第37話・暮夜に響く迷惑どもの喚声
「あー…ひでぇ目に遭った」
「自業自得でしょ。全く、収める自信無いならシュリーズ煽ったりしなければいいのに」
まあいくら何でも俺だけ食ってあとの二人を放置するわけにもいかず、ありものではあったがキチンと食わせるものは食わせて二人とも二階に押し込んだ後のこと。
正宗にふとんを運ぶのを手伝ってもらったのを労うつもりで茶を出してやったのだが、なんか最近二人きりになるのが珍しかったせいもあってか妙に落ち着いてしまっていた。
「ねー小次郎?」
「んあ?」
正宗は流石に今日一日の出来事に疲れていたのか、普段に比べると口数も乏しかったのだが、湯呑みを回していた両の手のひらを止めると、思いついたように問いかけてきた。
「煽るなってあたし言ったけどさ、実は結構わざとでしょ?」
上目づかいではあったが、疑問というよりは確信を持って訊いてきてはいるようである。
「…まあな」
「からかって遊んでいる、ってわけでもないんでしょ?」
重ねての問いに結構辟易する。分かって訊かれるのも据わりが悪いってえものだった。
「ああ言っておけばあいつらもあんまり後ろめたさはねーだろうしな。あんなにドッタンバッタンするたぁ、ちと予想外ではあったけどよ」
「アナ姉マジ切れしてたもんね」
「だな。久し振りに見たわ」
揃って苦笑し、顔を見合わせると、また違った笑いがこみ上げてくる。
そしてそんな空気が少しばかりこそばゆく、オレは言わんでもいいことをつい言ってしまう。
「…ま、今思いついた出任せだけどよ」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
でもコイツには通用しないんだけどな、こういうのは。
それからまた静かな時間に戻る。特段言いたいことがあるわけでもなく、正直なところはよ帰ってくれないかなあと思わないでもないのだが、邪険にするわけにもいかず、どっか気まずい空気が流れる。
ざーとらしく時計を見て帰宅を促そうと考えていると、今度はいささか深刻さをました口調で正宗の方から口を開いた。
「…あの二人、これからどうするんだろ」
「…ソイツは懸案だわな。いつまでも居座られたら我が家の家計が破綻する」
「あたしにまでおどけなくっても良いってば。真面目な話だよ」
正宗の懸念はもっともだが、重苦しい話題に疲れが増すのが嫌だったので適当に茶化そうとしたら普通にたしなめられた。
「結局、シュリーズが来た原因だとかもう元の世界に帰れないことだとか、全然解決していないじゃない。なんだかアブない人も出てきたし」
そうなんだよな。あの二人だけならともかく、ラチェッタだとかその叔母だとかあとなんだっけ?異世界統合の意思だったか。アレの存在は間違い無く、ヤバい。シュリーズに対して何か含むところがあったよーだが、ウチの居候連中に対しての何か、以上に普通に日本とか地球に縁起でも無いことを起こしかねない、ような気がする。
…とはいうものの。
「……なんとかなるんじゃね?なんかあの連中見てるとそう思うわ。呑気というか動じないというか、言った分だけのことはなんとか実行するだろうさ。少なくとも妹の方はな」
細かいことを言えば、別に俺に出来ることなんざ無いから、信じることしか出来ねーってだけであって、単にそれを格好良く言い換えただけのことだ。
だというのに、目の前のこの幼馴染みサマは、全部分かってるよ的ににこにことして下さりやがる。
「何が可笑しいんだよ」
「別に?小次郎が分かってて嬉しいな、って」
「なんで俺が分かってるとおめーが嬉しいんだか分かんねーが…それに何が分かってるってんだ」
「それを言うのは無粋ってものじゃないかな、っておじさんの口癖だけれど」
「あのクソ親父がソレ言うときは大事なことをはぐらかす時だっつーの。真似なんかしてたらろくな大人にならんぞ」
「あはは、おじさんみたいになれたら、それはそれで楽しそうかな」
楽しい、ねえ?
