懺悔のドラム①

 虻川光国は腕を縛られていた。殺風景な地下室にいることはかろうじて理解できる。地下室特有の黴臭さはなく、しっかりと空気が循環しているのを彼は感じた。内部が白一色で統一され、精神病棟なのでは?という疑念が一瞬過った。


 が、光国に精神に変調をきたしていたという記憶もなければ、徴候もない。なにかどこかで見たような光景だ。


 そうだ。と手をパンと叩こうとしたが、手はしっかりと縄で縛られていた。


 やれやれ、この状態では政治家兼経営者の肩書きが泣く、彼はそう考える。たしかに非常な決断や仕打ちをこれまでしてきたがそれは法律の範囲内で行ったことだ。口にガムテープを張られ、腕と足は縄で縛られるという始末。


「ねえ、何考えてるの?」光国の背後がから声がし、「当ててあげようか。なんで政治家兼経営者の俺がこんな目に、とかでしょ」的を得た解答を示した。


 虻川の目の前に革靴を履いてるにもかかわらず一切の足音を立てず男が姿を現した。二十代前半。肩まである髪の毛は毛先がくるっとカールしている。黒縁眼鏡は妙に様になっている。筋肉質な体型は白いシャツからのぞく手首を見れば明らかであり、ジーンズは褐色の良い青と爽やかな出で立ちだった。手にはコカコーラが握られていた。


 男は虻川のガムテープをむしり取った。

「き、君は誰だ?」

 虻川はどもりつつも怒鳴る。


「いいねえ。その反応。〝き、きみ〟ってどもる感じ凄い好き。ほら、ミュージックの最後の部分でもあるじゃない。演奏をジャーンで終わらせるんじゃなくて、徐々にボリュームを絞っていく感じ。ボリュームを絞る最初の感じに、光国さん声が似てたよ」


 快活な口調で男が喋る。その滑らかな口調に選挙演説を頼みたいという願望が虻川の中で起こった。


「だから、君は、誰なんだ」


「口調がナチュラルに戻っちゃたよ。つまんないの」

 男はコーラを飲み、綺麗なゲップを鳴らした。トライアングルを一度鳴らした後の余韻がそのゲップにはあった。


「だから、君は、誰なんだ」

 虻川は再度言い放つ。


 その刹那、陽気だった男が虻川の眼前に顔を寄せ、「ねえ、君は誰だ?って言われて、こういう状況で答える人っている?」と冷徹な声音で言った。ここ数十年、恐怖とは無縁だた虻川も股間が縮み上がった。男の瞳にある一点の感情が読み取れた。


 そう、〝絶望〟。暗く淀んだ瞳だった。


「だから、ひとつ一つ解決していこう」とさっきまでの陽気な表情に男は戻り、


「なにか質問はある?」と言った。

 虻川は考える。この目の前の男は会ったことがないのはたしかだ。断言できる。いや、本当にそうなのか?毎日、何十人、何百人と会う。もしかしたら知ってはいるけど、記憶にない。もしくは印象になかった。利益とは無縁の男だった。それならば忘れててもしかたがない。金にならない人物など、虻川光国にとって何の意味をなさない。

 なら、男が誰か?なんていう質問は封印していこう。


「ここはどこだ?」

 虻川は自分の思考が固まり、少し悦になり言った。


 が、「嘘でしょ。嘘でしょ」と男は二回連呼し、「自分が法案としたんじゃないの。嘘でしょ。信じられない。嘘でしょ」と明らかに虻川を小馬鹿にする口調で言い、コーラをまた飲んだ。


 虻川は辺りをもう一度見回す。男が現れた背後を確認し、暗証番号式の扉があり、その左手には白一色に統一された空間には似つかわしくない青色の冷蔵庫があった。

 思わず、「あっ」と虻川の口から声が漏れた。


「ご明答。気づいたみたんだね」

 一切無駄のない歯並びを見せながら男は笑った。


「ここは、『氷河施設』ということか」


「そうだよ。だから政治家って信用できないんだよね。法案通せばあとは知らんぷりでしょ。完成系も見たことないなんて信じられない。だから肌の色もドス黒く脂ぎっしゅでジューシーステーキみたいなんだ」


