5章・『異世界統合の意思』
第34話・あらわれた悪意
その声には、直接脳内に聞こえたかのような違和感があった。
正宗が、シュリーズが、ラチェッタが声の主を求めて周囲を探る中、俺が見たのはまだ横になっているはずの、マリャシェ。
俺だけではなくグリムナも同様に、この場に姿を見せてからずっと自我的なものを匂わせもしなかった、人形の如き存在に対して警戒を露わにしていた。
というかだな、ラチェッタはすぐに気がつくべきなんじゃないのか、と注意を促そうとしたところでようやく気付いたようで、目を剝いて絶句していた。
「ラチェッタ?どうし………マリャッスェールス殿。目が覚めたのか」
「覚めてないわよ。あんたの目は節穴か」
「なんだと?…と、なるほど確かに私が迂闊だったな……何者だ、貴様」
再び粒子状の光と共に、シュリーズが武装した姿に変じる。同時に顕した剣を突き付けながらの誰何の声は鋭く、ラチェッタの指摘にも即座に対応してしまう辺り、寝ぼけたところは無さそうで頼もしい限りだった。
「シュリーズ。まさかとは思うけど、マリャシェに傷でもつけようものなら…」
「今更何を言う。私が全力でかかってどうにも出来なかった相手だぞ。代替わりした竜の娘どころではない。手心を加える余裕なぞあるはずもなかろう」
「…ま、それもそうか」
こちらは武装を一度も解いていないラチェッタ。気心の知れた同士らしい会話は結構なのだが、もう少し俺たちにも分かる内容で話してもらえんものだろうか。
「………」
などと、淡い期待を抱いてグリムナを見やったら、こちらはこちらでじっと黙ったまま、指の一本も動かしてはいない。
だがそれは一切の油断もしない、というよりは何かを待ち構えているという風で、その前方でシュリーズとラチェッタが軽口をたたき合っているのを何か退屈そうに一瞥していた。
「小次郎…なんだかイヤな感じするんだけど…」
「嫌な予感ならさっきからビンビン来まくっているけどな…」
まあ幸いにして俺の『嫌な予感』とやらの的中率は、週間天気予報よりはややマシな程度だ。物事の判断材料にするにはちと頼り無い。
…いや、悪い天気予報ほどよく当たる、なんてことは全くないはずだと思うんだが。つか思いたい。
【さて、そろそろ構わないかい】
そんな他人様に聞かせられない葛藤の中、再び一同の頭にかの声が響く。
構えて聞いてしまえば印象の一つも浮かぶというもんだが、不思議とおぞましい感じはせず、むしろ親しげにさえ思えるのは嫌な予感、が当たらなかったと安堵すべきなのか。
「…そちらから押しかけておいて随分としおらしいことね~」
…グリムナの言い草を聞く限り、今回は当たったと言っていいんじゃないだろうか。なるほど確かに、悪い天気予報ほど、よくあたる。困ったもんだ。
【押しかけた、とはひどいな。ぼくから見れば君こそ押しかけてきたようなものなんだが】
「…姉上、この声の主は知り合いなのですか?」
「い~え、初対面。でもま、多分シュリも知っているとは思うけど~」
「は、はあ…」
とのやり取りから、シュリーズは、そして多分ラチェッタも知らない相手なんだろう。揃って面食らった顔しているところを見ると。
【…そうだね、せっかくだから挨拶はしておこう】
頭ン中に響く声が、どこか愉快そうな調子になる。
ダイレクトに脳で受信する、ってぇのもなんか気分のよろしいもんではないが、何が気持ち悪いかって俺が抱いている印象さえも、実は俺の意志によるもんじゃなくて意図的にそういう風に思えるように、直接的に流し込まれているんじゃないかって疑念がどうしても晴れない点だ。
一応これでも読書はキライな方じゃねーから話で読んだことはあるが、口と耳、あるいは手足を使ってのコミュニケーションよりも直接アタマ同士を繋げるようなやり方で会話する、的な描写がある。大概の本じゃあそっちの方がより上等、みたいな表現をしているのだが、それを見る度に俺は「そりゃ違うんじゃねぇの」と思っていたのだ。
実際体験してみるとよく分かる。これはいつの間にか、自分ってもんが乗っ取られるような感じがして気持ち悪い。長くやってると吐きそうだ。
