操られた現界

霧中模糊

第1話 生贄

 闇の空白に彼女はいた。黒のドレスに身を包み、周囲と溶け込んだ彼女は悪魔的に美しく身震いする程の耳鳴りがする。


「お前だけが気づいた。それが罪だ」


 痺れる呼気に欲情するが、成熟しきれていない私には恐怖として伝わり、今すぐ逃げようと後退る。

 

 夢であれ。此処が辺獄ならば開放を。賢しいだけの私には、彼女は、辛すぎる。


 サディスティックでルナティック。しかし圧倒的な正当性を持つ彼女を前に、出来得る限りの恐怖を伝えようとする。


 両膝を地につき、泣き懇願し嗚咽し叫び怯え竦んだ。

 神の座を知った。



 朦朧とした意識の中、窓際に座る私は目を覚ました。

 ああ、夢か……。

 国語の授業は退屈で、クラスの中に意識のある人は少なかった。


 ゆっくりと上体を起こす。


 窓を少し開ける。


 ふと、流れ込んでくる匂いから今日が「天操祭」であることに気づいた。


 素晴らしい匂いだ……。


「ねぇ、この匂いなに?」

 隣の席の彼女が僕に話しかけてくるが、答えることができない。


 匂いにつられて、少しずつ動悸が早くなっていく。うたた寝をしていた生徒達が目を覚まし、目をゆっくりと開き始めた。瞳孔が開き始める。頬が上気し、涎を垂らす。


 毎年、「天操祭」では人を焼く。その匂いは空腹感を刺激し、意識を掻き乱す。この村ではごく普通の現象。

  ただ、僕は空腹感の中に少しの違和感を見つけた。


 ふと我に返り、彼女に答えを返す。

「君は大丈夫なの?」

「私の台詞だよ?」

 少し前にこの村に越してきたばかりの彼女だけが、平然としていた。

 

 国語の授業が終わると、すぐに校舎を抜け出し二人きりで校舎から離れた。


 あの場には居られない。曖昧模糊な日常を破り捨てた恐怖に打ち震えるならば、多少不思議に思われてでもあの場から離れるのが正解だ。


 歩きながら考える。生まれてからの常識を壊された。今まで通り、この村に従って生きていればこんな事は考えなくて済んだのに。


 何がトリガーになったのかは解らないが、この村の異常に僕だけが気づいてしまった。


「どうして私は匂いに空腹感を覚えないの?」

「きっと、この村の住民だけしかならないんだよ」

 其れは、彼女が空腹感を覚えない原因の答えにはなった。しかし、僕が違和感を見つけ空腹感から逃れられた理由付けにはならない。


 現実と常識の相違。わからない。


「で、どうするの?」


 混乱する思考に質問を重ねられ、酷い頭痛がする。彼女を見る


「まず、理解が追いついてない」

「でも、貴方は異常だと感じているんでしょ? これは、夢じゃないんだよ?」


 夢ね……。そういえば、夢を見ていた気がする。現実よりも静かでもっと背徳的な空間。彼女が……。彼女に似ている?いや、よく分からない。夢の中の彼女の顔は思い出せない。


「そう、夢じゃ無いんだ。だから、原因があるはずだ。この村だけがおかしい原因が」


そこまで言って、顔が引き攣る。恐怖心を押さえつけられる感覚。絶え間ない苦痛に、感覚が膿み爛れていく。潰された心から救世主妄想が膨らむ。自分に酔いしれる。


 自分であって、自分でない感覚。誰だ? 確実に誰かに意識が先導されている。


「原因は解らないが、天操祭が関わっているのは間違いない。儀式の正当性戦略だ。良いアイデアだか、そのアイデアはより良いアイデアで殺せる!今までをカタルシスにして楼上の神さまとステゴロだ!」


 自分が何を言っているのかがわからなくなっていく。


 彼女がこちらを向く。


「神さまって誰?本当にお祭りで祀られているのは神様?」


 そう言うと、興味と侮蔑のこもった底の無い闇の空白で塗られた黒目で僕を覗き込んだ。社会への背徳性のみで存在する彼女は、一変の曇りなく祀られている対象だ。生贄を求めて、人を狂わす。正常な思考は抑制され、克己心は変容する。


「君は誰なんだ!」


 今更遅かった!


 僕の記憶に転校生なんていない!


 空木な僕の抵抗は全く意味を持たない。初めから彼女に魅入られていて、自分に逃げ道なんて存在しないことを再確認するだけだった。

 村も僕も何もかも、彼女が作り変えた現実だった。


 常識的な習慣のお陰で全く気づかなかった。天操祭で焼かれる人を何処から調達していたのか。その祭りの最中に、毎年数人の行方不明者が出ていることに。


「僕はいつまで僕だったんだ!僕は僕じゃない!」


 人間の感情の中で最も古くて強烈なものは、未知なるものへの恐怖である。もし、それが正解ならば僕はこの機に及んで人間であれている。恐怖の死が僕の死だ。大丈夫。まだ、まだ、大丈夫。

 

 精緻かつ確信的な事実として、彼らは無知ゆえに崇めることをやめられない。容赦ない崇拝の対象は、神に成り代わり人を求める。


 闇の空白で染まった目をした「僕」は必然性をもって犠牲者になる。


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