本気でそう思っていそうな正宗を前にして首を捻る俺。
そりゃま、あれだけ好き勝手に世界中を飛び回るのが楽しくなかったとしたら、留守を守るこっちとしては全く立つ瀬が無い。別にそのために留守番しているわけじゃあないが、多少は前向きにやっていてもらわにゃあな。
…そう思ってふと、俺がシュリーズに対し、面倒かけられながらも不思議とそれを嫌だと思っていないことに思い至った。
同じことなのかどうかはハッキリ言って分からん。
分からんのだけれども、あのどーしよーもない放浪癖の抜けない中年が年がら年中家を開けっ放しにしてこっちに山ほど面倒事押しつけるのと、ヘタすりゃまあ最低でも町内一帯を危機に陥れかねない厄介ごとを持ち込む可能性のある居候を抱え込むのを比較するのが妥当かどうかはともかく。
こーいう事態にあっても、それでもなんとかなるんじゃね?…と、傍目には楽観的に過ぎる姿勢でいられるのは、ひとえにその面倒の主体であるところの我が親父は、俺にとってはそこそこ信頼を寄せても構わないんでないかと思えるからだろう。
余人から見れば俺と親父の関係なんぞ、放蕩三昧な親とそれに困らされている一応被保護者、という具合であろうが、これでも割と肝心要のところではアテにしてはいるのである。滅多にそんなことは無い上に、困ったことに一部友人知人においては周知のことであるのだが。
だから、ま、それと似たような奇妙な信頼をただいま二階で姉と寝床の取り合いでもしているであろう食費のかかる面倒娘に対して抱いていたとしても、俺としてはそれ程嫌悪は覚えないわけだ。
「…親父のヤツ、はよ帰って来ないもんかね」
まあそんなことを考えていたせいだろうか。普段ならぜってぇ口にしないような台詞が漏れ出ても不思議ではなかった。
「そだね。シュリーズ住み込むの知っているんだっけ?小次郎が女の子を家に入れても平気だなんて随分と余裕が出来たなって思うよ」
まるで自分は例外です、みたいなことを言う正宗。
ソコの点に関して文句の一つでも言ってやろうかと舌なめずりしていたら、やおら神妙な表情で正宗が真っ直ぐこっちを見ながら、少し躊躇いがちに口を開く。
「…小次郎さ、シュリーズのこと、どう?」
また随分と漠然とした問い。とはいっても、その表情からしてふざけたことを言って俺をおちょくっているわけではないんだろうけどさ。
「どう、ってのはどういう意味だよ」
「それをハッキリさせたら小次郎の答えも変わるのかな。それが分からないのなら、あたしは『どう?』としか聞きようが無いよ」
禅問答みてーなことを言いやがる。
「…どう、とか言われてもな。悪い奴じゃなさそうだ、とかくらいしか言い様がねーよ。今ん所。初対面からそれほど時間経ったわけでもねーしな」
「ふーん。まあそこまで言えるなら小次郎にしては上々なのかもね」
「上々って、何がよ」
「ん、別に。あたしにとっては良いことでも悪いことでもあるかな、って。それだけ」
「ほう。興味深い。その良いことと悪いことってのを事細かに語ってもらおうじゃないか」
「やだよ。小次郎にだけは言えないもんね。ご想像にお任せします」
「そうはいくか。ここしばらくおめーの思わせぶりな言動にゃ少なからず振り回されてきたんだ。この際思うところを聞き尽くすまでは帰さないからな」
「女の子をこんな時間に部屋から出さないつもり?このスケベ」
「入ってきたのはそっちの方だろ。そんな自己弁護で陪審員を納得させられると思うなら呼んできてやるぞ」
「シュリーズならあたしの味方してくれるもんね。分が悪いのはそっちのほーでしょ?」
口ゲンカとじゃれ合いの中間みたいな言い合いをしていると、二階の方から扉の閉まる大きな音が響いてきた。位置を考えるまでもなく、めーわく姉妹の方だろう。
そしてそのまま、階段を三歩飛ばしほどで駆け下りてくる音が続く。よほど慌てているのかもしれないが、本気なら階段なんぞ必要ないだろうからまだ余裕はあると見える。
そうして辿り着く先といえば、当たり前のことだがこの部屋しかあるまい。
「小次郎っ!!」