そこまでハッキリと嫌悪はしていないにしても正宗もそう大差無い感想のようで、額に手を当ててしかめっ面をしている。
「正宗、あんま声に気を遣るな。集中してると持って行かれるぞ」
意味があるのか無いのかは分からないが、顔を寄せてそう告げる。
どう解釈したのかはさておき、それでも俺の目を見て「ありがと」と小さく笑っていたから無駄ではなかったんだろう。
そんな風に用心しておいて、マリャシェ…の形をとった何かを見る。相変わらずそこにいるのかいないのかはっきりしないままだし、声がそこから聞こえているわけでもないが、会話の相手としてこちらが認識することで声の存在感を形にしておくくらいの意味はあると思う。
【初めまして、リリィアの末裔たち。長きにわたる漂泊の末の出会い、真に嬉しく思う】
次にかけられる言葉を構えていたのだが、それは殊の外礼儀正しく、俺の認識に直接働きかけているのかもしれないという疑念込みだとしても、大らかに聞こえた。
「りりいあ、って誰?」
「俺が知るわけないだろ」
肩を寄せて尋ねる正宗にしても妙な気分の悪さなどは無いようで、率直な疑問を口にする様子には特別具合の悪そうな様子はない。
そして肝心の質問の内容だったが、さて知っていそうな三人が三人ともその人名?が出た途端ににわかに緊張したので聞くに聞けなかった。
【…その様子ならぼくの方から名乗る必要はなさそうだね】
「そ~ね。予想はしていたけれど随分早いお出ましで手間が省けそうよ」
シュリーズ、ラチェッタの二人は、声との対話をグリムナに任せて、俺から見てもはっきり分かる位に敵意、という言い方が相応しくなければ戦意を漲らせている。
それでもシュリーズは俺たちを庇うように位置を変え、それがために声の届く距離に入っている。
「…なあ、シュリーズ」
「聞きたいことがあるのは分かるが今は自重して欲しい」
「それは分かるが一つだけ聞かせろよ。そこまで危険ってわけでもなさそうだろ?」
「それを判断出来るのは、この場では姉上だけのようなのでな。私に出来ることなど、精々目一杯警戒していることくらいのものだ」
マジメというか愚直というか、どっちにしても融通の利かんやっちゃな。
「…んじゃあさ、お前が分かりそうなこと一つ聞くけどよ」
「なんだ一体。手短に済ませ」
「リリィアってのは何モンだ?お前らの先祖のようだが」
「今はどうでもいいことのように思えるが……。まあいいが、お前の言うとおり我らにとっては五百年前の遠祖であり、異世界統合の意思をこの地に追いやった竜の娘だ」
絡む俺に多少イライラしながらもしっかり答えてはくれた。
しかし、なるほど。
「…てことは、この声の主がその『異世界統合の意思』って奴か」
「そうだな………………………………って、ええっ!そうなのか?!」
「きゃっ!」
「いきなり大声出すなっ!」
慌ててこっちを向いて叫んだシュリーズの剣幕に、正宗が驚いて尻餅をついていた。
というか前方の警戒とやらは放っといていいんかい。
「お、おい小次郎!それは本当か?!」
「いや本当も何も、こっちにいてお前らに因縁があって、お前らの世界からその意志とやらを追いやったことを知っている奴っていったら本人しかいないだろうが」
「そ、そ…それは大変だ!姉上っ!今我らが対峙している者こそ間違い無く……あ、あれ?」
しらーっとした空気が目に見えるようですらあった。
【その、何と言うか…】
「シュリ…」
「………」
アホの子を見る表情の三人?がそこにいた。
「な、何だ!皆どうしてそんな呆れた顔をしているのだ!」
【この場で気がついていなかったのが最重要人物だけだったというのは予想外だよ。まあいいか…初めまして。ぼくが、君たちが『異世界統合の意思』と呼ぶ者だ】
「…な~んか白けちゃったわね…。ど~も…ヴィリヤノルツェ・グリュームネァ・リュリェシクァよ。ヴィリヤルデ・リリィエリンから数えて二十八代目の長女よ」
「ヴィリヤドリューチェ・ラチェートゥングゥアリュス・アリェシトゥア。リリィアの次女の末で同じく二十八代目。あんたが乗っ取っているのがマリャッスェールス・アリェシトゥア。リリィア三女家の二十七代目の三女ね」
