私は真実を試されているのかもしれない

 舗装されていない道が好きだった。道には砂利があり小石があり雑草が生え小さな生物が荒れた道を周囲の危険を観察しながら渡る光景。裸足では歩けない。痛いから。裸足では歩かない。傷つくから。裸足ではなくハイカットのスニーカーで歩いた。コンパスはない。短略的な直線だから。家まではその道を通ればいいから。最新の端末はバッグに入っている。連絡手段もある。しかし、私はバッグを持っていなかった。お気に入りのブランドの、たしか・・・・・・名前は思い出せないけど誰かに買ってもらったバッグ。おねだりしたバッグ。いや、自分で買ったのかもしれない。 そのバッグはなかった。

 

でも、現実というの理不尽なもので、目の前に広がるのは単調な直線的な道ではなく、Y字路だった。

 

 私はどちらにいけばいいか二つわからなくなった。

 

 早くも難題であり、悩ましげな表情を浮かべているだろう私にさらに困惑をもたらす現象が起こった。

 Y字路の分岐手前に緑色の帽子を被り左頬にホクロがある小人がいた。童話に出てきそうな小人。目がでかく体が小さい。銅像のようでもあるが瞬きをしている時点で、生、はあるのだろう。喋るのだろうか。声を掛けた方がいいのか。難題は山積みであり普段シンプルに考えられることも状況がそうはさしてくれない。

 Y字路。

 曇天模様。

 静謐な空間。

 緑色の帽子を被った小人。

「選択肢が二つ現れたら一つを選ばなければいけないよ。ここの掟だよ」

 小人が喋った。見た目に反して低い声で。

「それはわかるわ。でも、どちらにいけばいいかわからないの」

「どちらを選んでも行き着く先は一緒だよ」

「行き着く先は一緒」

 私は呪文のように小人の言葉を繰り返した。

「見かけに騙されないで」

「意味がわからないわ」

「わからないんじゃないよ。理解していないんだ。それは考えていない、ということだよ」

 

 小人の一言一言が私に苛立ちを募らせる。不気味な風態をしてずけずけと心を抉ることをいってくるから説得力があるじゃないの。なんて思ったら大間違い。こんな胸を痛む言葉を浴びせられたからには、シャワーを浴びたい。すっきりした後には、ビールやワインを飲んで、スライスチーズでもつまみながら映画の世界に浸り余暇を過ごすのもいい。とりあえず、横になりたい。

「わかった。わかったわ・理解していないから考えていない。私は道に迷い込んだ白雪姫ってことね」

 

 私は効果的な笑みを浮かべた。歯並びは綺麗な方だし、煙草は吸わない、いや何回か吸ったことはあるが、遊び程度だ。興味は好奇心に繋がる。何事も経験をしなければわからないことが多い。経験に勝る知恵はないのだから。

 そうよね?

 ああ、いけない。歯並びとかそんなことはいいの。じゃあ、今、直面している現実を経験するメリットってあるの?あるのだろう。

『この世の中に無駄な経験なんてないから』

 誰かに言われた気がする。この場合の誰かは複数人に言われた気する。教科書的な

言葉なのだろう。または自分に対する戒めのようなマントラのようなものだ。人に言う事で、自分自身を納得させる効果もある。


「ごめん。あなたの冗談は僕には通じないんだ。白雪姫のことはわからない。姫はいない。いるのはあなただよ」


 ああ、なんてエキセントリックな返しだろう。白雪姫を知らないなんて不幸せなんだから。王子様とキッスで目覚めるんなて昔は子供ながらにロマンチックな出来事だなんて。白雪姫は史実に基づいているいうけど、むしろ誰が確かめたの。あんな出来事があったなら映像に収めないと。ああ、そうね。時代的に映写技術は発達していない。時代的な楽しみといえばドレスを着てハーブティーを飲むことかもしれない。市民の納税が悪いと無駄な法令をかざして労働意欲を削ぐ貴族の栄華、か。小人を見ると童話を思い出してしまう。それだけ、些細な物語というのは記憶に残るのだろう。  


