第一章 お隣のお兄さん
第1話
「ルナぁ。どこいっちゃったの? ルナぁ……」
マンションの隣にある小さな公園のしげみの中を、あたしはガサガサとかきわける。そうして、あの子をさがしてる。
あの子。
あたしの大事な、黒ネコのルナ。
まだ小さな子ネコなのに、いったいどこにいっちゃったのかしら。
(ううん。あたしが、わるいんだ……)
そう思ったら、ひぐっとのどがまた痛くなってきて、鼻の奥がつうんとする。
だめ。今、泣いてちゃダメなんだ。
だって、早く見つけてあげなくちゃ。
ルナがこうなっちゃったのは、あたしのせいなんだもの。
「でてきて、ルナぁ……。あたし、おこったりしないからあ……」
言ってる声が、もう涙でぐずぐずによれていく。もう、とっくにおなかだってすいてるはずなのに。いつもは晩ご飯の前に餌をあげてるんだもん。
空は雲がいっぱいでいつもよりもどんよりと暗い。だから時間はよくわからない。
でも、きっともうすぐ、ママも帰ってくる。
そしたらきっと、しかられるわ。
パパだって絶対、ものすごく怒る。
「だから、
……そんなの、いやだ。
すごくすごく、困っちゃう。
パパとママ、いつもは大体なかよしだけど、ケンカになるとすごい言い合いになって怖いことがあるんだもん。
パパとママには、いつもニコニコ、仲良くしていてほしいもん。
ああ、困った。
ベランダに出て、そこまでいっしょに帰ってきたミクちゃんに手をふったとき、サッシをちゃんと閉めるのを忘れたみたい。
ミクちゃんは、同じ三年三組のおともだちだ。いつもいっしょに学校に行って、帰ってくるなかよしの子。
ルナはあたしがジュースを飲んでいる間、鈴のついたネズミのおもちゃで遊んでた。コップを洗おうとしたら手がすべって、あたし、シンクにがちゃんと落っことしちゃって。
ルナはびっくりして、ほんとに体の何倍も、ぴょーんととびあがった。そしてそのまま、ゴムをはじいた時みたいにして、あっという間にベランダの外にびゅーっと飛び出ていった。
本当に一瞬のことだった。
あたしは慌ててベランダの外を見たけど、ルナの姿は見えなかった。
(ルナ……!)
どうしよう。ケガなんて、してないよね?
うちは三階だけど、ネコならきっとだいじょうぶだよね?
だって、ママが言ってたもん。「ネコは高いところは得意だから」って。「少しぐらい高いところから落ちたって、上手におりて怪我はしないのよ」って。
でも、急いで下におりて探してみたけど、やっぱりルナはどこにも見当たらなかった。
本当はあたしも、「パパとママがいない間は外に出ちゃダメ」って言われてる。でも、これはしょうがない。だって、ルナのことが一番大事だもん。つやつやの黒い毛をしていて、お月様みたいなキラキラした金色の目をしたきれいなネコ。それでママと相談して、あたしが「ルナ」って名前をつけた。
あたしはその名前を呼びながらルナを探した。まわりの植え込みの中には見つからないから、マンションからはなれることにした。
この建物の隣には、いつも子供たちが遊んでいる公園がある。でもこんな夕方じゃ、もうだれもいなかった。
(ああ、どうしよう)
変なおじさんとかが来たら、イヤだな。
クラスでは足は速いほうだけど、大人からはうまく逃げられるかどうかわからないもの。
ママはいつも、あたしに「変なおじさんには気をつけるのよ」って言う。
テレビのニュースなんかで、あたしぐらいの女の子が何かの事件に巻き込まれて死んでいるのを、いつも本当にいやそうな目で見つめてる。
「
止まってる車のすぐそばを歩いちゃダメとか。
自分を見て近寄ってくる男がいたら、距離が近くなる前に逃げろとか。
相手が車なら、進む方向と反対の方に逃げろとか。
防犯ブザーは、いつもすぐに鳴らせるようにしておくとか。
男の子だって危なくないわけじゃないみたいだけど、やっぱり危ないのは女の子なんだって。
ああ、ほんと、女の子ってソンだわ。
いつもは学校から帰ってくるとおばあちゃんが来てくれてるんだけど、今日はご用事があるとかで、あたしとルナのふたりきりだった。
ああ、ついてない。
こんな時に限って、おばあちゃんがいないなんて。
ひざと腰をまげてずっと探していたから、足が痛くなってきた。
めちゃくちゃに茂みをかき分けていたから、手にもいっぱいひっかき傷ができちゃったし。
空はどんどん暗くなる。
ああ、どうしよう。いま、何時かしら。
そう思って見上げたとき、ぽつんと鼻の頭に冷たいものが落ちて来た。
(やだ。雨……!)
どうしよう。
ルナ、びしょぬれになっちゃうわ。
ケガをしてなくても、濡れて寒くなったら病気になっちゃうかもしれない。
まだ小さくて、赤ちゃんのネコなのに。
三年生になって、やっと飼ってもらえた大事なネコなのに。
そう思ってるうちに、ばらばら、ばらばらと雨つぶが落ちてきて、あたしの着ているシャツの色がどんどん濃くなっていく。
どうしよう。
どうしよう……!
そう思ったら、目の前がぶわっと熱いものでゆがんで、しばらく何も見えなくなった。
やだ。
こんなの、やだ……!
「ルナ……。ルナああ……」
ぬぐってもぬぐっても、涙はどんどんあふれてくる。もうお姉ちゃんなんだから、あんまりわあわあ泣くのは恥ずかしいってわかってるけど。同じマンションには一年生の子だっている。こんなとこ、見られたら大変なのに。
でも、どうしてもがまんできなかった。
あたしはしばらく、そこで突っ立ってわんわん泣き続けた。
「……えっと。キラ、ちゃん……?」
急に男の人の声がして、あたしはびくっとして泣くのをやめた。
公園の入り口に、傘をさした男の人が立っている。
それが知っている人なのに気がついて、あたしの体から急に力がぬけた。
いや、だれでもほっとするってわけじゃないのよ?
ママはいつも、「知ってる人でもちゃんと警戒しなくちゃダメ。ああいう犯罪は、大抵、顔見知りが犯人だったりするんだからね」って言ってるから。
でも、この人ならだいじょうぶ。
「ユウ、おにいちゃん……?」
あたしは泣きすぎてガサガサの声でそう言って、お兄ちゃんの方に走っていった。
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