第31話・ラチェッタ特攻

 「アハ!カハ!ファハハ!アハハハハハハ……」


 その哄笑はとうに人の放つものからはかけ離れ、およそ意志と呼べそうなものが一切見て取れない動作はしかし、執拗にマリャシェを狙うことだけは止めようとしなかった。

 そして、現れた時からずっとシュリーズに対して優位な攻めを続けていたはずのマリャシェは、防戦一方という態…いや、そもそも防ぐという意図を全く感じさせない、ただ機械的にこの戦闘を長引かせようというつもりしかないかのように、俺には見えた。

 だから余計に、戸惑い…いや、これはなんというか…。


 「ハハ、ハハハ…」


 耳障りなシュリーズの笑い声。単に空気が口から洩れている音を聞かされているようなものなのだったが、その口だってとっくに兜に覆われて見えなくなっていて、


 「…小次郎、シュリーズが、おっきく…」

 「………」


 それでも戦いを俺たちから引き離そうという意地だけは残っているのかもしれない。一度の撃ち込みの度に、一歩ずつ俺たちから遠ざかっていく。

 そういうことに気がついて、そして俺が抱くこの気持ちの正体が、分かった。


 「………何やってんだよてめえは!自分の正体失ってそんなにまでなって!それでいて誓ったことだけ守ろうとするとかどんだけ!お前は!……」

 「小次郎!何言ってんのよ!」


 うるせえよ、あのアホはあれでまだ最後にまでなんか遠い状態だ。それを見てただボケッとしているだけの自分に滅茶苦茶腹が立つんだよ、俺は!


 「正宗、とりあえずここからシュリーズの名前呼んどけ。それで正気取り戻すとか都合のいい展開なんざ期待出来ねーけどよ、俺たちゃ出来ることだけでもする意味があるだろ?」

 「………う、うん。そうだね。友達だもんね!」


 そういうこった。

 正宗の頭に軽く手を乗せてグリグリしてやると嫌がるように身を捩りながらも、結局は納得したかのようにニカっと不敵な笑みを浮かべて答えた。ああこりゃあ心強い。


 「…さて」


 その正宗の、シュリーズへのエールを背中で受けながら慎重に近付いていく。

 怪我をしたくないのは事実だけれども、大事なのはシュリーズに俺と正宗を害させないことだ。そうなっちまってはあいつに自身の誓いを破らせてしまうことになる。


 「…シュリーズ、間違うなよ」


 聞こえるわけのない呟きではある。けど、その聞こえるわけがない声が届いたかのように、一度あいつは金色の瞳をこちらに向けた。そこに宿る光には何かしらの意図があるように思えた。

 目的ははっきりしている。ラチェッタが姿を現すまでの時間稼ぎだ。

 シュリーズがああして暴れ回っている間は、最悪の状況にはならない…と、ラジカセの言うにはそんな具合だ。

 そして今は、シュリーズに余裕がない分、押し切られそうになっている。

 …だったら、俺のやるべきことと言えば。


 「…おいそこの年増!男子トイレ覗くよーな欲求不満だったらいい場所紹介するぜぇ!何せ女の形してりゃ何でもいいってな下品な奴らにゃ事欠かねェからよッ!!」

 「いきなり何品の無いこと叫んでんのさこのバカ!」


 後ろから怒られた。

 いや要するにマリャシェの気を引いてシュリーズの負担を減らせりゃいいと思ったんだが、そもそも自意識の無い相手に効果があるかどうか。


 「うるせー!こっちにはこっちの考えがあんだよっ!そっちは自分のやることやってやがれ!」


 つーても手出し出来る状況でないのは自明だ。口で煽るくらいしかやれることの無い身がちと歯がゆいが、何もせんよりはマシってもんだろう。一応は、一瞬動き止まったようにも見えたしな。