「私はちゃんと見たぞ」

 虻川は語気を強めた。


「どうせ映像でしょ、それか模型かな」

 男は言い、虻川は沈黙する。なぜなら図星だった。それも映像と模型両方だ。


「この施設でさ人類は存続できると思う?」

 男は半信半疑な表情で訊いた。


「実際のところはわからんな」と虻川の額から汗が流れ、「備蓄は数十年分はあるし、その期間で地上がどうなってるかにもよるが、それでも人類の大半は死ぬ、と言われている」


「ねえ、なんで把握してないかな。凄い重要なことだと思うんだ。失言したくないの?光国さんの存在自体が失言の塊だよ」

 男はケラケラと笑った。


 虻川は敵意を剥き出しにした。必ず、この状況を切り抜けたら、この男を痛い目に遭わせてやる。


「ああ、ああ、ああ、そんな目つきしちゃって。プライド高いんだからさ。野心強すぎなんだよね。野心が強すぎるからこんな状況に陥るんだ。野心ってね」と男はコーラを一口飲み、「適度が一番だよ。適度な野心が人を成長させるんだ」とコーラの缶を握りつぶした。


「野心が強いから私はここまで、この地位まで昇りつめた」

「ねえ、お金とか地位だとか名誉だとか、って墓場まで持って行けるの?その三点セットを得るってことはたくさんのものを犠牲にしてきたんだろうね。光国さんが上等なワインを飲んでいるとき、他の人は必死こいてさ汗水垂らしてこういう施設を作ったりして些細な幸せを満喫してたんだね」

 男は天井を見上げた。


「勝者が入れば敗者がいるのは当然じゃないか」虻川は言った。


「見解の相違だね。勝者だ敗者という世界はさアスリートだけにしようよ。僕らみたいな人間はどれだけ人の役に立てるかじゃないの」

 男は天井を見上げた。


「役に立ってるじゃないか」


「そう思い込んでるだけでしょ。ある政治家兼経営者が言いました。〝私の職業は忙しい〟って」男は天井から視線を虻川に移し、「仕事でどれも忙しいよ。そもそも政治家や経営者ってそんなに偉いの?ねえ。だってその職業を自分で選んだんだから忙しいとかいう以前に職務を全うしようよ。そういう人間って少ないよね。みんな、どんな仕事で、どんな職業で、どんな人を相手を介して給料を貰ってるかって、考えてるのかね。そういう意識を持ってる一流と、邪な考えで私利私欲しか興味のない光国さんみたいな人、どっちが優秀かな」

 男はじわじわと虻川を追いつめる。


 そして虻川は苛立ちを隠せない。なぜこんな若造にこんなことを言われなければならない。男が言っていることは綺麗事に過ぎないと、彼は思う。思う、はずだった。しかし本当に綺麗事なのだろうか。かつては自分も正義感溢れ、理想に向け向上していたのではないか、この状況になって過去が徐々に蘇ってくる。

