第3話

 ◆


「……?」


 お風呂から上がってリビングに向かおうとしていたら、お母さんが玄関先でスーツ姿の男の人達と話し込んでいた。

 年配の人と、まだ二十代ぐらいに見える二人だ。


「萌。ちょっと」


 お母さんが心配そうに手招きする。


「こんばんは。夜分にすいません……こういう者です」


 そういって二人が見せたのは、警察手帳だった。


「何かあったんですか?」


「えぇ、実は先ほど通報がありまして……岸谷伊織さん、ご存じですよね?」


「はい……え!? もしかして、伊織に何かあったんですか!?」


「帰り道で石段を踏み外して、怪我をされたようです。それで今、病院へ運ばれています」


「無事なんですか!? お母さん! 私、直ぐに行かなくちゃ!」


「落ち着いて萌!」


「容体が思わしくなく、意識がないようです……それで、岸谷伊織さんのご両親にお話を伺ったところ、今日は、あなたと一緒にいたはずだと聞いて、少しあなたのお話も聞かせて頂きたいと思いまして」


「事故じゃないんですか!?」


「まだ何とも」


 心臓が、途轍もない速さで鼓動しているのが分かる。


「……伊織とは、公園前のファミレスで別れました。あそこからは、お互い方向が逆になるので……」


「なるほど。ではそのあと、岸谷さんを追いかけて戻ったりはしていませんか?」


「……はい」


「……わかりました。また何かお尋ねするかもしれませんので――」と、そういって二人は名刺を私にくれる。


「……」


 名刺には、【刑事部捜査一課 山名哲】、【刑事部捜査一課 林猛】と書かれていた――。


「山名さん、事件ですかね?」


「まだわからん。最近の若いのは、何を考えているのかさっぱりだからな」


「それって、俺も含まれてますか?」


「お前は何も考えてないだろ?」


「バレちゃいましたか!?」


「ふざけてないで、聞き込みするぞ」


「はい!」


 ――そして次の日。


 本当は、あのあと直ぐにでも伊織のもとへ駆けつけたかったのだけれど、「今はご迷惑になるかもしれないから、少しだけ待ちなさい」と、お母さんにそう言われて、私は落ち着かない気持ちのまま、一睡も出来ずに朝を迎えて学校に来ていた。

 朝のホームルームでは、担任から伊織が怪我をして入院したという説明があった。クラスの皆は担任のその説明に一時騒然となって伊織の容態を矢継ぎ早に質問していたけれど、担任は、意識が戻らないということと、「とにかく無事を祈りましょう」ということであっさりと話をまとめて、それ以上の事は何も話さなかった。


「......」


 この女性の担任は確か30代で、何事においても事務的に熟して、生徒とは必要最低限の関わりしか持たないというのを信条にしているようだった。だからさっきの説明も気遣うフリだけで、実際のところは【面倒ごと】というのが有り有りと窺い知ることが出来ていた。


「……」


 私は、それがこの人の接し方なんだと今までは割り切っていたのだけれど、今回ばかりはその余りの冷然とした態度に、気付けば唇を強く噛み締めながら睨みつけていた。


「萌。おまえ、何か知ってるか?」


 そんな私の斜め後ろから、壮士は気遣うように小声で私に話し掛けてくる。

「ううん。でも昨日、刑事さんが家にきた」と、私も少し冷静さを取り戻しながら小声でそれに答える。


「そっか……」


 そして壮士は、それきり話しかけてくることはなかった。


 ――放課後


「先輩♪ 一緒に帰りましょう!」


 お昼は食欲がないからといって戻ってもらった美菜ちゃんが、いつも以上に機嫌よく私のことを廊下で待っていた……正直、その笑顔は、私の癪に障るものがあった。


「ごめん、今日は一人で帰るね……」


「どうしてですか? せっかく二人きりで帰れるのに……」


「!? ちょっと! それどういう意味!?」


 クラスメート、それに隣のクラスの人達も私の大きな声に一瞬振り向く。


「ごめん、一人にして……」


 それだけを伝えて、私は足早にその場を後にする。


『......』


 私は背中越しに、美菜ちゃんのじっとりと張り付くような眼差しを感じていた――


「萌ちゃん!」


「おばさん! 伊織は!?」


 あの後、私は急いで伊織が運ばれた病院へと向かった。


「やっと集中治療室から移されたところよ」


 ちょうど受付で話をしていた伊織のお母さんに容態を確認することが出来た。伊織は骨折などの大きな外傷はなかったものの、打ち所が悪かったのか、まだ意識が戻らないということだった。


「萌ちゃん、何か知ってる?」


「ごめんなさい、おばさん。私、伊織とは公園前のファミレスで別れたのが最後で……」


「そう……」


 そしておばさんも刑事さん達に事件なのか事故なのかについて確認していたらしいのだけれども、まだ分からないということだった――。


「伊織……」


 おばさんに病室へと案内されて、私は今、酸素マスクを付け、頭にぐるぐると包帯を巻かれて、痛々しい姿で目を閉じ横たわる伊織のことを潤む瞳で見ていた……顔や腕にも擦り傷があって、無傷の私も其処彼処が自然と痛み出す。