「んだようるせーよ今取り込み中だよまたアナにどやされたいのはおめーはっ!!」
扉を開けるなり大声で俺を呼ばわるシュリーズに怒鳴り返す。
「うっ…そ、それは困る…」
流石にアナの名前は効果絶大で、硬軟両面でやり込められた記憶によってか怯みを見せたのだったが、それとて一瞬のことで靴を脱いで上がり込んでくると、一緒に居る正宗に気付く様子もなく、
「しゃしん、を見せてくれっ!」
「…は?」
と、いきなり意味の分からんことを言い出した。
「姉上がなっ、姉上が私の終の姿が無様すぎて泣けてくるとか言うのだ!こ、この私が変化したのであればすこぶるカッコイイ、ちょーイケてる姿に違い無いというのに!全く!姉上は全く!!」
そんなしょーもないことで今までずっと議論してたんかいコイツらは。折角の姉妹再会を二人きりで過ごさせてやりたいという俺と正宗の気遣いを返しやがれ。
「というわけだから小次郎。『かめらでとったしゃしん』を出してもらおうか。私のイケてる姿を姉上に突き付けて、泣いて謝らせてやるのだっ!」
「だ~れ~が~、だ~れ~を~泣かせるですってぇ~?」
「私が、姉上を、泣かせてやるのだっ!………姉上?」
拳を高く掲げて宣うシュリーズの背後から、おどろおどろしい空気をまとったグリムナが姿を現す。そらま、当然であった。
「シュリ~?ついさっきまで、心細かっただの嬉しかっただのと泣きついてきたのは誰だったっけ~?わたしの~、記憶が~、確かなら~…」
「そ、そこまでやってない!うん、やってないからなっ!いいな、小次郎?!…あ、うん正宗もな。私の本意ではないぞ」
そして今気がついたように、正宗にも念を押す。その姿を俺と正宗はきっと、揃って生暖かい笑顔を浮かべていたことだろう。
「な、なんだその気味の悪い笑いは…」
居心地の悪そうなシュリーズのもじもじした仕草が、それを証明しているのだった。
「それはそうと主よ、本題を忘れているのではないか」
更にその後ろからパタパタと音こそしないが、ちょうどそんな感じの呑気さでラジカセも現れる。
「なんだお前、シュリーズと一緒だったのか」
「この部屋にいないのだから一緒だったに決まっておるだろうが。家主殿よ、その両の眼は節穴なのか」
「いや間違い無く視力は両目とも一・五だが。何せ存在をすっかり忘れていたからな。悪ぃ悪ぃ」
勿論そんなことを聞いたわけではないのだろうが。
「…日毎に我の扱いが適当になっていくよーな気がするぞ……」
「日毎っていうほど長い付き合いでもないでしょーに。それよりシュリーズ、写真がどうしたって?」
「お、おお。そうだ。小次郎、お前ならきっと私の姿を『しゃしん』にしてあると思うのだ。それを見せてくれ」
話が脱線しそうなのを察した正宗が軌道修正すると、思い出したようにシュリーズが勢い込んで聞いてくる。言われて思い出したが、そういやカメラを持って出ていったな、確かに。
「はいシュリーズ。グリムナさんも。お茶入れたから座ってて」
「うむ。我らが部屋にはまだ茶の道具が無いからな。助かる」
「人を住まわせるっていうのに茶道具の一つも用意していないって、どういう了簡なのかしらね~」
…何か勝手なことを言われているが、無視してカメラを取りに行く。そしていつも通りの場所にしまっておいたそれを手に取って思い出したのだが。
「…あ、そういや写真なんぞ一枚も撮ってねーわ。つかそれどころじゃなかったし」
手ぶらで居間に戻るなりシュリーズにそう告げる。そりゃまあヘタすれば命の危機でもあったのだ。そんなことをする余裕があるわけもない。俺も正宗も、何か事があれば前後省みずスマホのシャッターを押すよーな見境無しでもないのだし。
「な…なん、だと…?」
ところが言われたシュリーズは、愕然と呆然を足して二倍にしたくらいの深刻さで半口開けていた。
「あー、それはそうかあ。あたしもあの状況でカメラを構えるとか思いつきもしなかったし。仕方ないよシュリーズ。次が無いことは祈るけど、万が一あったらちゃんと小次郎に言いつけておくから」
「自分でやろうって気はないのか、おめーは」
