第100話 負けても諦めても

 学校から出た直哉と志保は一定の距離を保ったまま歩く。


「あの子……本当に高尚な魂の持ち主だよ」

「本物の志保の事?」

「そう。あの子の記憶を貰ったとき、あたしが勝手に飯田恵夢を恨んだ。あの子はどんなひどい目にあってもただ耐えてた。もっと抵抗していいのに、黙って1人耐えてるの。いつの間にかその子の感情と自分の感情の境目がわからなくなって、怒りに任せて狙ったんだ。多分、あたしの過去と重なってそうしたのもあるんだろうけどね。

 あの子はもう実態を持たないから、話はできない。過去の記憶だけ見せてくれる。場面場面で悔しいとか悲しいとか嫌だとか感情も伝えてくれる。この子は負の感情が多すぎたんだ。親にも虐待されて命とられて、それすらなかったことにされるなんて、普通なら悪魔が目をつけないはずない。怨霊にでもなるとこだよ」

 直哉は黙って聞いていた。彼女だけが知る本当の過去。


「朱音ちゃんやこっこちゃんは助けようとしてくれていた。でも子供の力なんてたかが知れてる。他に助けてくれようとしてくれた人間はいないよ。先生すらいない」

 深くふう、と息を吐いて軽く空を見上げる。薄雲にぼやける白い半月が低い位置に見えた。



「あたしがここに来たのは、本当に直哉の力で今の体を普通の体に取り換えたかっただけ。だけど人間に成りすますのにたまたま呑んだあの子の魂が、だんだん自分と混同してくるのがわかったよ。最初は自分の身体さえどうにでもなれば、周りなんかどうでもよかった。だけどさ、朱音ちゃんたちに逢って初めて他人のことが好きだって思えた」

 少し笑顔になった。


「この世界は本当に広くて楽しい。知ろうとしたって際限がない。人のつながりも永久に広がってる。目障りなのもいるけど無視すればいいし、いい刺激も沢山ある。なにより毎日つらい目に合わないでいい」

「じゃあ無視してればよかったじゃないか、なんで飯田さんにあんなことけしかけて呼び出したんだよ」

「あの子もつらい目にあってるでしょ。あたしから見たらどうってことない程度だけど」

 飯田が仲間外れにされていることを言っているようだ。

「今ならきっと、自分が嫌になって死にたいだの消えたいだの思ってるはずだから、万一の可能性にもう1回賭けただけ。それでだめならもう諦めよう、この体で生き続けようって。やっぱりだめだったけどさ」

 直哉の方に振り返った瞬間、頭のこぶに障ったようで、いたた、と顔をしかめて手を当てる。


「本物のあの子は、人を怨むより身を怨めで、自分がすべて悪いと思ってる。」

「え、なに? なんか難しいこと言ってる……みおうら……?」

「『人を怨むより身を怨め』。他人を怨まないで自分のことを反省しなさいってこと。理解してくれる人がいなくて、いつもいつも怒らて怒鳴られて嫌がらせされてたんだ。何をしたらいいのか答えも教えてくれる人がいなくて責められるだけじゃ、自分が悪いと思うしか術がないもの」

 淡々としゃべる志保。同情しているのか、ただ単に機械的に事実を語っているだけなのか。その表情からは知ることはできない。



「あたし勘違いしてたんだ。あの子の記憶を最初に読んだとき、相当苦しい感情が入ってきた。だから両親やあいつを苦しめれば喜んでくれると思ってたの。でも逆で、仲良くした方があの子喜んでくれるなんてね。両親ともそうだよ。自分を殺した張本人なのに、ちょっと優しくされたらなんでだろう……嬉しかったんだよね……あたしも、あっちも」

 志保がさらに自然な笑顔になった。

「直哉にも謝らないとね。あと感謝してる」

 突然そんなことを言われて驚きとともに照れ臭かった。

「なんだよ、何もしてねえよ俺」

「飯田さんをあたしから助けてくれたから」

 飯田「さん」と呼ぶなんて。彼女のことを許したのだろうか。


「あんたやっぱり天使だよ。今回はあたしの負けだ。完敗だよ。負けたら殺されるのが普通なんだろうけど、あたしの場合は生きるのが極刑かな」

「そんなこというなよ、極刑だなんて……」

 思わず反論してしまった。特に後に続く言葉もないのに。パクパクしている直哉を見てフフッと笑った。

「ありがと」


 こいつ、こんなかわいい顔して笑えるんだな。今までの不特定多数に向けていた計算高い笑顔とは違う。一瞬ドキッとしてしまったが、相手は悪魔だと思い直す。

「あ、あ、うん、その……小さい志保も一緒に生きてるんなら、楽しいこと、もっとしてやれよ。文化祭? なんか、途中まで楽しそうだったのに、安藤さんもやる気なくなって、どうにかしてやってよ。俺がこんなこと言う立場じゃないけど」

 つっかえつっかえ何とか言葉を絞り出す。志保は笑ってそうだね、といったが、こぶにまた響いたようで変な顔になった。




 そこに真一がやってきた。2人並んで歩いているのを見て駆け寄ってきた。近づくにつれ雰囲気が悪くないことを察すると、安堵したような顔になった。風の子園にも帰っていなかったので、わざわざ学校まで心配になって戻ってきたのだ。またこの前のように派手にやらかしていたらどうしようと内心ドキドキしていた。

「何がどうなってるの?」

 歩きながら、直哉に話したようなことを真一にも聞かせた。真一も不思議そうに聞いていた。



 一通り彼女の話が終わると、真一が言い出しにくそうに聞いた。

「あのさ、ちょっと突っ込んだこと聞くけど、赤の他人と暮らしてるわけでしょ? どうしてその家族に入ることができたの?」

 直哉もそれを聞きたかった。なぜ、他人であり人間ではない志保が、普通の家庭の子供として学校に入れるまでになったのか。

「その前に。あんたも悪魔なんでしょ?」

 志保が真一にたずねた。素直に頷く。そして左肩に数字があるとも答えた。志保は一瞬表情をこわばらせた。

「奴隷?」

「そうだよ。僕は商品だった」

 志保はうつむいて黙った。

「僕の事、汚いと思ってる?」

「そんなことない。あたしの方がよっぽど汚い」

 ぎゅっと身を縮めた。

「ちょっと時間ある? どっかいこうか」

 志保が二人を誘う。道端で話して誰かに見られたり聞かれたりしたらよろしくない。

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