第57話 7月8日(1) おかえり

 園長たちが拓を病院へ迎えに行く。建物から人目を避けるようにして出てくる。児童相談所の職員も彼を囲み、物々しい雰囲気があった。

 福島が運転する車に園長と拓が乗る。その後ろを職員の車がついてくる。


 車中無言で空気が重く、福島が気を使って拓に話しかけた。

「大丈夫だよ。普通に家に帰るつもりでいな」

「……」



 数分で風の子園についた。日曜でみんな家にいる。園長が先に玄関を開けた。

「ただいまー」

 子供たちのおかえりなさーいの合唱が響く。

「拓、ほら入りなよ」

 福島がまだ玄関の扉の向こうにいる拓をそっと手を出す。

「一緒にただいま」

 すると他の子供たちもちょっと緊張した表情で

「おかえり」

と口々に声をかけた。

「……」

 拓が何か言った。聞こえなかったので、子供たちが「ん?」と声を漏らす。福島が拓の背中をポンポンとかるく叩く。

「ごめ……なさい……」

 下を向いたまま消え入りそうな声で、やっと口にした。

 みんなちょっとだけ、安堵した雰囲気に変わったのが感じ取れた。以前のままつんけんした態度でいたらどうしようと思っていたからだ。


「中入ろうよ。麦茶でももらおう」

「うん……」

 前に出ていた直哉が拓の肩に手をかけ、一緒に歩くよう促すと食堂に通した。大人たちは園長の部屋で何か話があるようだ。



 食堂の席に着くと、拓の向かいに直哉が座り、真一が直哉の隣に座る。美穂と優二が麦茶の瓶とコップを数人分持ってきてくれた。何を話せばいいか戸惑ったが、優二が尋ねた。

「もうすぐ夏休みだけど、拓は学校行くの?」

「……わからない」

 学校にも行きづらいだろうが、このまま夏休みに入ったら、二学期がもっと行きづらくなってしまうのではないかと優二が心配した。拓はどうしたい? と直哉が聞く。

「……」

「俺はみんなに会っておいた方がいいと思うよ。休み中に好き勝手に変なこと言われたら嫌だし。もし今までの自分と変わりたいと思ったらなおさらね」

 心配そうな顔をする拓。

「大丈夫だって。休み中にお友達と遊ぶ約束とかしてきなよ」

 美穂が不安を見透かして励ます。



「そういや、直哉たちって夏休み入ってすぐ補習なんだって? テストこれからなのに? なーんで休みでも勉強しに行かなきゃなんねぇの」

 優二が2人を憐れむように見た。

「ああ、皆よりいっぱい休んじゃってるから勉強できてないんだよ」

 優二が天を仰ぐ。遊びに行けないなんて、自分だったらそんなの地獄だと嘆いた。

「お前らの成績表ってどうなってんの、どういう基準で付けられるんだぁ? 来たら真一の見せてよ」

 優二が真一の成績を見たがると、美穂が咎めた。

「ちょっと! 人の成績なんか覗き見てどうするの?! 自分は嫌な癖に。真一見せなくていいよ」

 あははと周りが笑う。そんな和やかな雰囲気の中、拓がぽろぽろと泣いていた。


「……おい、どうしたんだよ」

 何か地雷を踏んでしまったかと優二が焦った。そういう訳ではないのだ。みんなが優しく接してくれて、気にしまいと楽しそうにふるまってくれる事が辛いと感じる。

 それもこれも元は自分のせい。この楽しそうな周りのみんなになじめない自分のふがいなさと疎外感。壁を自分を作ってきた今までの後悔のようなもの。自分は笑ったりする資格がないという自責の念。それが改めて皆の顔を見たことで湧き上がってしまったのだろう。

「拓、俺の部屋行く?」

 直哉が声をかけた。みんなが腫れ物に触るように接しているのが彼にばれていると察したからだ。拓は無言で頷く。

「優二も一緒にこない?」




 男ばかり4人で直哉のスペースへぎゅうぎゅうと収まる。

 よいしょ、とベッドに床のかばんを放り、場所を開けるとまず直哉が床に座った。各々も床に座る。直哉の左隣に真一が、右隣に優二が、直哉に向かい合うように拓が座った。

「やっぱここのほうが話しやすいな」

 うーんと伸びをしたが、あてて……と傷に触ったようですぐ体を縮めてしまった。


「拓、本当は優しくされるのが辛いんじゃない?」

 一瞬にしてピリッとした空気になった。決して攻めているような口調ではないのに。それを言ってしまうのかという焦りと緊張感。誰も何も言葉を続けられない。

「俺刺したとき、どんな気分だった?」

 唐突に拓に聞いた。そこまで聞いて大丈夫か? 真一も優二も不安になった。止めさせようかと思ったが、直哉はじっと拓を見つめている。ただ表情は柔らかい。温かく見守っているという表現がぴったりだ。

 当然長い沈黙が訪れる。余計な口は挟まないほうがいい、そう思い拓の返事を待った。




「怖かった。やりたくなかった……だけど蹴られて……」

「普段、死ねとか殺すぞとか言ってたけど、もう言えなくなっただろ」

 無言で頷いた。下を向いたまま。

「これが人を殺すってことだよ。でも良かった刺されたのが俺で。それに拓がやりたくなかったって言ってくれて安心した。またやりたいなんて言われたら刺され損だったわ」

「もうしない、もう、やりたくない。絶対……殺すとか死ねとかもう言わない」

 拓は叫ぶように言い切った。

「偉いよ。それが分かって反省しただけでも凄い変化だよ。これから何か、自分が変われる気がしない? 俺はここに来てすごく変わった。それまではもうずっと自分のことが大嫌いで、自分で自分を死ねばいいって思ってたのにさ、みんなや真一に会って、初めて家族や友達っていいなって思ったんだ。お前もそうなれるよ。本当の家族以上に、ここの人達のこと好きになれる」


 真一には、直哉が自分を重ねて拓を見ているのがわかった。優秀な兄と比べられ家族に見放され、1人離されて間違った教育を受けていた彼だから、拓にもこの世界の楽しさを分かってくれるよう願っている。


「ねえ……」

 今度は拓が聞いた。

「あの時、何があったの?」

「あの時って?」

「俺が、刺した後……覚えてない。あと、病院で話した時も。おでこになんかあてられて、直哉とすごく沢山しゃべった気がするのに、夢だったみたいな……会話の内容よく覚えてないけど」

 優二も刺された後のことを思い出し、鼓動が早くなるのを感じた。直哉が真一を見る。すると真一は頷いて

「そのまま話しなよ。隠してもしょうがない。見せちゃったんだもん」

と穏やかに口にした。

 腹を据えたのだろう。どんな結果になろうと受け入れる覚悟なのだ。それを聞いて、直哉も小さく頷いた。

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