 「へいへいへい!そこのお・ば・さ・ん!そろそろ腰に来てやいませんかねぇ!ご休憩ならあちらだぜ!あ、男連れでないと入れないけどなっ!!」

 「ぬわにヒトの叔母を商売女みたいに言ってくれやがるかこの受け専男っ!!!」

 「おごわっ!!」


 もしかしてマリャシェの憤怒の表情が拝めるかもと期待したのだが、憤懣に満ちたツッコミは横合いからの跳び蹴りと共に訪れた。

 吹っ飛ばされた俺は四回転半ほどしてようやく制止し、こんな目に遭わせた張本人の姿を見つけると文句をつける。


 「…けっ、何だよえらい遅かったじゃねーか」

 「あんな呼びだし方されたら警戒するのもたりめーでしょーが!…さて、早速だけど随分楽しいことになっているじゃない、シュリーズ」


 とっくに戦闘態勢になっているラチェッタは、腕組みでシュリーズを睥睨する。


 「それから…マリャシェ。無事、とは言い難いようだけどともかく生きていて良かったわ。わたしのこと、分かる?」


 続いて叔母を気遣う。油断はしていないようだが、それでも親しみと安堵の込められた口調だった。


 「小次郎、大丈夫?!」

 「あー、なんとかな。ところで『ウケセン』って何のことだ?」

 「さあ?後で聞いてみれば?」


 聞いたらろくでもないことになりそうだから正宗に聞いたんだけどな。

 ともかく、駆け寄ってきた正宗の手を借りて立ち上がる。

 シュリーズとマリャシェの対峙は押し入ってきた闖入者によってともあれ中断されたようで、相変わらず意識の無さそうなマリャシェは相手が誰か分かっているのか分かっていないのか、それでもラチェッタの方を呆と見つめている。

 ならば、と俺はシュリーズの方に駆け寄ろうとしたが、脇を通り抜けようとした時にラチェッタに止められた。


 「…今近寄らない方が良いわよ。アレ、そろそろ正体失いかけている」

 「どういう意味よっ!」


 信じられない、とラチェッタに正宗が食ってかかる。


 「…悪かったわ。もう少し早く着いていれば間に合ったかもしれないけれど、わたしが着いたことで気が緩んだみたい…一気に進んでしまったらしいわ」

 「あん?」


 目線をシュリーズから一切逸らさずにそんなことを言う。そしてその不吉な文言に呼応したかのように、シュリーズはゆっくりと起き直り、右手に握った剣を取り落とすとこの世のものとも思えない嘶きと共に両手を拡げ、それから一際大きな叫びを上げて、固まった。


 「ちょっ…何が起こるの?」


 俺の腕にしがみついて正宗が震え声で呟く。


 「…あー、コジロウ。悪いんだけどさ、アンタはその子連れて逃げてくんない?」

 「何だと?」

 「シュリーズが何を言ったのかは知らないけどさ、きっとあの娘のことだから、絶対あんた達を守るみたいなカッコイイこと考えてたんでしょうよ。それを違わせたくなかったら、さっさとここを離れて欲しいワケよ」


 そう言って抜剣する。相変わらず細身のレイピアだった。

 俺たちがどうするか決めかねているうちに、シュリーズの鎧は固まった姿勢のまままた膨張を開始した。

 腕が、足が、腰の後ろから跳ね出した各部のパーツが張り出しを大きくし、やがて一つの形をとっていく。


 それと共にシュリーズのヒトとしての形はどんどん失われ、ただ呑み込まれるように鎧の内側に収納されてしまった。

 そして、膨張を終えたソイツの形は…。


 「ドラゴン…?」


 頭の先から尻尾の先まで、という表現が正しければ、だがその全長は軽く十メートルは超えようという大きさで、四肢を地面につけて伏せている姿は、話にだけ聞くドラゴンのようにしか、見えなかった。


 「あれが狂戦士化した竜の娘の最後の姿よ。ま、わたしも見るのは初めてだし、ああなった後にどんな力を振るうのかも知らないんだけどね」


 まるでちょっと買い物に行きますみたいな軽い口調で、レイピアを振り回しつつラチェッタは一歩踏み出す。

 それを見て鎌首を上げたドラゴンは、肘から肩のところにかけて生えた翼状のものを、威嚇するように震わせてジロリと俺たちを眺める。


 「…まさか、本当にシュリーズなの…?」

 「残念ながらね。ああなったらどうなるのかしらねー。あのコも、それを止めようとするわたしも」

 「おい、まさかお前」

 「ね、ねえ…一緒に逃げた方が良いよっ?!」


 正宗の必死の懇願、とみたか、ラチェッタは一瞬たりともシュリーズから離そうとしなかった視線を正宗に向けて問うた。


 「…アンタ、名前は?」

 「え、あたし?…その、正宗だけど…宮木政宗」

 「マサムネ、ね。んじゃあさ、コジロウ、マサムネ。マリャシェをお願いするわ。シュリーズをああするのが目的だったのだとしたら多分当面は危険は無いと思うから、連れて逃げて」

 「…あのよ、もしかしてお前」


 ラチェッタは再びシュリーズに目を向けて溜息と共に呟く。


 「こういうの何て言うんだっけ。シュリーズが詳しかったと思うんだけど…ああ、そうそう、『死亡ふらぐ』だったか。ま、そうは言っても死ぬつもりなんて毛頭無いんだけどね~」