「こんなことになって……」


 おばさんは、肩を震わせ堰を切ったように泣き出してしまう。


「おばさん、きっと良くなりますよ! 伊織は元気が取り柄なんですから!」


「ありがとう、萌ちゃん……」


「……はい……」


 気付けば、私も、大粒の涙を次から次へと零していた――。

 

 ★

 

 わたしは独りで帰った。

 帰り道、『先輩は、なんであんなに怒ったんだろう?』と、考えながら……。


「――ただいま」


 高層マンションの最上階。

 薄暗くなった外の明かりだけじゃもの足りなくて、部屋の明かりを点ける。

 お母さんは、私が小学校低学年の頃に男の人を作って出て行ってしまった。

 お父さんは一昨年、アメリカでの事業拡大の為に渡米したっきり音信不通。

 けれど半年に一度まとめて入金があるので、それがあの人の安否確認になっていた。

 元々この家には寄り付かなかった人なので、国内でも海外でも、わたしにとっては大した差はない。


『……』


 幼少期から独りということに慣れ、それが普通の事と思いながら日常生活を過ごしていたある日、とある作家さんが書いているエッセイが気に入って、それをずっと追いかけるようにして夢中で読んでいた。

 そしてその中でわたしが最も興味を抱いた言葉、【人に好かれたかったら、まず自分が相手のことを好きになるように努力しよう。人に愛されたかったら、まず自分が相手のことを愛するように努力しよう】ということば。

 その人はそれが成功して、親友が出来て、次には彼氏もできて、やがては結婚もして子供も授かりとても幸せだということが綴られていた。

 それを読んだわたしは、『わたしも努力しなくちゃ!』と、そう思って小学校の高学年の頃からたくさんの努力を積み重ねてきた。


 友達を作ろうと思って、その子の為に何でもしてあげた。

 欲しいという物は何でも買ってプレゼントした。

 だけど、何故だかちっともうまくいかなかった。

 その子から、「友達じゃない」、そう言われた。

 

 わたしは凄くショックだったから、もっとその子と仲良くなれるように、いつでも一緒にいられるようにした。


 でも、それからずっと、『どうしてなんだろう?』と考えるようになった。


 中学校に上がり、わたしは新しい友達を作ることができた。

 その子はわたしを大事にしてくれて、いつでも一緒にいることができた。

 そしてわたしはその子が「預かる」と言ったので、預金通帳とカードを暗証番号を教えて預かってもらった。するとその子は理由も教えてくれないままに次第にわたしから離れていって、やがては新しいお友達といるようになっていった。


 だからわたしは最初の子と同じように、ずっと一緒にいられるようにした。


『どうしてなんだろう?』


 中学二年生になったころ、一つ年上の男の子のお友達ができた。

 最初、その子はとても優しくしてくれていたのだけれど、いきなりわたしにキスをしたり、胸を触ってきたり、スカートの中をまさぐったりしてきた。

 わたしはお友達になって欲しかっただけだから、止めて欲しいとお願いをしたのだけれど、その子は聞き入れてはくれずに、暴力を振るうようになっていった。


 だから以前のお友達と同じようにした。


 のこぎり刃毀はこぼれれが酷くなってきていて、三人目はちょっと切りにくかったけど、それでも何所に当てれば上手く切れるのか分かってきていたので、頑張れた。


「……ただいま」 

 

 わたしは部屋へ戻るといつものようにクローゼットを直ぐに開く。

 そこには、三段になった物置用の備え付けボードがあって、その真ん中の段に、わたしと同じ目線になるように、三つの大きいガラス瓶に入った【お友達】が、いつもわたしの帰りを持ってくれている。


「……」


 わたしは見つめる。

 お友達は、口を利いてはくれない……。

 目を閉じて、溶液に浸っているだけ。


「あの頃は、たくさん、お話してくれたのに……」


『どうしてなんだろう?』


 わたしはまた考えた。


 高校へ進学して、先輩と出会うまでのわたしは、なんとなくの時間を過ごしていた。けど先輩を一目見たその瞬間から、わたしのぼんやりとした日常は鮮やかなものへと変化した。


『お友達なんかじゃなくて、先輩と一緒に居られるのであれば、それでいい』


 先輩の素敵な笑顔。誰からも好かれる仕草。その場にいる人達を自然と明るくしてしまう人柄……そのどれもが、わたしの憧れそのものだった。

 最初の頃は、その姿を目に焼き付けられる程度の距離で十分だった。そうして家に帰ってから、今日の先輩について【お友達】に聞いてもらうだけで幸せだった。

 それがいつしか『お話したい』、そう思うようになって、勇気を出して声を掛けてみた。すると先輩は、優しい笑顔でわたしのことを受け留めてくれた。

 とっても嬉しかった……。

 だけど、もっともっと近づきたくなった。だからわたしの出来ること全てを捧げることで、近くに居させてもらおうと、そう決めた……


 なのに先輩は、何故かわたしを遠ざけ始めている。


 とても悲しかった。

『なんでだろう?』

 わたしは考えた……


 そうして、、、、


『――そっか。あの友達が悪いんだ』


 あの悪い友達がいなくなれば、もっと近づける。

 そう思ってわたしは行動した。

 それなのに先輩は、やっぱりわたしから離れようとしていた。

『なんでなんだろう?』

 わたしは、また、考えた。


「……そっか。先輩の心と、一つになればいいんだよね」


 私は愛するということの意味に、この時、ようやく気が付いた――。

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