第6話「来訪①」

 真中と井澤が所有者である篠原と会ったのは4月の初旬だ。

 仲介会社のSYODAホールディングスの生田社長が満水ハウスの東京オフィスを面談場所として指定してきたのだった。

 満水ハウスの東京オフィスは新宿にある。JR新宿駅の一番近い改札口から歩いても5分はかかる。新しくできたバスターミナルに隣接する駅の改札口から出て、ビルの合間を縫って歩く。右手に歩道橋があり、この歩道橋を渡るとビルの横に出る。この歩道橋は多くの人が同時に歩くと揺れるのだ。井澤はこの揺れが気持ち悪いため、この歩道橋を敬遠していた。

 きっちり約束の時間に一行は現れた。受付から3名の来客を告げられた井澤は、スーツのジャケットを着ながら常務の真中に声を掛けた。真中がジャケットを羽織るのを横目に見ながら、自席の手帳を取り上げる。やや興奮気味に、早足でエレベーターホールに向かった。

 こういう時に限ってエレベーターがなかなか来ない。真中も無言だ。

 やっとエレベーターが来る。エレベーターに乗った瞬間に『閉』のボタンを押す。エレベーターを降り、受付へ急ぐ。いつもの受付担当者から4番の応接を案内された。

 応接の扉を開けると、まず生田社長の顔が見えた。

 その向こうに、小柄な年配の女性と白髪混じりの年配の男性が座っていた。

「お待たせ致しました。」低い声で真中が声を掛ける。

 先方の3名が腰を上げた。

「いえいえ、いつも井澤さんにはお世話になっておりますよ。」生田社長が発言する。

「こちらは、五反田物件の所有者である篠原さんと、財務担当の大山さんです。」

「大山です。」短く男性が発言をする。女性は会釈をしただけだった。

 真中、井澤の順で名刺を交換し、椅子に腰を下ろした。

「この度は、ご足労頂きましてありがとうございました。呼んで頂ければこちらから参りましたのに。」真中が頭を下げる。

「いえいえ。篠原さんをたまには連れ出さないと、ご自宅に籠りっきりになりますのでね。それに、篠原さんは満水ハウスという立派な会社と取引するのであれば、一度オフィスにお邪魔したいと仰っていたものですから。」財務担当の大山が発言する。所有者の篠原はうなずくのみだ。

恐らく、篠原はこのような場が苦手なのだろう。落ち着かない素振りだと井澤は感じた。

そこで気づく。

篠原が腰かけるソファーのひじ掛け部分の皮が少しひび割れているのが見えるのだ。

『なんで、総務部はこんなみっともないものを放置するんだ。コスト削減といっても何でもやって良い訳じゃない。VIPなのに、こんなしょぼいソファーに座らされたと思ったらどうする。絶対にこの面談の後に総務部長にねじ込んでやる。』そんなことを考えている中でも、真中と財務担当大山の話は進んでいく。

「今回、篠原さんがお売りになることを検討している物件は、もうご覧になっていますね?五反田の目黒川沿いの一等地ですよ。600坪です。三角形の形状で両側の道路はあまり広くはないですがね。なんといってもJRの駅から徒歩3分ですよ。眺望も良いですし、マンション用地としては素晴らしいと生田社長も仰っています。」

 生田が続ける。「そうですよ。大山さんの言う通りです。こんな一等地が手に入ることは天下の満水ハウスさんでもなかなか無いでしょう。」

「確かに、仰る通りですね。井澤から聞いてはいるんですが、改めて、海猫館を弊社にお売り頂くことをお決めになった理由をお聞きしても良いでしょうか。」真中が穏やかに尋ねた。相手のペースに合わせているようだ。

「私がお答えしましょう。」大山が口を開いた。

(続く)

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