「徐々に侵されて行くんだ。心が」

 虻川はそれだけ言った。


「類は友を呼ぶっていうからね。悪どい利益になることしか考えない人達を引き寄せちゃったのかな」

 男は虻川の感情的になる表情を見て楽しんでいるようだった。


「違う!違う違う」


「何が違うの。事実、悪魔に魂を売った人が僕の目の前にいるじゃないか、光国さん」男は軽い調子で言ったが、虻川には極寒の地にいるかのような響きを帯びていた。


「よほど、私に恨みがあるらしいな。何が欲しい、金か。個人用の地下施設か」

 虻川はいつもの人の弱みにつけこむという手法をとる。


「ねえ、光国さんって、光を国に照らす、って書くよね」

 男は虻川に訊いた。


「〝照らす〟は入っていないがな」

 虻川は訂正する。


「光が地上に降注いだら照らさない方がおかしくない?そういうアマチュアな考えだから、今みたいな現状のように両手両脚を縛られるんだよ、バカ」

 男は言った。


「充分照らしてきたじゃないか。充分」


「錯覚だよ。不満しかないよ」と男はポケットからリモコンを取出しボタンを押し、「ねえ、これってどういうことなんだろ。政府の何人かは国民に死んでもらいたいのかな。ねえ、光国さん。なんか暑くない?」危険な光を帯びた目つきをし、男は言った。


 虻川の身体、いや顔面には尋常ではない汗が噴き出している。夏の暑さでもここまで汗をかかない。代謝が悪いのだ。医者からは脂類、酒、煙草は禁止されている。〝寿命が縮まってますよ〟と半ば断定的口調で脅しをかけてきたときは、虻川もそれら粗悪品を摂取するのをやめた。


 そして、この暑さ、この熱量、まさか。虻川は今まで垂れ流していた汗が引くのを感じた。

 恐怖。それしかなかった。


 しかし、なぜこの男がそれを知っているのだ。これはごく一部しか知り得ない情報のはずだ。

「ははあん」と男は独特の奇声を発し、弧を描くように立っていた場所をぐるぐると回り、そして虻川を見据え、握りしめていたリモコンをドラムでも叩くかのように、振った。手首のスナップが効いて軽やかだった。

「やっぱりデンジャラスな計画があったんだ。『ファイアー・ジェノサイド』だっけ

?」

 男は不適な笑みを漏らした。


「なぜ、それを」虻川は目を見開き、「国家最重要機密事項のはずだ。ごく一部の人間しか知らないはず。なぜ貴様が」唾を飛ばしながら言った。


「うるさいなあ。本当歳をとると無駄な知識ばっかり増えて頭の固い人ばっかりが増える」やれやれ、と男は両手を上げた。


 男がリモコンのボタンを押した。冷やリとした空気が虻川の頬をかすめた。

「国家最重要機密、か。そりゃそうだよね。こんなことが公になったら大パニックだ。あれでしょ。どうせ食糧の備蓄はいずれ無くなり、それまで施設に籠って、生きる希望を見出していた人は、不安になる。するとどうなるか?」

 男は虻川を見据えた。


 虻川は押し黙った。シュミレーションの先を知っているからだ。男がさらに話を続けた。


「まずは人々の間で疑心暗鬼が起きる。当然だよね。長い間質素な生活を続けていて、お腹は満たされない。もしかしたら性のはけ口を探して強姦が起こるかもしれない。さらには赤ちゃんを身ごもり、施設内で出産し、赤ん坊の泣き声が鳴り響くかもしれない。ねえ、光国さん想像して。ねえ想像してみて。ただでさえ神経がピリピリして、人々の目の下には隈ができている。なぜってかつて仲間や家族だった人が信じられなくなってるから寝不足なんだ。人間は性欲、睡眠欲、食欲。という三大欲求で成り立っているんだ。一部が少しずつ肥大にうまくバランスがとれないと、徐々に争いが起きる。うん。もちろん平和で治安が安定しているときだったら人々の間で争いは起きずらいよ。だってある程度は三大欲求は満たされるはずだから。でも、でもこの施設内という集団がはびこる環境下ではそうはいかない。そうだよね?あらゆる科学者、心理学者、精神科医、もちろん設計技師も加わって、あらゆるシュミレーションをしたはずだ」