 「おい止めよろ、そういうこと言う奴は大概最後は…」


 止めようとした俺の視界の隅で、竜が頭を天頂に突き上げ。


 「────────────ッ!!」


 「ひっ!」

 「わっ!!」


 そして咆吼を轟かせた。


 「…あらぁ、随分とやる気十分じゃないの。ま、あのおバカが考えるのを止めたところで何も変わりはしないけどね。じゃあ、あとよろしく」


 小走りに駆けていくラチェッタ。その何も気負いのない背中はしかし、戦意に満ちてこれ以上俺たちに声をかけることを躊躇わせた。


 「ねえ小次郎!どうすればいいの?!」

 「俺が知るかっ!警察でも自衛隊でも呼んでどうにかするしかねーだろうが!」

 「じっ、自衛隊って…シュリーズ退治されちゃうよっ!!」


 混乱して俺も正宗もまともな発想が出てこない。

 それでも、ラチェッタに託された人の姿を認めると、俺は立ち上がってそこに駆け寄ろうとする。


 「くっ、そ!出来ることがあるうちはやらにゃあならんもんな!」


 マリャシェは既に気絶したかのように、倒れ伏したままピクリともしない。抱き起こそうとしていつの間にか鎧姿ではなく、どこか和服が異国風にアレンジされたような姿になっていることに気がついた。これがあいつらの国での普通の姿なのか、とたわいないことを考えながら意外に軽い女を肩で支えて立ち、雄叫びと共に竜に飛びかかるラチェッタに目を向けた。


 高さに違いがあるから仕方ないとはいえ、刺突が主な攻撃手段になってしまうラチェッタにとっては、上方向への攻撃はどうしてもやりにくいのだろう。一歩の速さと距離は半端ないとはいえ、結局竜のすぐ目の前で足をついて跳び上がることが、攻撃にはどうしても必要になる。

 そしてそれが分かっていれば、ラチェッタの攻撃を防ぐ、あるいは逆に攻める手立ては容易だ。最後の踏みきりの瞬間を狙えばいい。


 「…甘いっ!」


 だが、ラチェッタはそんなことは先刻承知とばかりに、最後の一歩を踏み込む足を換えて襲いかかってきた竜の前足を避け、逆に懐に入り込んで必殺の一撃を加えようとする。

 体格差が大きければ、小さい方は接近してしまえば有利になるという分かりやすい手練手管だった。


 「いける!」


 会心の一撃、とまでは行かずともダメージを与えるのは確実だと思った刹那、それが届く瞬間に竜は体を捩ってその刺突を躱した、ばかりかそのままの勢いで人間の胴回りをはるかに超える太さの尻尾で逆襲を試みた。

 巨体に似合わない機敏な動きにラチェッタは対応しきれず、かろうじて空いた手で受け止めはしたものの地に足がついていない状況ではその勢いを殺しきれず、その身に襲いかかった勢いそのままに体躯が吹き飛ばされてしまう。


 「ラチェッタ!!」


 名前を呼んで無事を願ったが、辛うじて受け身を取りながら転がった体はすぐには動かなかった。

 それでも、自分が息を呑む音が分かる静けさが数秒続いた後、むくりと起き上がって、


 「あ~…ビックリした。ちょっと舐めすぎてたわ」


 などと余裕をかましていたので、若干ホッとする。


 「ったく、考え無しに暴れ回るしか出来ないと思ったら結構やるじゃないのさ。もしかして正気の時よりも冷静なんじゃないの?アンタ」


 酷い言い分だが、強がりの一つでも口にしないと立ってられないのかもしれない。ハッキリ目に見えるくらいに足下がふらついている。


 「カマしている場合か!来るぞ!」

 「言われなくてもっ!!そっちこそ頼んだことはやんなさいよ!」


 それこそ言われるまでも無い。抱えたマリャシェを背中に背負うと、その場を離れて突っ立っている正宗のところに駆け寄る。


 「ああくそっ、体重があるわけでもないのに気絶している人間ってなあ重いもんだな!」


 愚痴りながら小走りに駆ける俺の背中で、ゴウッっという音と共に質量のある何かが跳ねる気配がした。

 考えるまでもなく、竜がラチェッタに襲いかかったのだろう。口に手を当てて悲鳴を堪える正宗の姿が目に入り、慌てて振り返った俺の目には、大きく口を開けて低く跳ぶ竜の姿が目に入った。