「わ、私はヴィリヤリュド・シュリーズェリュス・リュリェシクァだ…その、そこのグリムナの妹である。見知りおき願おうかっ!」
すげー今更感が漂う自己紹介が飛び交う中、引っ張って立たせようとしていた俺の手を取りながら「あたしたちも名乗った方がいいのかな?」とか悠長なことを言った。あんま深入りしたくなかったので止めとけ、とだけ答えたらえらい不満そうにしていたが。
コイツも時々妙に悪ノリすることがあるからなあ。俺が困る時に限って、特に。
【…結構。これでもう少しまともな話が出来るというものだよ】
一同、しばし脱力の後、他称『異世界統合の意思』から話は再開した。
気のせいか、脳内に響く声に疲れたニュアンスが含まれている。まあ気持ちは分からんでも無い。
「そ~ね。で、一体何を企んでいるのか聞かせてもらえるんでしょ~ね」
【人聞きの悪いことを言わないでもらいたいな。企てごとなのは否定はしないが、何もお話しにある魔王のように振る舞いたいわけじゃない】
くっくっくと、くぐもった笑い声。ま、別に悪印象を抱かせるようなもんでもないが、かといって一緒になって笑い転げようって気になるはずもなく。
「私としてはむしろ悪逆非道で言語道断な悪鬼羅刹の類の方が容赦なく討伐出来て助かるが」
物騒なことをシュリーズが呟いていたが、そんなもん持ち込まれる地元の立場にもなってもらいたい。つーかお前さっき散々翻弄されていただろうが。容赦なく蹂躙されるのはどっちだって話だ。
ま、それはさておき。
「それでシュリを終の姿に換えることで、あんたがどんな得をするのか聞かせてもらいましょ~か。姉的に許しがたい所業なので返答次第では三人で叩きのめすけど」
「…グリムナ、一応アレが乗っ取っているのはわたしの身内だってこと忘れないで欲しいんだけど」
【この女のことかい?であれば心配はいらないよ。ぼくも傷つけるつもりはないからね。そもそも、ぼくの本体はこの世界で自在に活動することには向いていないんだ。折角苦労して手に入れた体なのだから、大事にはするよ】
「いっちいち言い方が上から目線で気に食わない奴ねえ…あんたの事情なんかどーでもいいからとっとと返しなさいよ」
【目的を果たしたらそうさせてはもらうさ。それ以外に役に立つこともないからね。無理して君の憎悪を買う必要はないのだし】
「その目的とやらは、どうすれば果たされるのかしらね~。どっちにしてもろくでもないものでしょうから阻止するけど」
【…そうとも限らないさ。君たちにとっても、ね】
その言葉に何が含まれるのかは知らないが、誘いをかけるような言い方にも三人は動揺することなく、特にシュリーズなんぞはジリジリと立ち位置を変えている。襲撃するのに都合のいい場所の確保でも狙っているのだろうか。
【そしてそこの妹君。ぼくの狙いは君だ】
だが、その運足にはとっくに気がついていたのか。その一言でシュリーズの足はピタリと止まる。
「…どういう意味か。貴様の存在を知り得ていたわけでもない身に価値があるとは思えないのだが」
【正確に言えばひとたび終の姿を得た竜の娘が狙い、だね。残念ながら君個人に対して何かあるわけではない】
「残念とか言うなっ!」
【…いや、そこが怒るところなのか?】
困惑を隠さない口調で返されるが、俺には分かる。きっと「残念」とか言われるのが悔しかったんだろう。そして付け加えれば多分、今まで散々言われていたんだろう。俺だってたまに思うし。
「大体お前と私は初対面だろうがっ!その相手に向かって残念とか失礼なことを言う無礼者の話を大人しく聞くような都合のいい教育は受けておらぬ!…まったく、言うに事欠いて『残念』とか一体何なのだ。誰も彼も最初は恭しく接してくるというのに、そのうちぞんざいになって何かを諦めたよーな態度になって最後には何か幼子を見守るような変に優しげな目で見るようになるのだ!あーもー腹が立つっ!!」
あー、なんかいろいろと鬱憤が溜まっていそうだが、それは多分自業自得というやつだと思うぞ。見てくれだけは群を抜いているから余計にそう思われるんだろうけど、もー少し容姿に見合った言動をすりゃあいいものを。
