第175話 面影

 背中の怪我の痛みも忘れ、ばねに弾かれたように体が前へ飛びす。大鎌が空を切る。相手は高く飛び上がりそれをかわす。着地すると今度は逆に回し蹴りを仕掛けてくる。直哉はとっさにのけぞり、目前を足が通り過ぎるのを見切ると、すぐに逆手に柄をもち三又の槍を胴体めがけ投げつける。シズィータは回転蹴りの勢いで、そのまま受け身を取るように床に体を転がしかわす。地面に刺さった槍はぱっと消え、再び直哉の手元に出現する。


 シェトはその隙に、まだわあわあ叫んでいる母親をこの空間のかなり遠い方へ石田もろとも引きずっていった。あのもう1つの声を辿るためだ。

 女性といえども酷く抵抗する力は、この痩せた体のどこから湧いてくるのかと思うほどだった。

 くぐもってはいるがさっきよりもはっきりと言葉として「助けて」と聞こえた。ガサガサという音もする。暗い中目を凝らし見回すと、金網のようなものがそびえたつのが見える。その向こうに何やら黄色らしき塊が見えた。もぞもぞと動く。袋の中に何か……?

 シェトはあの中に「正」が閉じ込められていると一瞬で悟った。何とかしなければ!




 シズィータは何の武器も持たないのに、大鎌を握る直哉の方がたびたび攻撃を受けた。脚や手がそのまま武器になっているようだ。体を容赦なく攻められ、その度苦悶の表情を浮かべる。精一杯の抵抗で大鎌を振り回しても、相手の服がようやく切れるだけで傷一筋も浮かばない。一方直哉の鼻からはだらだらと血が顎まで伝い、顔面も腫らしていた。

 どんなに急所を責めてもするりと抜けられ、こちらの体がどう動くか見透かされているように、的確に攻めてくる。その一打、一蹴の衝撃が体の奥へと入り込み全身を痺れさせ、四肢の自由を奪われるような感覚に陥る。衝撃に耐えるだけで精一杯だ。ついに倒れ込むと上からのしかかられ、左手だけでこちらの両手を抑えられてしまった。

 相手は馬乗りになると、抵抗できない直哉をにやりと笑いながら見つめる。その間も決して体の動きを止めない。連れて帰るなんて言うのは嘘で、本当は細胞だけ手に入れて殺されてしまうのではないかと感じた。


 じわじわと体の中を侵食するような痛みに息を止めるほど力む。血の味のする口内。できるだけ腕に力をこめ、自分の頭上で手錠のように抑えつけてくる手から逃れたいと必死で動かすもびくともせず、体を撥ねようと足を動かしてもむなしく空を切るだけだ。反撃が弱くなっても相手は執拗に、体を押さえつけて痛めつける。解放した時に自由が利かないよう、手首をひねられ、腹に膝を押し込まれ、その痛みに悲鳴を上げる。

 首を掴まれた。痛みと苦しみにあえぎ、身をよじり、少しでも酸素を取り込もうと必死で呼吸をしながら涙目で睨み返すことが精一杯の抵抗だった。いざというとき他人も自分も救えない役に立たない力……目がちかちかして思考が回らない……。



 数秒してぱっと手が離された。激しく咳き込みながら空気を取り込もうともがく。

「君はお母さんに逢いたくないの」

 シズィータの顔が目の前にある。こちらを見下ろしているが先ほどの狂気を感じる薄ら笑いはもうない。悲しそうな顔をしていた。

「ない!」

 咳き込みながらも直哉が叫んだ。肩で息をしながら反論する。再び右手が伸びてきた。また首を絞められるかと身構えたが、そっと直哉の頬に当てられただけだ。

「本当に、そっくりだ。君の目の色」

「やめろ!」

 こんな奴に母親を取られたくないという心理からか、思わず目を閉じ顔を背ける。

「生き返ったらまた周りに責められて苦しむんだ! 裏切り者だって言われて! それなら生き返らないほうがいい! 辛い思いさせたくない! 俺が生まれたせいで全部めちゃくちゃだ! お前は俺じゃなくて、母さんだけ手に入ればいいんだろ!」

「そんなことない」

 間を置かず否定された。

「あのとき、僕が彼女を帰さなかったら、僕らは家族として生きてこられたかもしれない。君だってあんな父親に見放されずに、君自身も親に歯向かう失敗作だなんていわれずに、彼女も辱めを受けることなく平穏に暮らせたはずなんだよ……なんで手を離した……」

 何があったのかは知らない。自分を許せないらしく言葉の端々に後悔をあふれさせながら話す。

「君だって平穏に暮らしたいだろ? 独りでなくて家族と。天界じゃ君の力は悪かもしれないけど、僕らの世界じゃ正しい力だ。自分に合わない世界で暮らそうなんて端から無理だ」

 目は真剣だった。左手は決して直哉の両手首を離さなかった。


「人間の世界で平穏に暮らしたいって思っているみたいだけど、周りは君を放っておいてくれるわけがないだろ。それに、自分の力を使えないことをもどかしく思っているじゃないか」

 見透かされたと思った。石田も、真子も、お腹の赤ちゃんも、誰かの生命力と自分の能力があればなんとかなってしまうのだ。頭によぎらなかったというのは嘘になる。

「もうここにはいられないんだよ。君は自分の力を存分に発揮できる場所に還るべきだ。僕らと一緒に。アトリアも。僕らの世界の住人になってしまえば、法を犯す者にはならない」


 いつも矛盾は感じていた……自分では天使じゃない、なんて言っておきながら、天界の戒律を破ることを恐れ、人間になりたいと言っておきながら友達を守るために本性を出した。

 他人が傷つくと、自分の力で治せたら……と今までどれだけもどかしく思ったか。変に自分を抑えることで騒ぎもここまで広がってしまった。

 それもこれも「死神」の道を選べば解決する。石田も元に戻して、真子やお腹の子供も元に戻して、本当の血のつながった家族と、そして母親まで蘇ることがあれば、自分の本当に欲しかった生活が手に入る……。


「自分らしく生きられる世界に帰ろうよ、一緒にさ」

 今までの痛めつける手ではない。優しい手が額をなぞる。直哉は泣きながら目を閉じた。

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