第163話 12月9日(3) おまじない
買い出し組が帰ってきたようだ。昼食の声がかかる。重い足取りで階段を降りる。
しかし、降りるなり孝太郎が険しい表情で直哉につっかかってきた。
「おい、お前立場分かってんのかよ」
「ちょっとやめなよ」
美穂が腕を引く。純が顛末を話したため、孝太郎は気に食わなくてしょうがないようだ。
「お前のせいでこっちは迷惑してんだよ、何で石田んちに行かなかったんだよ! お前がついてってりゃ解決したかもしれないのに」
美穂が今度は叫ぶ。
「どこまで直哉のせいにする気!? 孝ちゃん最近変だよ!」
「うっせえな! ほんっとむかつく」
腕をふり払い、1人部屋へ向かって速足で去っていった。
「ちょっと、どこいくの! これからお昼なのに!」
スタッフの声も無視して去っていく孝太郎。
「直哉、気にしない方がいいよ……」
優二が声をかけてくれたが、直哉は目を閉じ少しうつむいて、ごめん、とつぶやくだけだった。真一も余計な事をしなければよかった、と自分を責めた。自分らのしたことが裏目に出てしまった。
気づくと脇で純が泣きそうな顔をしていたので「純ちゃんのせいじゃないよ、大丈夫」と頭をなでるとふええ……と泣き出した。
孝太郎は自分の部屋に戻ると、乱暴にドアを閉める。
「あー! もうほんとむかつく! なんなんだよアイツ!」
直哉に対する怒りと邪魔されるストレスとで一気に頭に血が上った。
わーわーと声をあげながら頭を掻きむしり、その辺のものを手当たり次第投げつけた。ノートも、消しゴムも、机の上から飛んだ。散らかった足元を見て、肩で息をしているとふと目に留まったものがあった。
消しゴムに書かれたマークだ。図書館でたまたまみた「勉強ができるおまじない」のマーク。やった自分がばかだったとすぐ後悔したが、それのお陰であの呪いのことを思い出した。
とっさに、ノートの新しいページを一枚ビリッと破き、ハサミを取り出していい加減な人型を切り出した。そして、床に転がっていたシャープペンのうちの、手に触れた1本を取り上げ、無駄に力を入れて直哉の名前を書く。書いたはいいが針などない。シャープペンをそのまま握りしめ、思い切り突き刺した。何度も、何度も、自分の指も刺した。血が紙に染みる。お構いない。
シャープペンのペン先はあまりの力に曲がった。次第に呻くような声をあげて、さらに力強く刺す。紙はもう破れそうだ。そして最後の一発で、紙が腹のあたりから上下にぶつりと別れた。
その時、福島がドアの外から呼ぶ声がした。
それでようやく手を止めた。左手は3カ所刺して血が出ている。涎もたらしていて、頭がぼーっとする。肩で息をしながらしばらく立ち尽くすとふと冷静になった。
「何を……やってんだ、俺……」
シャーペンは使い物にならなくするし、刺したとき机に敷いてあるデスクマットからはみ出て、板の方に直に刺した跡がぷつぷつとついてしまっていた。
福島は、昼が用意できているから皆と食べるよう促しに来た。しぶしぶ部屋を出る。
食事中も誰とも喋らず、雰囲気は重苦しかった。食べ終えるとすぐ自分で食器を下げ、洗ってさっさと部屋へ向かった。
ドアを開けた瞬間、散々な床の様子をみて我に返る。
こんな子供だましに頼って、1人でイライラして、何してたんだ。冷静になってみて改めて「なんてバカなことをしたのだろう」と散らばった床の小物やらノートやらを片付けながら一気に気力が抜けていくのを感じた。ジンジンと指先の傷が今頃になって痛み、先ほどまでのイライラが嘘のように静まっている。お腹がいっぱいになったから、というのもあるのかもしれない。
無駄な片づけを終え、やっと椅子の動かせるスペースを確保する。深く腰掛けて大きくため息をつき、机に突っ伏した。勉強しなきゃ。
でも今はやる気が出ない。少し休もう。少し……。
「かわいそうだね、こんな大事な時期なのに。こんな環境じゃ勉強どころじゃないよ」
「ん!?」
机でうたた寝してしまったようだ。今確かに男の声がした気が……しかし眠くて顔を見ようと目を一生懸命開こうとしても、まるで瞼が眼に貼り付いているように完全に開かない。
「僕でよかったら協力するよ」
誰なのかわからないうえ、夢の中なのか現実なのか判別がつかない。朦朧とした意識の中でただ声を聞くだけ。
「受験の心配はしなくて大丈夫。君の行く道は僕がちゃんと用意してあげる」
優しくささやく声。安心感に包まれるようなゆっくりした喋りも相まって、ここ数日不安と恐怖とイラつきでいっぱいになっていた頭がほぐされるような感覚に襲われた。薄目で目の前に誰かのぼんやりした影が見えた。
――ああ、大丈夫なんだ俺――
「勉強しないといけない、なのにできない。家も落ち着かない。それもこれもあの子のせいなんでしょ? あの子人間じゃないから、君の苦労や心配なんかわからないんだよ」
――そう、アイツのせい――
「今までの努力は無駄にしないし、学校の評判だって気にしなくて大丈夫。僕に全部預けてくれれば」
――本当に!? 俺の将来、大丈夫なの?――
「高校には絶対進めるよ。だから一つ協力してくれないかな」
――する、する、何でもする――
「君の心を貸してくれない?」
――どういうこと?――
「君の中に少しの間、僕が入るスペースをくれればいいんだ」
心にスペースを作るなんて、どうやったらいいんだろう。よくわからないけれども高校受験に受かるのならば構わないと彼の要望を受け入れた。
「ありがとう」
そういうと彼は何かを拾い上げた。ごみ箱に入れ損ねて床に落ちていた、さっきズタズタにして血が染みた紙の人形の頭部分だった。それを口の中へ入れて飲み込んでしまった。
孝太郎は机に突っ伏したまま、完全に眠りに落ちた。
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