第4話


「だけど、本当にいいのかな」

「え? なにが?」


 アナザー探偵事務所から帰る道で、ふとユウお兄ちゃんがひとりごとみたいに言って、あたしは立ち止まった。


「いや……うん」


 あたしたちは一応、ママたちへの言い訳が本当のウソにはならないように、少しだけ駅前のケーキショップにも寄ってきた。あたしはおみやげに買った、クッキーの袋を持っている。

 あたしは、泣きすぎてちょっとぼわんとした目でお兄ちゃんを見上げた。頭のシンも熱が出た時みたいにぼわぼわしていて、あんまりうまく考えられない。


「まあ、もうちょっと歩こうか」

「う、うん……」


 そろそろ夕方になる時間。道を行く人たちは、みんな自分のことで忙しそう。もちろん、だれもあたしたちのことなんて気にしていない。

 あれから、お兄ちゃんはあたしと手をつないだまま、ずっとなにか考え込んでるみたいだった。お兄ちゃんが何を考えてるのか知りたいような、知りたくないような変な気持ちになって、あたしはずうっとのどの奥が苦しかった。

 あたしたちはしばらくぶらぶら歩いて、そのままマンションの隣の公園に入った。今の時間はもうだれも遊んでいなくて、公園の中はがらんとしている。


「……さっきのことなんだけどね」


 ベンチのひとつにならんで座ると、お兄ちゃんはいつもの、あのきれいで困った笑顔を作った。


「あんなふうにさ。急に『あなたたちは前世からの運命の人だった』なんて言われてもさ。この先、キラちゃんだって困ることになるんじゃないのかなって……そう思って。ちょっと心配で」

「えっ……」


 あたしはどきんとしてお兄ちゃんを見上げた。

 お兄ちゃん、何が言いたいの?


「だって、キラちゃんは若いんだよ? 僕なんかに比べたら、とてもとても若いんだ。君が素敵な大人の女性になったころ、僕なんてとっくに、いいおじさんになっちゃってるわけだし」

「そ、そんなの……」


 あたしは思わず、運動靴をはいたただの棒みたいな、子どもっぽいだけの自分の足を見つめた。

 わかっちゃった。

 「若い」っていうか、つまり「君はまだ子供だよ」ってことなんだ。

 あたしなんかじゃ、まだまだ全然、お兄ちゃんの相手になんてなれない。

 お兄ちゃんが言うのは、きっとそういうこと。


「その時になって、がっかりさせちゃうかも知れないからね。『ああ、どうしてこんなオジサンのこと』って、君の方が思うかもしれないわけだし」

「そっ……そんなこと!」


 ぱっとベンチから飛びおりて、あたしは両足で地面をふみしめ、お兄ちゃんを真正面からにらんでしまった。

 なんてこと言うの?

 あたし、そんな子じゃないもん!

 確かにクラスの女の子の中には、昨日まで「鈴木くん、鈴木くん」ってキャーキャーさわいでいたくせに、今日はもう「やっぱり中山くんが最高よね~」なんて言ってる子もいる。

 でも、あたしはそんなのじゃないもん。

 頬がぷーっとふくらんだのが自分でもわかる。


「あの、誤解しないでね? 君を信じてないとか、そういうことじゃないんだ」

 お兄ちゃんは相変わらず、困ったような優しい目であたしを見て笑っている。

「前世での僕たちの想いは、きっと本物だった。とてもとても真剣で……本当に強い想いだったんだと思う。だってそうじゃなかったら、こうしてこっちの世界でも、お隣さんなんかになったはずがない。僕は、そう思ってる。……でも」

 体の前で手を組んだまま、お兄ちゃんはじっとあたしの目を見つめた。


「僕はね。キラちゃんを縛るような人にはなりたくないんだ」


 いつもとは全然ちがう、とてもきっぱりとした声。

 あたしはどきんどきんとはね始めた自分の胸を必死でおさえこもうとした。

 しばる?

 しばるって何? どういうこと?


「……だからね。このことはしばらく、僕らだけの秘密にしよう。もちろん、あの人たちとの約束だからっていうこともあるけど。とにかく、本当に誰にも誰にも、これは内緒にしておこう」

「…………」

「まあ、言っても信じてくれない人の方が多いだろうけどね。いま、君のパパやママがこれを知ったら、僕、下手をしたら病院や警察に連れて行かれなきゃなんないかもしれないし。……少なくとも、君が高校を卒業するまでは、ね」

「お兄ちゃん……」

「それでね」


 そこでまた、お兄ちゃんは少し黙った。


「それまでに、君がもし、だれか他の人とお付き合いがしたくなったら。僕は、決してそれを邪魔しない。そのことは約束するよ」

「…………」

「前に君のママに見られたことがあるから、もう知ってると思うけど。僕だって、 これまで何人かの人とお付き合いはしたんだし。君にだけ『それはダメ』なんて言う権利はないんだ。全然ね」


 お兄ちゃんの口からその言葉が出たとたん、あたしの口の中になんだか苦くてすっぱいものが広がった。


「普通の女の子が、普通にデートを楽しむみたいに。ごく普通に、そして自由に。それで、幸せに過ごして欲しいんだ。だれかとの前世からのカビの生えたみたいな約束のために、それをあきらめて欲しくない」

「お兄ちゃ──」


 そう言おうとしたら、あたしの右手をお兄ちゃんの手が両方から包むようににぎってくれた。

 お兄ちゃんは今、あたしの前で片方のひざを地面についてしゃがんでいる。


「それでもいつか、ちゃんと大人になった時。それでも君が、やっぱり僕を選んでくれるんなら。……それで初めて、きちんと先のことを考えよう。……どうかな?」


 まるで、おとぎの国のお姫様に、王子様がプロポーズをするみたいに。

 あたしの心臓の音が、とくとく、とくとく早くなる。


 ……でも。

 でもさ。

 あたしの頭の中で、この間の花火大会で見た、女子高生たちの物ほしそうな笑顔が、いそがしくついたり消えたりした。


「じゃあ……お兄ちゃんも?」

「え?」

「だって、言ったでしょ? あたしが他のだれかとデートしたっていいって。それじゃあ、お兄ちゃんもそうするってこと?」

「え、いや──」

「そんなの、やだっ!」


 あたしは完全に唇をとんがらせて、お兄ちゃんをじーっとにらんだ。

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