ボーカルはあの子④
カラオケで熱唱した翌日、聡は洋一に言われた通り部室に向かった。部室といっても視聴覚室をあてがわれただけであり、演奏の音が漏れていた。
「失礼します」
と誰に聞こえるでもなく丁重なな姿勢を崩さず聡は扉を開けた。
扉を開けた瞬間、ちょうど演奏が終わりを迎え、一斉に視線が聡の方に向く。
「おお、聡。きたんか」
洋一がどこそかの方言を混ぜつつ聡に歩み寄り、「ロックよろしく」と言わんばかりの熱い握手をされた。見渡すとギターが洋一の他に一名、ベース、トラムという編成だった。ロックバンドでよくある編成であり、聡がプロのライブ映像を観てたのと違って華がなかった。
それは当然か、プロではないのだから。
洋一が聡を他のメンバーを紹介し、聡に他のメンバーを紹介してくれた。他のメンバーは違うクラスの人達だった。
「来月の文化祭はこれでばっちりだ」
洋一の力強い声が響いた。
文化祭で演奏する曲目を洋一から聡は手渡された。邦楽のパンクロックが中心だった。テンポが早く歌詞を覚えるにも一苦労。そんな曲目だった。
「盛り上がれそうなのをピックアップしたんだ」
洋一は笑みをこぼした。
「これいつまでに覚えればいい?」
「なるべく早めにお願いしたい。合わせたいし」
その洋一の一言に、合わせたい衝動を抑えきれず各々の楽器をかき鳴らし、叩いた。
「わかった。全力で覚えるよ」
聡は力強く言った。
どこかパッとしなかった学園生活に彩りが生まれた瞬間だった。景色が変わり、風景が変わる。それが今この瞬間だった。
その後は曲を覚え、文化祭当日を迎えた。はじめてバンドとして合わせたときはカラオケとは違い、音やリズムがうまくとれなかった。だが、何回か繰り返す内に、コツを掴み、リズム感を体得していった。放課後に練習をしていたせいか、いつしか時計屋『レッド』での修練は疎かになり、全く時計に触らなくなっていた。
文化祭当日。出番直前の聡は緊張していた。教室内で教科書を読むのにも額に冷や汗をかきながら声の震えを止めることができない彼がステージに上がる。足は震え、その震えを抑えようと立ち、座りを犬のしつけのように繰り返す。
「よし、円陣組もう」
洋一がみんなを集め輪になり、肩に手をかける。洋一には申し訳ないが聡は〝円陣〟のことを自動車などに搭載される〝エンジン〟と勘違いしていたことは胸に秘めといた。
ああ、円陣、か。と思った瞬間に少なからず肩の荷がおり、聡の緊張感は和らいだ。
「気合い入れていくぞ」
洋一のかけ声と共に、全員で、「おぉぉお」と野獣の咆哮がステージ袖で轟いた。
聡達はステージに上がった。といっても体育館なのだが、目の前ににガンを飛ばしている他校の生徒や、存在の薄い聡に向かって、「あれ誰だっけ」と指をさす女生徒がいた。
聡は文化祭ライブ前に洋一から、「始まる前の挨拶はなしで、準備できたら合図を送ってくれ。すぐに演奏GO、だ」と興奮気味に戦略を力説した。
ざわついた体育館。照明が聡達を包みこむ。周りを確認する。メンバーの楽器調整が終わったようだ。それを確認し、聡はドラムに合図を送った。ハイハットでスリーカウントをとり、洋一のギタースクラッチで演奏は始まった。聡は洋一のギタースクラッチが好きだ。至って簡単なのだが、ツゥーンというピック側面を弦にこすりつけ、アンプから鳴り響く独特の音は聡の脳内を刺激し、身体を発奮させる。
気づけば体育館の雰囲気は一辺し、目の焦点が全員ステージ側に釘付けになり、雄叫びをあげるもの、手を振りかざすもの、飛び跳ねるものが続出した。
聡は気持ちよかった。歌うことの楽しさをこの時見出した気がした。人に聴いてもらい、人を興奮させるこのポジションに生きる楽しさを感じた。教科書を読むにも声は震え、人前で何かを発表するのが苦手だった聡は、堂々とした立ち振る舞いで歌い上げ、拍手を全身に浴びた。気づけば上半身は汗まみれになっていた。毛先から落ちる汗は達成感の表れだった。
それは高校三年の二学期に起きた。進路問題だ。聡は両親と揉めた。
「プロ?」
父が不快感を滲ませながら訊いた。
「音楽の分野で挑戦したいんだ」
「そんなよくわからんガヤガヤしたくそったれな音より、時計が時を刻む音の方が魅力だろうが」
と父は怒気を飛ばした。
「父さん、聡の言い分も聞いてあげようよ」
水樹がやさしい声音で言う。
「聡、あんたね。音楽なんて才能がなきゃ無理だよ。ああいうのは決められてんのよ」
母が言った。母親というのは現実的だから、という洋一の言葉を聡は思い出した。
「で、プロになれると思っているのか?半端もんのお前が」
父はビールを一気に飲み干し、またグラスに注いだ。
「自信はある」
聡は言った。
「あのな、何かを目指すやつってのは、全員が全員、自信持って臨んでるんだよ」と父はまたビールを一口飲み、「その他多勢から抜け出すには、人とは違うことをしなければならねえ。それがお前にあるのか?同じでは駄目だぞ。人を惹き付ける何か、だ」と捲し立てた。普段無口な父がこの日に限って饒舌だった。お酒の力を借りているからかもしれない。いや、時計屋『レッド』を継いでくれるという父の期待を聡が裏切ったからかもしれない。
「聡のね、歌声は凄く人を惹き付けるよ」
水樹の言葉に聡は涙が出そうだった。なんでそこまで俺を、と彼は思う。でも嬉しかった。味方がいてくれることに。
「水樹、お前も画家なんだからわかるだろ。うまくて、凄くて、人を惹き付けるやつなんて五万といるんだ。そしてすぐ飽きられる。その惹き付ける魅力を継続させることはできんのか、ってことだ」
父の言葉に水樹は押し黙った。画家の彼女はそのことをわかっているのだろう。継続させる難しさ、よりよいものを常に生み出す難しさ、を。
「ふっ」と父は鼻で笑い、「やりたきゃやってみろ」と言った。
「ありがとう。父さん」
聡は目を輝かせながら聡は頭を下げた。
「ただし。高校を卒業したら家を出て行け。もうお前の顔は見たくねえ」と冷徹に、背後に鬼でもいるかのような声音で言った。
「あなた」
母は困惑した表情を浮かべ、父と聡を交互に見た。
「やるしかないね。聡。家族を見返しなさい」
なぜか明るい口調で水樹は聡の背中を思いっきり叩いた。
それ以来、父親と言葉を交わすことはなくなった。
いついつまでも。
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