第170話 ありがとう

 長い長い均衡を破ったのは拓だった。真っ赤な目をして険しい表情でさっさと部屋を出て行ってしまった。

 それを合図にしたかのようにスタッフが動き出し、心に幾つも重石が積まれ動けなくなった子供たちに休むよう誘導しだした。




 優二は風呂に入らず、美穂らと次々に友達からくる電話に対応していた。ニュースで見て知り、心配して連絡をくれた。夜になり少し内容が詳細になったのか、一部報道で「風の子園の子供が被害に遭った」と出ていたらしい。

 孝太郎はもしかしたら初めて1人で風呂入ることになった。

 湯船につかっても、真一が死んだショックより自分の置かれている環境を悲観するばかりだった。



 どうしてくれるんだよ、受験失敗したら責任取ってくれるのか。

 なんであの2人もよりによってこんな風の強い中、あの道を通ったんだ。

 お願いだからもうこれ以上自分の邪魔をしないでくれ。

 本当にこんなことで自分の受験はうまくいくのだろうか。

 でもちゃんと約束してもらったじゃないか。この先は大丈夫だって。


 ……誰に?


 よくよく考えてみればおかしな話だ。もしかして騙されているのだろうか。

 それとも、自分の願望が作り出した夢の話を信じているだけなんだろうか……




 温まってリラックスできるはずの風呂なのに全く心は休まらなかった。むしろ自分への哀れみばかりが増した。幻覚まで現実と思い込むなんて、相当追い込まれている。自分はこの家で一番かわいそうだ……。



「何考えてんだ俺は!」

 パシャパシャッとお湯を顔にかける。受験でナーバスになっているせいだとはわかっているが、こんな自己中心の考えができることに自分でも驚くくらいだった。真子さんや真一まで攻めるなんて、 自分はそんな人でなしだったのか。


 思考の振れ幅がひどすぎる。直哉の顔を見ると負の感情が有利になり、姿がないと冷静な自分がでてくる。直哉との楽しい思い出だっていっぱいあるし、いい奴だってわかってる。なのにスイッチが切り替わるように、視界に入るなり突然憎たらしくなって感情を抑えられなくなるのだ。


 正直、直哉のせいで迷惑をこうむっているというのは否めない。それなのにみんながみんな、直哉をかばうのがどうも腑に落ちないのだ。

 あいつは一連の元凶なんだぞ。直哉だって自分で言ってたじゃないか、俺のせいだって。それならば早く出て行ってほしい。

 周りも周りだ。もう少し環境を整えてくれたっていいじゃないか。自分だって人生の大きな局面を迎えようとしているのだ。それなのに受験生である自分のことは全く気にかけてくれない。それが頭にくる。もう少し気を使え。

 またイライラしてきたので風呂を切り上げた。




 服を着て脱衣所から出ると、突然直哉が立っていたのでびっくりして声をあげた。

「うわ! なんだよ脅かすな!」

「孝ちゃん……ごめんね」

「……」

 徹底的に無視した。会話などしたくない。

「俺行くね」

「遅ぇよ」

 ぶっきらぼうに答える。

「わかってる。俺がもたもたしてたから、事態がどんどん悪くなったんだ」

 俯き加減ですまなそうに答えた。

「これだけ聞かせて。孝ちゃん、今知らない誰かと契約していない?」

「は? 契約? 何それ」

 正直言うとドクンと心臓が撥ねた。あの不思議な声のこと、なんか知ってんのか?

「してなきゃいいんだ」

「……するわけねぇだろ」

 直哉はちょっとだけ悲しそうな笑顔を見せた。孝太郎は一瞬焦った。勘づかれたのか、と。


 背を向けて去ろうとすると後ろから声をかけられた。

「みんな孝ちゃんの事心配してる」

 その言葉にイラっとした。

「何がだ! お前の心配ばっかりだろ!」

「本当にごめん……俺孝ちゃんのこと信頼して……甘えて頼りきってた。孝ちゃんだって誰かに頼りたかったはずなのにさ。でもみんな、ちゃんと孝ちゃんの事心……」

「わかったようなこと言うな!」

 直哉の言葉をかき消すように、振り向かず怒鳴る。こいつの言うことは何故、全部当たってるんだろう。



 言われた通りだ。自分だって本心は頼られるばかりじゃなく頼りたい。年上だから、男だから、中学3年生だから……もう大人だろうとみられるだけでなく、心配されたい。直哉みたいに目立った大けがまではしたいと思わないが、精神面や日々の生活で、もう少し気遣ってほしい。そんな気持ちを言い当てられたのが悔しいと同時に、恥ずかしいとも思った。後ろから声だけ追ってくる。

「今までありがとう」

 これ以上こいつの言葉を聞いていたら自分が抑えられなくなる。それになんでお礼なんか言うんだ! 声を聞きたくなくてさっさと部屋に戻った。行きたきゃ勝手に出ていけ。そう思っていた。

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