第71話 忘却の魔法

 石田は今までより激しく嗚咽を漏らした。

「大丈夫だよ……あんな事件起こしておいて、また同じ事したらどうなるかくらい、いくら何でもわかるよ」

 真一がなだめても首を激しく横に振って否定する。

「あいつらこんなこと程度じゃ懲りないよ……お願いだから、助けて! 俺のこと見捨てないで……」


 涙声でしゃべるのもやっと、といった具合だ。こんな状態まで追い詰められていたなんて。

 彼自身が精神的に弱っているのもあってかもしれないが、あの人間たちなら逆恨みしかねないと思える状況を過去見てきただけに、抱く恐怖は痛いほどわかった。

 石田自身が直哉のように次のターゲットになることを心底恐れている。


「僕たち見捨てるなんてしないよ。何かあったらお互い様だよ。友達ってそういうものでしょ」

 少しでも彼が安心するなら。真一はそっと右肩に手を置いた。一瞬驚いたように体がびくっとなったが、真一が石田の左手にそっと手を置くと、血の気のない冷たい手が痛いほど強く握り返してきた。

 それほどまでに、今までの関係を断ち切り、真一のいる側に来たいのだろう。


「不安なら、いつでも僕たちのところに来なよ。泊君や川口さんたちも、今日でこんな仲良くなったじゃない。小島君だってきっと仲良くしてくれるよ」

 震えて泣き止まない石田の耳元で優しく語り掛ける。彼にも拓と同じで後々思い出すにしろ、少しの間だけでも「忘れる」時間が必要だ。



「石田君顔あげて」

 優しく言葉をかける。相手が少し顔をあげ、こちらと目を合わせた瞬間。


「え」


 真一がさっと石田の前髪を右手であげると、素早く額にキスをした。

 その途端、石田の体からくたっと力が抜け、そのまま後ろに倒れた。


「おっと」

 床に頭がぶつかる前に真一の手が抱え込みセーフ。

 

 石田の後ろに移動し両脇に手を入れると、そのままずるずると引きずってベッドまで運ぶ。

 よっこらしょと無理やり上半身を布団の上に転がし、両足も持ち上げて乗せる。

 そのまますうすうと眠り続ける石田の顔を覗き込み「ゆっくり寝てね」と声をかけて部屋を出た。




 リビングにいた母親に「お邪魔しました」と挨拶をした。

「あら、もう帰るの? あ、翔は……」

 2階の方をのぞき込む母親。

「ちょっと横になったら寝ちゃったので、疲れてるんだと思います。そっとしておいてあげてください」

「ええ? あの子ったら友達いるのに寝たの? しょうもない子だねー、ごめんねお構いもしないで」

「いえいえ。ありがとうございました」

 帰る彼の背中を見て、母親はなんだか嬉しそうだった。




 風の子園に帰ってくるなり、一体石田はどんなだったかと中学生組から質問がどんどんでてきた。

 真一はありのまま、彼の様子を話した。いつもの仲間といない彼は実は優しくて、気さくで、本当にどこにでもいる男子中学生だと答えた。

 優二や美穂は「信じられない」「そんなはずない」「イイ子なのは今のうちだけだ」といった否定的な反応だった。あまり良く思われていないというのが率直な感想だ。



 夜、真一は直哉と部屋で話をしていた。拓のことを小島に伝えたのが石田だった事、直哉が出した大鎌をやはり気にして自分に質問し、ひとまず自分も知らないことにしてはぐらかした事、直哉が千帆と歩いているのを見て興味を持った事、彼自身が二学期に「裏切り者」としての報復を恐れている事。


「なんとか石田君の事助けてあげたいって思うんだ。直哉は……あんなことされ続けてたから嫌だって言われるかもしれないけど、本当はいい子なんだよ。付き合ってるやつが悪かったんだ」

「それは分かってるよ。一緒に帰った時に何となくそんな感じしたもん。先輩と一緒にいたからああなっちゃっただけだって。俺、お前がいい奴だって言うなら信用する。お前をちゃんと友達として見る人間なら、俺も付き合う」


 真一がふふっと笑った。

「え、なんか変なこと言った?」

 首を横に振って笑いながら答えた。

「直哉は天使なのに、悪魔の僕の言うことを信用するなんてさ……なんかおかしいなあって」

 そう言われてはっと思いだした。そうだこいつ悪魔だったっけ。自分でもそれを忘れるくらいの優しさを持っている。直哉もおかしくなって笑った。

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