僕は君との約束を、守ることができたのかな。

白石 幸知

プロローグ 葉桜混じる、ある一日。


 柔らかな風が、彼の頬を撫でた。変わってしまった日常にも、もはや慣れてしまった新学期の春。通学路の川沿いに咲く桜の木にも、少しずつ葉桜が混じり、一つの季節の終わりを感じさせる。

 川のせせらぎ響く午後のひととき。帰り道に歩く細いこの道は、幾度となく彼の青春を切り取った大事な場所だ。

 ふと、彼は水面を反射する光につられるように、ひとひらの散った桜を視線に捉えた。踊るように揺れ落ちて行く花弁は、彼の視線を固定させることなく、あざ笑うかのように水の表面に落ちた。

「……そっか」

 別に、端から見ればただの桜の花弁だった。しかし、それは彼にとって大事な、大事なものだった。だから、家に向かう足を止めて、舞い落ちる桜を見つめていた。

 ──桜流し。

 彼の住む地域で有名な、おまじない。

 川の脇に並ぶ桜の木の、特定の花弁を選んで、自分が歩いたときにその花弁が散るところを見ると恋が成就するという、おまじない。

 色々と突っ込むところはあるかもしれない。どうして桜が散るのを見ると叶うのか、とか。まあ、そこは気にしないでもらいたい。かれこれ、三十年以上は続いているおまじないで、近くの高校とかでは、それなりに話題になるものだから。

 そして、今、彼が足を止めたのも。

「……落ちた、んだ……」

 彼が、誰にも言うことなく決めていた桜のひとひらが、舞っていたから。

 普通なら、喜んだり、何らかの決意をしてしかるべき場面かもしれない。しかし、彼はそうはしなかった。水面に浮かんだまま川下に流れて行く「想い」を眺めては、ぎゅっと肩にかけているカバンを握りしめる。

「……遅いよ、もう……それに──」

 彼は、困ったように笑いを浮かべながら、頭上に浮かぶ青空を見上げる。雲一つない、真っ青な空。

「隣に、いないんだから」

 大空を横切る鳥を視線で追いかけては、彼はそう呟いた。

 もう、そう言えるくらいには、彼の日常は変わって、そして慣れてしまった。悲しいくらい、自然になっていたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る