卑しい
賢人と翡翠は夕食を共にした。2人とも飲食店を紹介するSNSでマメに物色するという習慣がなく、日月の交わりのその間に虹を見た病院が立つ一級河川の淵から少し歩いた場所にある、美術館に併設されたレストランへ選択肢なく訪れた。
「いらっしゃいませ。お2人様ですか?」
「3人。ははっ」
店員が応対に迷っていると賢人が助けを差し伸べた。
「後から来ます。いや、遅れて来れないかもしれないので取り敢えず2人分の座席だけでいいです」
「はい。かしこまりました。ではご案内します」
賢人は出会ったその日の内にもかかわらず翡翠の反応をすでに受け入れており、いらぬ手間を店員に取らせないために自分から対応した。真白なクロスが几帳面に張られたテーブルに着くと翡翠はすぐに賢人を見て笑みを浮かべた。
「3人目、分かった?」
「神、なんだろ」
「あたり。ははっ」
賢人はこの感覚に嵌ってしまっている自分を救いようがないと感じ始めていた。事実自制で抜け出ることもできないし抜け出ようとしても森の大木の根元で子供の頃に見た、あるいは神社の縁の下のサラサラした日陰の冷えた砂に見たような蟻地獄にハマる蟻以外の虫たちのようになることを予感していた。そして自問自答した。
『これは恋なのか?』
「ねえ。奢ってくれるの?」
翡翠の無粋な質問に、だが賢人は大いなる安心感と満足感を抱きつつ答えた。
「ああ。もちろん」
賢人は意識せずにこう感じ始めていた。
これは俺の女だ。
絵も鑑賞せずに食事することを後ろめたく感じていた賢人はレストランの壁に吊るされた額に入った小作品と呼べそうな絵画やイラストを見つけて少しだけ罪滅ぼしになるような気分だった。
「翡翠は絵は?」
「宗教画なら日本のも海外のも興味ある。ううん。宗教画しか分からない」
「じゃあ昼間に『天照皇大神宮』って言ったのもああいう絵を見たことがあるからか?」
「そうそう。子供の頃からずっと見てた」
「どこで」
「家で」
「家?」
「実家が神社」
ああ、そうなのか、と賢人は一瞬だけ安堵したが次の瞬間に急降下させられるような気分になった。
「全焼して、祖父母と両親と弟が全員死んだ。ははっ」
語尾の『ははっ』に底知れぬ憂鬱さを感じながら、賢人は間違いなく自分のうつ病が今の答えで悪化しただろうと感じた。そして賢人はそれがうつ病の症状の一部かもしれないと自覚しながら、自分自身不思議な質問をした。
「絵はどうなった」
「アタシが持ち出して逃げた。今もアタシの部屋に飾ってる」
「神さまの絵をか」
「うん。なにかまずい?」
「翡翠の家ってどこなんだ」
「四畳半の畳敷きのアパート。西日がきつい部屋」
賢人は自分がフォローしている写真家の、スマホに保存してある天照大神が天岩戸から出て光を放つ絵を思い出しながら、そういうものが四畳半の部屋にどういう状態で保管されているのか知りたくてたまらなくなっているそういう衝動を抑えられなかった。何も考えられずに、目の前の創作フランス料理にフォークも触れずに訊いてしまっていた。
「部屋に行ってもいいか?」
「いいよ。ははっ」
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