煩い(うるさい)

「おサルさんが見たい」という翡翠のセリフに賢人はちょっとだけ微笑んでそれからアクセルを踏み込み、高崎山のサル山を目指した。


 連休中ということもあって大勢の観光客がおり、猿山でありながら人間が猿どもの見世物になっているような風景に賢人はいきなり疲れたが、翡翠は構わず賢人に話しかけてきた。


「母方の祖母はね、申年さるどしだったんだ。で、母親も申年、わたしも申年。3人揃って、見ざる・聞かざる・言わざるのポーズでさ。祖母の還暦に記念写真撮ったんだった」

「へえ・・・それ、どっかで聞いた話だな・・・あ」

「なに?」

「殺されたソイツが同じこと言ってたな。自分も申年でやっぱり身内の申年同士でポーズとって写真撮ったって」

「へえ・・・同期だよね? 賢人も申年?」

「いや。俺は早生まれだから」


 賢人は視線を感じた。

 翡翠も同様に感じているようだったが、彼女はもっと様々なものを瞬時に感じたらしかった。


「賢人! その傘貸して!」


 言葉より先に翡翠が賢人の持っていた傘を奪い取り、それを奇妙な態勢で構えた。賢人は中学時代に体育の寒稽古で剣道を履修しており、翡翠がショートパンツの大股を拡げてしゃがんでいる態勢を蹲踞というんだったと思い出していた。

 翡翠が蹲踞で低く構えながら傘は両手でしっかりと持ち、正面を見据えている姿しかまだ賢人の視界には入っていなかったが、周囲の人間の群衆と、猿どもの群れが双方同時に、わあっ! キイッ! と騒いでいる音が聞こえた時。


「キキキキキィイッツ!!」


 と吠えながら一匹の大ザルが翡翠に突進して来ていた。

 巨大な睾丸が視認できたのでオスだとわかったその猿は、突進のスピードを跳躍に変え、上から翡翠に攻撃を仕掛けた。同時の始動で翡翠は下から傘の尖った先端を、剣道の突きのように構え、


「死ねっ!」


 と下劣な気合いを入れながら、蹲踞の大股を瞬時に女性的な収縮ですぼめ、バネの力で、突いた。


 キェーン、と正確に喉を突かれた大ザルは地べたに落下し、両手で喉を抑えてのたうち回った。


「まだ死なないか! まだ死なないか!」


 翡翠は完全に立ち上がって今度は剣道の面のような打ち方で猿を上からメチャクチャに殴り下ろした。余りの一方的な攻撃に虐待の印象しか与えないおぞましさを見兼ねて賢人は翡翠を後ろから羽交い締めた。


「賢人、放せっ! ウチらがやられる!」

「やめろ、本当に死んでしまうぞ!」

「殺さなくてどうすんだよっ!」


 一瞬の攻撃の休止で回復した猿は、口をカッ、と開けて翡翠の頸動脈目掛けて噛みつきに来た。

 いや、そんなことはただ再度猿がジャンプしただけの時点で分かるわけが無かったが、賢人ははっきりと猿の殺意と攻撃方法の意思をまるで電波のように感じ取った。

 だから、賢人は翡翠から両腕を離した。


「死なんか! 馬鹿野郎!」


 怒鳴りながら翡翠は宙空の猿を、右バッターのフルスゥイングのようにして傘を猿の腹にめり込ませた。猿はやや後方に飛ばされて地面に仰向けに倒れた。


 死んだのは、ボス猿だった。

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