第174話 兄は弟のために、母は子のために
「俺やめたわ」
呻く直哉の頭をシェトが撫でた。
「やっぱ俺お前の兄だし」
え? と直哉が顔をあげる。何を言っているのかわからなかった。
「監視役なんか性に合わなかったんだよ。人選ミスだな」
ふふッと笑ってゆっくり立ち上がる。それを止めるように直哉がしがみついた。
「ダメ……ダメだよ……シェトは天使なんだから」
「何言ってんだお前。あいつの子供である前に、俺の弟なんだぞお前は。それに目の前の悪魔を倒すのは、俺らの仕事の一部だろ?」
助けない、見ているだけだと断言していたのに、今はにっと笑って真逆のことを言っている。でも直哉は嬉しかった。全部でなくとも天使である兄と血がつながっているのだ。自分は死神じゃない。兄はそう言っててくれていたのだ。
でも、このまま頼っていたのでは兄の将来まで自分が潰すことになりかねない。
「やめて……俺なんて放っといていい、かかわっちゃダメ…」
「もういーの」
シェトは直哉の言葉を遮った。
右手にしっかり剣を握り、相手を正面から見据える。
「いいのかい? ここに閉じ込められても」
「そうなったらそうなったでそれも運命だな」
石田はまだ戻して、戻してと直哉の足元で喚く。奥からも声は響いている。
シズィータはわざと残念そうに石田に声をかける。
「どうしよう翔君、この子たち、僕を殺したいんだって」
「……だめ……」
「そうだよね、僕がいなくなったらお母さんも翔君も困るものね」
何言ってるんだこいつ……変な余裕が返って警戒させる。ごくりとつばを飲み込んだその時、勢いよくドアが開いた。
「翔! 翔!」
金切り声に似た叫び。シェトは動揺した。何故この空間に入って来られるんだ!
「おい! 来んなババア!!」
思わず口汚く怒鳴ってしまう。
「今すぐ外へ出ろ! 巻き込まれるぞ!」
「うるさい!」
また声を張り上げ反撃してきた。あのドアが閉まったらおしまいだ、母親もろともここに閉じ込められてしまう。
シェトはすっ飛んでいきそのかろうじて開いたドアを両手で奪うとググっと押し広げた。ただでさえ弱っている女性の力では簡単にドアを奪われ、外へ押し戻されてしまう。が……
「いってえ!!!」
あろうことか、低い位置でドアを抑えていたシェトの左腕に母親が何かを突き刺した。それに怯みドアから手を離してしまった。隙をついて母親が脇をすり抜けてり込み、石田に駆け寄る。シェトはなんとか足を挟み、このままドアを開きっぱなしにしておく方法を考えた。靴を挟む? 服を挟む? せっかく外に繋がる道を確保できたのだ、このまま戸を閉めるわけに……
「ちっくしょ! 何した!」
血がだらだらと流れ続け、力が入らない。左腕でよかったとは思ったが、ここから動けないのでは話にならない。
振り返ると石田の母親が奇声をあげながら直哉の元へ駆け寄るのが見えた。
「フェル! 逃げろ!」
「早く戻してえええ!」
ただ座り込んでいた直哉はその母親が握っている物を目にしてとっさに大鎌を構え立ち上がった。シェトの血のついた家庭用の包丁。刃先をまっすぐこちらに向けてくる。
それを跳ねのけることは直哉には容易だった。母親に怪我をさせないようにさっといなす。よろけて倒れ込み泣き叫び始める。包丁は飛んで、石田の足元へがちゃんと音を立てて落下した。
シェトは上着をやっとのことで脱ぎ、表のドアノブと中側のドアノブに両腕の袖を結びつけ、左手を気合いで動かしながら完全に閉まらないよう細工していた。
「石田……ごめんね……俺はできない……」
泣きながら横たわる石田に謝る。大鎌をしっかり握り、シズィータと対面する。相手は動じない。
「僕を殺すのかい?」
涙目でにらみつける直哉に、淡々と訪ねた。でも何も答えなかった。相手もだ。
「おいやめろ!」
兄が後ろで叫んだ。
「フェーーーール!」
その直後、直哉の背中を衝撃が襲った。一瞬何がぶつかったと思った。だがだんだんこの衝撃が拓に刺された時と同じ痛みであることに気づく。叫び駆け寄るシェトが、直哉の後ろに寄りかかるようにしている母親を体当たりで突き飛ばした。
「おいコラババア! てめえ自分で何やってんのかわかってんのか!」
床に倒れ込む母親に容赦なくつかみかかり怒鳴る。
「治して! 治してくれるまでやめない!」
すごい執念だ。子供のためとはいえここまでできるものだろうか。
一方で、血の付いた包丁を拾い上げ、シズィータが満足そうに母親にいう。
「さすがですよ。一気に2人の細胞を手に入れられた。やっぱり子供を思う母親は強い」
直哉は呻きながらなんとか立ち上がろうとしている。わざとかもしれないが、直哉の傷は浅く急所にもあたっていない。だが出血はすぐには止まりそうもない。
「立つな、動くな!」
シェトが母親を放り出して直哉を静止させようと掴んだ。
「だいじょぶ……」
直哉はまたいつもの言葉を発した。少し笑ってごめん、とも言った。
「俺は天使にならなくていい。だから、最後までやらせて」
「何をやるっていうんだよ!」
「……おばさん、抑えてて」
シェトの腕をのけるようにして立ち上がる。そのまま鎌を握ってシズィータに対峙する。
「やめてぇ! はなしてー!」
言われるままシェトは喚き続ける母親を押さえつけ、背後から脇に手を回すと後ろ向きにずるずると引きずって遠ざけた。
シズィータは落ち着いた口調で尋ねた。
「僕を殺すの?」
「わからない」
深呼吸して大鎌を構えた。相手も隙の無い目を見せる。
合図もなく、それは突然始まった。
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