揺れたい
地震が恐ろしい。
ただ、それは揺れることが恐ろしいだけではなく、自分たちが土台としている大地そのものが蠢いていて宇宙へ移住するという古典的未来を実現するための手法でもとらない限り、否、取ったところで科学者が自説として展開してきた「惑星」なるものに住んだ場合には結局足元の土台が揺れる現象である限り、逃れられないという絶望感にある。
だが、今、賢人と翡翠と神の絵と、招待客である翡翠の弟と、決して招いてはいないがこの部屋に辿り着いてきた五体の堕胎された魂ある胎児たちが、共に揺れているこの現象は大地の揺れではなかった。
それは賢人が翡翠の儀式の非現実性に耐え切れずせめてスマホでネットのテレビを接続したままにしておいたその画像になんの速報も流されないことからも明らかだった。
マンションのこの神の部屋だけが揺れている。
「揺れたいんだね」
翡翠が弟への抱擁を解いて四肢を真っ直ぐに伸ばして立ち上がった態勢で誰に向かって発したのか分からない言葉を残して賢人の方に歩いてきた。揺れの中でも体幹を全くブラさずに歩く姿勢に賢人はこの状況にもかかわらず惹かれてしまった。
だから、賢人は思わず口走ってしまった。
「俺と揺れたいのか」
隠語を暗示するかのごとき賢人のつぶやきにほぼ時間を置かずに翡翠が血の固まっていない右手首のスナップを使って賢人の左頬をはたいた。
「しっかりしなよ。正気でいないと死ぬよ」
翡翠の言動すべてが正気で無いと思っていた賢人はそれは自分の側の問題だったと気付けた。同時に冷静な質問が蘇った。
「揺れたい、というのは誰の意思だ?」
「わたしのお腹」
言うと翡翠は賢人を素通りしてキッチンのシンクに向かった。計算していたかのようなスムースな流れで右指を口腔の奥深くに突き込んで、吐いた。
えっえっと嗚咽のような音を立てて、この儀式のために前日から絶食していた翡翠は胃の内容物がないために胃液をすっ、と一筋排水口の真上に正確に滴らせた。それは酸だけを中心とした不純物の混じらないサラとした液体で清涼感すら賢人に与えた。賢人は揺れのために床への接地面積をできるだけ大きく取る座り方をしながら、だが翡翠の吐き方がとても冷静だったので安堵感を取り戻して質問を続けた。
「お腹、って柞原八幡宮の宮司さまが言ってたお腹の中にいるモノのことか」
「そう。お腹の中の子。ははっ」
子という表現を賢人はそのままの意味には当然取っていなかったが、この揺れが場を制していることだけは理解できた。本能的に。そしてあれだけ賢人に恐怖を与え続けていた翡翠の弟、そして胎児たちは、気がつくと消えていた。
翡翠が吐き終わると揺れも収まっていた。
「賢人。キッチン汚してごめんね」
締め切ったカーテンの隙間から、日が差し込んできていた。
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