第7話「来訪②」

「まず、少し誤解があるかもしれませんね。篠原さんは、御社に完全に売ると決めた訳ではありません。他にもかなりの値段でお申し込みがある大手さんがいるんですよ。しかし、御社が有利なのは間違いありません。」

 場が凍り付いたのが分かった。井澤の横で、真中の雰囲気が変わっている。真中のソファーのひじ掛けあたりからギュッという音が聞こえたような気がした。

「そう構えないでくださいよ。御社が有利だと言っているんですよ。ご存知かは分かりませんが、海猫館は所有者でもなんでもない、篠原さんと関係がない詐欺集団が売って回ったこともあるんですよね。その時に、篠原さんは相当に嫌な思いをなさったようで、本当に売却する際には信頼できる大手企業に売りたいって仰っているんですよ。そして、篠原さんには二人の息子さんがいらっしゃるんですが、相続でモメそうなんですよね。上の息子さんがちょっとね。」

「分かりました。競合がいらっしゃるという訳ですね。私どもがお役に立てることはなんでしょうか。」真中が低い声を出す。

「篠原さんは、御社に良いイメージがあるのか、御社にお売りしたいとお考えです。しかし、財務担当の私としては、感情やイメージと取引は別だと考えています。そこで、私どもとしては御社に2週間を差し上げます。そこで御社が購入するかを決めてください。期限が過ぎれば、Y社さんと交渉します。」

「えっ。競合先ってヤマトさんですか。」井澤が思わず大声を出してしまった。真中にちらっと横目で睨まられた気がしたが、それどころではない。Y社とは業界ではヤマトハウス工業のことを指す。ヤマトハウス工業は満水ハウスにとっての最大のライバルである。しかも本社も同じ大阪なのだ。

 ヤマトハウス工業は、プレハブ住宅の先駆者であり、住宅のみならず店舗や物流施設の建設にまで踏み出している。多角化が奏功し、規模でいけば満水ハウスの2倍の売上高になっている。しかし、純粋な住宅分野では満水ハウスが業界のトップだった。自分たちが海猫館を買えずに、ヤマトハウスが買ったことを、会長の奥平が知ったらどうなるか。東京マンション事業部に自分の居場所は無くなるだろう。

「そうです。」大山がニヤリとしているように見えた。

「ヤマトさんが、この土地はどうしても買いたいと仰っているんですよ。すでに買付証明もご提示頂いています。」

「買付証明もですか。」また、井澤は声を上げてしまった。完全に大山のペースだ。

「そうなんですよ。売るとも言っていないのに買い取りを約束する買付証明を勝手に出してきました。熱心なんで私も困っているぐらいですよ。」生田が更に口を挟む。

「いずれにしろ、2週間で結論を出せということですね。承知致しました。社内をまとめますので、きちんと2週間は待ってくださいよ。」真中が抑えた声で答えた。

 そこに大山が被せる。「ちなみに、御社は収益物件をお建てになっていますよね。」

「そうですが、何か。」真中が少し機嫌が悪そうに答えた。もちろん井澤にしか分からないニュアンスだったが。

「実は篠原さんの財務担当の私と致しましては、篠原さんの相続についても考えなければなりません。海猫館を御社が買って下さるのであれば、その代わりに御社から収益物件を購入することも検討したいのですよ。賃貸物件なら相続税評価額が大幅に引き下げられますのでね。これもご縁というやつでしょうし。」

「大山さん。ご配慮ありがとうございます。それも付帯条件として考えさせて頂きます。」井澤が間髪入れずに答えた。

「頼みますよ。でも、詐欺みたいな物件は勘弁してくださいよ。ヤマトさんも、結構良い利回りの物件をご紹介して下さっていますのでね。」

「厳しいお言葉ですね。」笑いながら真中が言葉をかける。機嫌が良くなっているようだ。

「では、改めて海猫館のご購入を頂けるのか、ご検討下さい。期間を短く区切って申し訳ないのですが、こういう話は期限を設けないと進みませんからね。どうぞ宜しく。」

 大山と生田が頭を下げた。篠原は興味がないのか、二人が頭を下げているのを見て、慌てて少しだけ頭を下げた。

(続く)

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