「うん、分かる。分っかるわあ。竜の娘ってことにどんな幻想持っているか知らないけど勝手に期待しておいて失望するとかどんだけ失礼だってのよ…わたしだってね、好きでこー生まれたわけじゃねーっつーのよ。麗しい男同士の恋情に焦がれて何が悪いってのよ、ねえ?!」
「いや、それは誰にも理解出来ない。世間が正しい」
「なぁんですってぇ?!!」
「うるさいかしまし娘ども!話がちっとも進まないでしょ~がっ!!」
「う、しかし姉上…ラチェッタの人の道から外れた所業にはあなたも迷惑を被っていたはずでは…」
「うちから見ればどっちも大して変わりないわよ~…この点だけはクソ親父に同意せざるを得ないわ」
「…あ、姉上…あなたがあそこまで嫌っていた父上をそこまで言うとは…何と業の深い…」
「な、なんか根が深い話になっているんだけど…小次郎、止めた方が良いんじゃない?」
正宗が顔を引きつらせながら声をかけてくる。いやそれは同感なんだが関わり合いにならない方がよさそうだというのも真っ当な判断というものであって、俺は諦めたように首を振ってみせると、「うーん…」とか唸りながら一歩下がっていた。
とはいってもなあ…と、思案していると後ろから久しぶりに聞こえる声がした。
「…ラチェッタ嬢とああなってはしばらく止みはすまい。両者ともに疲れ果てるまで存分に罵り合わせるのがよかろうて」
「なんだラジカセ。復活したのか」
シュリーズが自我を取り戻したためだろう、いつも通りの調子で近寄ってきて話しかけてきた。
「少し前にな。切り札として出番を得ようと黙っていたが、忘れられてしまいそうなので出張ることにした」
「相変わらずで安心するわ。なら状況は理解しているな。なんとかしろ」
「家主殿こそ相変わらず無茶振りをするな。なんとか出来るのであれば…」
「とっくになんとかしてるってか?」
「いや、むしろ煽ってる」
「本当に相変わらずだな、おめーは!」
まあでも逆に煽ってヘイトをこっちに向けるっつー手もあるのかもしれないが…。
【そろそろ話を戻してもよいかな】
本来ヘイトを受ける役割が目を覚ましたっぽいので、流れに乗ることにする。
「悪いわね~、うちの身内がおバカばっかりで」
「姉上っ?!」
「グリムナっ?!」
おバカ扱いされた二人が我に返って抗議の声を上げる。グリムナの方はしれっとそれを受け流して話を続けた。
「それで、シュリが欲しいという話なのは理解したけど、それならば姉であるうちの許可を得てからにしなさいな~。ヘタな男にあげる気はないわよ」
そーいう下世話な話にするとシュリーズが憐れになるな。欲しがる男がいなさそう、という意味で。
【うん、まあ誤解を招く表現なのはともかくとして、話としてはそういうことだ。その理由は説明しても聞く耳もたないだろうからするつもりはないけれどね】
「お、おいっ!本人の意向を無視して嫁にやるだのやらないだのという話は止してもらおうか!」
「うちの主も相変わらずのようであるな…」
相変わらずのラジカセの主人評も併せて相変わらずだった。
「そ~ゆ~とんちきな誤解はともかくね。『異世界統合の意思』、あんたの目的はかつてと何一つ変わっていないというのであれば…」
【たかだかヒトの尺度で五百年。その程度でぼくの意識が変わるわけがないだろう?】
「…異なる世界の交わりが、互いにとって不幸を招くだけだとしても?」
【その議論はそれこそ五百年前にリリィアと散々交わしたよ。彼女も一切考えを変えることは無かったし、ぼくもそのつもりはない】
「ならば、やることは一つだけ、というわけね~」
【そういうことになるな。シュリーズェリュス、君の身柄はぼくがもらいうける】
「ええっ?!い、いやそこまで熱烈に求められて悪い気はしないが、私にはその、なんというか……っ?!」
まだ誤解の解けていないシュリーズが右往左往しているうちに、マリャシェの姿をした『意思』がその眼前に迫る。
そしてその耳元に何ごとかを囁くと、シュリーズの苦しむ姿が再び俺達の前に展開されてしまう。
「シュリーズ?!」
悲鳴に近い正宗の叫びが、潮の匂いがたちこめる海浜公園に、木霊した。
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