 「っ!」


 まさかそんな機敏な動きをするとは思っていなかったのか。まともにその勢いを受けてしまうかのように見えたが、それでも致命的なダメージは避けようと身を捩るのと後ろに踏み込む動作を同時にしようとして、しかしそこで力の入らなかった足に、裏切られた。


 「だめっ、シュリーズ!!」


 とうとう悲鳴を抑えられなくなった正宗の懇願が届いたのか。

 バランスを崩して完全に無防備になっていたラチェッタの首を襲おうとしていた顎は寸前で軌道を変え、彼女の前髪だけを文字通り掠めて、しかしその巨体の突進する勢いだけは変わらず、洒落にならんエネルギーが一体となってラチェッタを襲う。

 だがそこでもつれた足が幸いした。意図しない動きではあったのだろうが、竜の力のベクトルから逸れていた体は、軽く擦っただけのように吹き飛ばされて横に投げ出され、飛んだ距離こそ大きかったが低い位置でラチェッタは片手を地面につけて体を回し、何事もないように二本の足で着地してみせていた。

 そして正宗に向かって一瞥。

 ほんの一瞬のことだが、何が起きたのかはよく理解していたのだろう。俺には口元が笑っていたように見えた。


 「…よかったぁ……」


 正宗もそんなラチェッタの仕草に気がついているのか、安堵の息をつくが、事態が好転したとは到底言えない。ラチェッタでは竜に抗し得ないことだけが時間と共に明らかになっていくだけだ。

 そしてそれは攻め手を欠くことになり、空元気じみた余裕こそ失っていないものの、ラチェッタは自分から手を出すことを躊躇うように見えている。


 「くっそ…もう逃げるしかねえんじゃねえのか、これ…」

 「で、でもここで逃げたらシュリーズどうなるのよ?」


 んなこと知るわけねえだろ、と言いかけて止めた。それは俺にとっての逃げにしかならないと分かったからだ。

 今現在、どういうわけかこの騒ぎを聞きつけて無関係な人間が姿を現すようなことはない。ラチェッタが何かやっているのかと思ったが、シュリーズがラチェッタと争っていた時に人目を避けようとして苦戦していたことを思い出し、それは無いと首を振って否定する。そんな余計なことが出来ているならもっとマシな戦いになっているだろう。

 それとも、人目を退けているからこそ、ここまで苦戦しているのか。


 「いや、違うな…」


 ラチェッタがシュリーズに対して圧倒的な力を持っているのなら、海岸でやりあった時の勝負は逆になっていただろう。

 となれば、シュリーズの意識があって力を及ぼしているのか。

 有り得ないこともないが、そんな不確実なことに託してもいいのか。それをアテにしてラチェッタともども逃げ出していいのか。

 そうして迷っているうちに、竜が何かを飲み干すように高く首を掲げる。

 ドラゴンの予備動作…嫌な予感しかしねえ……火を吐くとかそういう真似をしようとしているんじゃ、と慌てた俺と同じ予想をしたのか、息を荒くしながらもどうにか対峙していたラチェッタが吶喊の構えを見せた。


 「止めとけ!」


 と叫んだ俺の制止を無視し、力の入らなくなっているだろう足を精一杯に踏ん張って竜の頭を目掛けて、剣先諸共に飛び込む。

 勢いは勿論最初の頃に及ばない。だが気迫は凄まじく、捨て身を覚悟した攻撃はもしやとの願いを俺と正宗に抱かせた。

 そして、その剣が竜の顎に届くか竜の口腔から迸る光が放たれるかと見られた瞬間。


 ゴウ。


 音としてはそうとしか表現のしようのない爆音と共に、両者の間を何かが通り抜けた。


 「あぐっ!!」

 「…ッ!」


 その勢いに煽られ、ラチェッタは地面に転がされ、竜は仰け反って一瞬両足立ちのようになる。

 即座に駆け寄ろうとしたが、背中に背負った人一人放り出すわけにもいかず、それでも起き上がる様子を見せた彼女に幾分安堵すると、代わりに竜の姿に目を向けた。


 「…なんだよ……」


 体表のあちらこちらに突起の突き立つ禍々しい風体は維持されたままだったが、無機質な暴虐の輩を思わせていた金色の瞳には明らかに戸惑いのようなものが浮かび、俺はそこに面影を見て、背中の重さも顧みずに近くに駆け寄った。


 「小次郎!危ないよ?!」


 正宗が止めようと叫んでいたが、丁度良い。お前はそこにいてくれと振り返って心配そうな顔を確認すると、もう手で触れそうな距離から名を呼んだ。


 「シュリーズ!」

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