざすことなくちゃんと開いた。


 店主は変わっていた。


 店員も元気で大きな声を出す女性に変わっていた。


 店内を走る子供はいなくなった。


 トイレがどうなったかは知らない。


 そして、ラーメンは、不味くなっていた。

 スープは以前の物よりも澄んでいた。それ単体で飲んだら中華スープとして美味そうな物だ。だがそのスープはごく太麺とは決定的に相性が合わなかった。せめて細く縮れた麺ならまだ良かったのに。


 何よりそのラーメンは以前私がその場所で食べたラーメンとは真逆の物だった。


 それでも、と色々と試してみた。

 どれも薄味で、上品さはある。何も味が濃ければいいというものではない。これはこれで有りなのだ。

 だが私がその場所に求めていたものはそんな物ではない。


 あの雑多なジャンクフードのような脂ぎったラーメン。


 それは食べられなくなって、そしてようやく恋しくなる味だった。



 時折ふとあのラーメンが食べたくなる。そして、あの店主と二人の子供達は今どうしているのだろうと考える。

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