無茶なことを言う正宗を肘で小突きながら睨むが、ヤツはてへっ、とかざーとらしくもあざとい仕草で誤魔化していた。
「残念だったわね~、シュリ。そういうことだから、もう二度と無い終の姿はせいぜい想像だけで楽しむといいわ~。想像だけならなんとでも美化出来るものね」
あんまそこで煽らんで欲しいんだがな。
まあでも、俺から見てカッコ悪いかカッコイイかで言えば、安全な今で在るから何とでも言えることを割り引くとしても、結構格好良かったとは思う。
それでシュリーズが喜ぶのかどーかは分からんが、もう一度あの姿になる!…とか言い出されても困るので、素直な感想くらいは言ってやってもいいかと隣に座って項垂れているシュリーズに声をかけようとしたら、
「こ………小次郎…お前は、お前は本っ当に…」
「あん?」
「お前は本当に役立たずだなっ!我が一世一代の姿を絵に留める機会を逃すとはなんという失態だ!これが最初で最後の機会であるのだぞっ?!竜の娘が得た終の姿を己が目で見ることなどもう二度と…この、この罪万死にあひゃいひゃい!」
「てめこの黙って聞いていればチョーシこくのも大概にしやがれよこの穀潰し?!」
「いふぁいいふぁい!おえんあふぁいいいふぃまふぃふぁあっ?!」
「えーと、『ごめんなさい言い過ぎました』、と。シュリーズって小次郎にほっぺたつままれると妙に素直だよね」
「うむ、このやり取りは最早様式美の域に達しているな」
「れいふぇいひひへないへふぁふふぇほ!」
「そんなこと言ってもねー、それあたし達の仕事じゃないから」
「まはふふぇ?!」
「おーし、もう助けはないな。思う存分玩んでやるから覚悟しな。ほーれ、たーてたーてよーこよーこ、まーるかーいて…」
までやったところで、殺気を感じて手を離した。
そして無意識に仰け反った目の先を、鉄だか石だか分からんカタマリが文字通り、目にも止まらない速度で通過して静止した。
「………おい、殺す気か」
ソレを指先で突きながらグリムナに文句を言う。
「言って分からないのなら体で覚えさせる。至言だと思うのだけれど~?」
「覚えさせるつもりねーだろ今のは!覚える前に命落とすわ!」
「シュリに無体な真似するなって言ったのに愚行を繰り返すからでしょ~。大丈夫、痛いのは最初だけだから~二度目は無いけれど~」
「のんびりと物騒なことを言うな!おいシュリーズ、あれお前の身内だろ、早く止めろ!」
「…この流れでどーして私が姉上を止めると思えるのだ。図々しいヤツだな小次郎は」
「いいか、止めてくれたら仁村屋のどら焼きを進呈しよう。明日勉強時用の甘味を補充しようと思っていたところだ。お前には三つ…いや四つだ」
「姉上!決着をつけるは今です!お覚悟を!」
「…チョロ過ぎるだろ、主よ」
「まーシュリーズらしくって良いんじゃないかな。っていうかすっかり食い意地張ったキャラが定着してるんだけど」
「ふふふふ…何とでも言うが良い。かの万能なる青狸もこよなく愛したという甘味の至宝…それがついに我が手に!我が口に!」
「ほ~…まだうちに勝てるつもりあるんだぁ、シュリは~。い~わよかかってきなさい。姉より優れた妹などいないことを証明してあげるわ~っ」
「だーっ!!なんでこの狭いところで二人とも武装するんだアパート潰す気かお前らぁっ!!」
「立て続けにうるっさいのよキミらっ!!締め切り間際のマンガ家アシスタントを失業させる気かっ!!」
「うわっ!…ア、アナスタシア殿…これは、これにはワケというか…あ、そうそう小次郎が悪い」
「コジローちゃん…?」
「なんで俺が悪いことになるッ!お前らいい加減に…」
しやがれ────っ!!
…という絶叫が暮夜の町内に轟き、俺はこの後数日にわたってご近所から後ろ指をさされることとなった。
全く、だ。
この賑やかしくも迷惑な、取扱の面倒な居候どもとの暮らし方を、誰か俺に教えて欲しい。
それもできる限り平穏のうちに、だ。
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