 ちょっと待って、と男は虻川の背後に回り、青色に塗られた冷蔵庫からペットボトルの水を取出し、勢いよく飲んだ。虻川も唾を飲む。舌が干涸びていた。蛇の抜け殻のように。


 すたすたとゆっくりとした足取りで虻川の前に男は向き直った。

「ねえ、自分たちがよければそれでいいの。ねえ、なんで秘密にこんなことを考えるかな」


 男は声を落とし言った。そこには感情の一切合切が含まれていなかった。

「私は反対したんだ」

 虻川は声を出す。


「嘘だ」

「嘘じゃない。私はこんなことは人道に反していると何度も訴えた」

 虻川は必死に訴える。


 が、「嘘だね。僕は知ってるんだ。ねえ、なんで嘘つくの。ねえ、どうして光国さんみたいな人が政治家なの」男は言った。


 虻川はある既視感を覚えた。この、ねえ、を付ける喋り方に対して。昔、一緒にいた友のことを。夢を追いかけたあの日のことを。

 たしかに、〝ねえ〟と付けて喋る人は多い。


 が、この男は多すぎる。どこか意図的、常にそういう物言いをしてる人物が身近にいたかのように癖になっている。


 虻川のごく身近にいた人物だ。頭の中で線が繋がりそうになったが、男の喋りがその記憶の線をぷつりと断ち切る。

〝まだ、早い〟そう誰かに虻川は言われてるような気がした。


「で、さっきの話の続きだけどさ。シュミレーションをした結果、日本人がどんなに忍耐強い生き物でも、精神に多大なストレスがかかり、争いが起こるとふんだわけだ。普段は冷静沈着な人も取り乱し、凶暴な人はより凶暴になる。常に不安を抱いている人は、より一層の不安が押し寄せる。そんな感情の嵐がぶつかりあったら、どうなるか?そう、悲劇しかないよね。それを食い止めようと、跡形も無く焼くというよりは、人間の身体の内部を沸騰させ蒸発させる?と言った方がいいのかな?だから死ぬときは骨だけしか残らない。綺麗なもんだ」

 男はさっぱりとした口調で言った。


 それにしても虻川は訝った。なぜ、この若造がここまでの情報を知り得る。ハッキング?いや、それはない。データもかなりのセキュリティを施し厳戒態勢で望んだ。ハッカーが少しでも網に引っかかろうものなら、すぐにわかる。そんな徴候はなかった。施設内はひやりとした空気が漂っているが、別の意味で額に汗が滲んだ。そのせいか虻川の身体中は汗臭い。


「ねえ、不思議そうだね。なんで僕がここまでの情報を知ってるかって。ねえ、気になる?人ってさ、目に見える恐怖なんて実はたかが知れているよね。だってほら光国さんも僕に慣れてきたじゃない。そう、本当の恐怖って目に見えないもん」

 男が淡々とした口調で言った。


 目に見えない恐怖?まさか、この男は?虻川がこの世のものとは思えない表情で男を見た。


「ふふ、だんだん気づいてきたみたいだね」男は余裕綽々の表情で、「だから人は、陰口や噂や目に見えないところでの言い草に腹が立ち、不安がある。そう、〝知りたい〟んだ。今の光国さんも知りたいでしょ。僕が誰だかわからないから、不安なんだ。ねえ、でもその不安を解消するには、〝知る〟しかないよ」

 男は笑った。面白いから笑ったのではない。絶望の笑い。彼は孤独なのだ。だから本当に満遍の笑み、心の底から笑うということをしない、いや忘れたのだ、と虻川は思った。


 〝ねえ〟という言い回し、さらには、〝目に見えない恐怖〟という言葉、かつて昔、そんなことを言っている人物が一人だけいた。

 虻川はその人物をライバル視した。


「君は、海原透なのか。しかし、君は」

 虻川は次の言葉がでなかった。


「それは僕の父親でしょ。こんな若いはずないじゃん」と男は言い、肩をすくめ、息を一度吐き、指を眺め、虻川に視線を移し、「あなたが見殺しにした父親の、息子だよ」と淀みのない口調で言った。その男の目には、さらなる光が宿っていた。

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