第117話 10月29日(2) 存在意義

 志保がスーパーに行った帰り。杉元が突然、志保の前に現れた。ついて来いというので黙って後に続く。


 ほとんど人の通らない、線路下をくぐる立体交差の歩行者専用通路。車道からも通路出入口からも目につかない階段の踊り場につくと、志保を壁際に追い込むように振り向いた。

「どうなの、進んでんの?」

 前置きも何もない。率直な質問だ。


 志保は覚悟を決めていた。

「あたし……このままでいい」

 互いに黙っている時間を、車やバイクの反響音が埋め尽くす。

「このままの体でいい。だから、そっちもあきらめてよ。私は普通の体になれなかった。だからあんたも死神の力を手に入れられなかった、それでおあいこでしょ」

 杉元は志保を見つめ返し、

「何ふざけたこと言ってんだ」

と低く抑揚のない声で威圧的に一歩近寄った。明らかに怒りの目だ。

「お前をあそこから引っ張り出すのにどんだけ手を使ったかわかってんのか」

「それは、それは感謝してる」

 志保が一歩下がる。

「お前は願いを1つ叶えた。あそこから出られたからはいもうおしまい、俺の願いは何も叶ってない。完全無視。それって詐欺じゃない?」

 また相手が近づく。こちらはさらに下がる。

「ちが……」

 更に近づく。もう背後は壁。追い詰められた。志保は恐怖で動けなかった。買った品物を足元に袋ごと落とす音がした。


 殺されても生き返る体であっても、傷つけられるのは何度だって耐えられない。逃げ場を失い、涙ぐんだ目で否定しようとするが、先に杉元の手が伸びてのど元をぐっと掴まれた。苦しさに顔をゆがめ、必死で腕をはがそうと手をかける。しかし力は強くびくともしない。もうだめだ……意識が飛びそうになる寸前ふっと力が緩んだ。




「ク、クク……あはは……」

 なぜか笑い出した。手をぱっと離され、へなへなと足元が崩れ座り込んだ。激しく咳込む。

「やっぱそううまくはいかねーかぁ」

 にやっと笑う杉元。突然態度が変わったのに戸惑う。大きく呼吸をした後、お構いなく杉元は自分のペースで切り出す。

「いいこと教えてやろうか。お前らがなんで不老不死になったか」

 涙目で視界をゆがませ、咳き込みながらも「えっ」と聞き返し見上げる志保。知りたい、という気持ちが丸出しだった。

 その表情を見て、ますます気味の悪い笑顔になった。

「もーいいや。お芝居は終わり。本当のこと話してやるよ」

 壁に手をつき、体を90度にまげて、志保を見下ろし話し始める。



「お前らは、死神の特権を奪ったんだよ」

「……奪った?」

「そう。死神の」

 俺らって……杉元は死神? どういうことだ、ならば魂を入れ替えることなんか自分で簡単にできる存在なんじゃないか!

「……」

 睨みつけるように志保は眉間にしわを寄せる。

「おまえ、あいつにやらせないで俺がやればいいのにって思たろ」

 杉元が自分の袖をめくりあげた。

「!!」

 腕には明らかな継ぎ目があった。

「仲間の力でなんとかしてもらったけど、もう力は使えない。本物の俺の腕じゃないんだからな」

 だからいつも長袖に上着だったのか、8月の暑い中でも。

「お前ら姉妹の血や肉、どうなってたか知ってるか?」

 首を横に振る志保。

「お前らと交わった者は、命の期限を延ばすことができる。お前らの細胞を取り入れるだけでだ。支配層がほっとく訳がない。血を呑む、躰を食らう、唾液や排せつ物を飲む。欲望のままに女を支配し、女に支配され、それでいて寿命が延びるなんて誰だって飛びつくだろ? お前らの体はとんでもない高値で取引されてんだ。鮮血なんか特にな」

 気味の悪い話だ。信じたくない、信じられない。


「お前らが不老不死になった食べ物は、体に合わない奴が食べると死ぬ。それが何なのかは正直わかってない。人魚の肉だとか、天界の山にある実だの、人の赤子や天使の肉だとかいろいろ言われてるけどな。それらのどれがぴったり合っちまったお前らは、誰か1人の権力者が抜け駆けして独占できないように閉じ込めて、限られたものだけがお前らを利用できるよう看視者を置いとく協定で収まったんだよ」

