適当な芸術論
前花しずく
第1話
芸術とは、すなわちコミュニケーションそのもの、もしくはそれに用いられる媒体である。
無論、芸術活動というものは基本一人で行うものであり、共同制作にしても周りからある種隔絶された状態で行うものであろう。それに異論はない。
しかし、社会や世間と全くの無縁に営まれる行為であるかと言えば、そうではない。他者から影響を受け、他者へと己の内をぶつけるために、人は芸術に打ち込むのであろう。
仮に外界というものが存在しなかったとして、我々は芸術を生み出しただろうか。否、生み出せないはずだ。他者がいない世界において、芸術はもはやなんの意味も持たないのだ。
文芸においては、読書や実体験という外からの接触に揺さぶられ、言語という媒体に自らを投じる。一見、孤独のように思われる読書一つとっても、それは媒体を通じたコミュニケーションであり、著者との対話であるのだ。仮に、作品を書いて人に見せなかったとしても、形があるのであればそれは立派な媒体として成立し、外界との繋がり足り得る。形にするとはそういうことだ。
授業内で「孤立するな、孤独になれ」という言葉が紹介された。孤立とは、第三者的に見た「事実」であり、孤独とは、主観的に見た「感情」であると言える。そう捉えた場合、この言葉は「仮に自分が一人であると思っていても、一人である事実は作るな」とも読み取れる。つまり、本人がどれだけ孤独を背負っていたとしても、周りから必ずしも断絶されてはならない。その際、孤独な自分と他者を繋ぎ止める一つの大きな媒体、それこそが芸術であり、それに打ち込むことは他者や外界とのコミュニケーションであるのだ。
よって、私は芸術においては、いかに外界との接点を持つかが重要であると考える。多数の他者と接触するのはもちろん、一人の著者、作品ととことん向き合うこともその例の一つである。そして、今度はそのキッカケを他者に与えるのが、我々芸術家の役割なのだ。
適当な芸術論 前花しずく @shizuku_maehana
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