 まくっていた裾を下す。

「それで俺らの仕事がなくなったんだ。それまでは俺らが奴らの寿命を延ばしてやってたんだ。さんざん頼ってちやほやしてきたくせに手のひら返しやがって……」


 杉元の顔から笑顔はなくなった。飯田が最初自分を見てきたときのような目。一方的な憎しみが込められた目だ。

「だんだんお前らの話が広がってから、俺ら死神の一族は見向きもされない。待遇もひどいもんだよ。低級悪魔と同じ暮らしを何故俺らがしなきゃいけない。ゴミのような扱いを受けて、食い物すらまともに食べれない日を過ごすなんて耐えられない。おかげで仲間は減るわ、住むとこ追われるわロクなことがない。

 簡単に捕まる化物とかヘドロみたいな屑人間の魂を食らって、なんとか天界と裏でつながって地位と存在を維持してきたけど、俺はヘマやって捕まった。死神とつながってたなんて天界にとっちゃ一大事だから、見せしめに俺を処罰して二度と力を使えないよう腕を切り落とされたってわけ」

 志保は初めて聞いたことに、まだ半信半疑だった。本当に杉元の言ってることは真実なのか。


「こっちの世界にあんたら姉妹を引っ張って使い物にできなくすりゃ、あの屋敷も終わりだし、万一天使の能力を持つ死神が手に入れば俺らの価値は昔以上に上がる。だから是非ともあいつに力を使わせてから、お前には人間として寿命を全うしてほしかったんだけどね」

「だけど……」

 志保は反論した。目の前の恐怖にとぎれとぎれになんとか言葉を吐き出す。

「もし直哉が、あたしを人間と入れ替えても、中身は入れ替わっただけで、この体自体はずっと生き続けるなら、入れ替わった人間が、あっちに帰ればまた同じことじゃない」

 クククと杉元が笑う。

「もう何人も実験して分かったことだけど、人の魂は俺らや天使の体に耐えられないんだよ。ほっといたら気が狂って体がマヒして動けなくなって、数週間後に死ぬ。お前わけわかんない化物も相手したことあるだろ。あれ全部、もと人間。狂っても使えそうなやつだけは寿命伸ばしてたってわけ。何に使ってたんだか知らないけど」

 聞くこと全てが作り話のような感覚になってきた。言葉も話さず本能のみで自分を襲ったあの化物が人間だったって!?


 言葉を続けられずにいると、またにやりと笑いながら気味の悪い話を続けた。

「あはは、凄いだろ。あんな形の崩れた理性のない姿になるんだぜ。仮にお前の体に人間の魂入れても、あんなのを永遠に飼おうなんて思わねぇよ。それに人の魂のほうが先に逝っちゃうか溶けちゃうだろうな」

 よみがえる悪夢、いや地獄。ひとしきり犯された後、四肢を食いちぎられ、内臓を漁られ、自分を餌としてしか認識していない化け物になすすべもなく、幾度も殺された。それをしていたのがもと人間? ……耐え切れずうずくまり頭を抱える。


 杉村もかがみこみ、怯える志保の頭を愉快そうに小突きながら続ける。

「魂が抜ければ、残るのはこの腐らない死体。この日本て国はさ、死ぬと体を焼くんだよ。ありがたい国だよね。火で完全に焼いて骨だけにすると、いくら不老不死でも体は修復しないんだって。やっと見つけたんだよ。昔お前と同じような奴がいてくれたおかげで、古文書ひっくり返してしてよーーーやっと……」

「もうやめて!」

 志保の叫びを、頭上を通る電車の騒音がかき消した。過ぎ去るまで杉元は黙っていたが、しばらくしてまたクククッと喉の奥から笑いを漏らした。

「最初の勢いはどこいっちゃったのかなぁ。最悪さ、力を引き出せなくても、お前と良い仲になって体の一つも交わってくれたらって思ってたんだよ。そうすりゃとにかく天使の資格はなくせる。だけどそこにすらお前はたどり着けなかった。まったく役立たずだよな」

 ゆっくり立ち上がる杉元。ようやっと解放される……


「あ、もし自殺するなら手伝ってやるぜ? もうお前使えそうにないから死んでくれてもいいや。もう1人の方使うからさ。火だるまになる勇気がないならいつでも手を貸すよ。アハハハハ……!」

 とうとう耐えられなくなり、耳に手を当て言葉にならないわめき声をあげた。コンクリートの通路に反響する。

 杉元の足音が遠ざかる。今言われた話がぐるぐる頭の中を反響する。手は震え冷たくなり立つことができない。涙が止まらない。

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