 私は目を細め、小人を凝視した。小人も寸分変わらぬ態度で凝視してきたが、態度は硬化させたままだった。

 そして、私は口を開いた。

「そういえば思い出したことがあるの」

「なんだい」

 小人はそっけない声だった。

「白雪姫に出てくる小人って、実は可愛らしくないのよ。もっとグロテスクで残酷なの。なんていうのかしら。はぐれ者というか物乞いというか。森のはずれに住んでるのよ」

「あなたには僕はそう見えてるの?」

 小人はすかさず切り返した。

「グロテスクではないけど、不気味よね」

 私は言った。数秒の沈黙があった。いや、もっとかもしれない。小人は瞬き一つせず、私を見つめていた。というか、私を通りこしてさらに奥、もっと奥を覗いているような気がした。近視を矯正しようと遠くを見つめる若者のように。

「はっきりさせなければいけないんだ」

 小人は唐突に切り出した。

「何をはっきりさせなければいけないの」

 微動だにしなかった小人がはじめて小首を傾げ、悩ましげというよりは、お前、なにいってるんだ今更、という困惑的な動作を示した。

「あなたが僕で僕はあなた。だから僕はあなたがどちらの道を行くか知ってるし、最後の展開もなんとなくわかるんだ」

「ねえ、小人さん。今ね私の頭は電話回線のように混乱してるの」

「混乱したら一杯のコーヒーを飲むんだ」

「それ、私の口癖ね」

「あなたが僕で僕はあなた」

 教師が理解力の乏しい生徒に諭すように小人はいった。

「容姿が似ても似つかないわ。それに性別も」

「容姿?性別?そんなのはここでは意味をなさない。あるのは無」

「無?」

「あるようでない、ないようである。あなたはどちらかに進まなければいけない」

 小人は両手を広げ両人差し指をY字路に差した。

 私は小人にあらゆる疑問を問いかけたが何も答えてはくれなかった。堅く閉ざされた門のように小人はそれ以降言葉を発しなくなった。役目を終えたゼンマイ人形のように、小人は両人差し指をさしたまま、動作をしなくなった。

 私は前へ進まなければいけない。

 右か。

 左か。

 私の重心は右に傾いている。曇天模様だった景色に右側だけ太陽の光が差し込んでいるからかもしれない。道を照らす、とはよくいったものだ。右側の道は光に照らされ、私の進むべき道を示している気がした。決断なんて、うじうじ悩んだところで仕方ない。

 必要なのは思い切りの良さ。


 私はY字路を右に進んだ。一歩、一歩、着実に確実に。足取りを確かめるように、小人の横を通る。小人は左手を下げ、右手だけを残した。彼は何かしらの案内人なのだろう。春の交通安全で交差点中央にいる警官と同じ役目なのかもしれない。考えすぎだろうか、考えすぎなのだろう。雑念が入り込む。夜に考えごとをすると、余計な雑念が入り込み寝れなくなるときがあり、夜明け手前で眠り込んでの目覚ましのアラームほど不快なものはないだろう。


 あっ、雑念というのは深い記憶を呼び起こす。スカーフを巻いたインテリ男のキザなセリフにほだされ(といっても若気のいたりがもたらした悲劇)付き合ったはいいが、計算上三股をかけられ、私は三番目の女だったという屈辱。バーで飲み、『君の傘の柄をコツコツと店内に響かせる音色が好きだ』という一言から出会いは始まったが、今思えば私を褒めているといよりは傘を褒めているじゃない、という悔しさと自分の愚かさを呪わざるをえない。それでいて一杯奢るよ、と男はいっときながら完全に(完全がこの世にあるのならば)酩酊状態だった私がお会計しなかったっけ?ああ、わからない。そんな些細なことで腹が立つなんて私の器ってそんなに小さかったけ?まあ、何事も時と場合によると思うの。これがメキシコ国境付近でゴミを漁っている少年少女だったら、奢らせて、またはたかって当然、だと私だったら思う。雑念って、本当に読んで字の如く。時間の無駄。

 私の無駄を遮るように右側の道の日差しがスポットライトのように強くなり。視界が眩しくなる。小人との距離が近づきなり、私はさりげなく見た。小人が私を見た。大きな黒目で。全てを見透かすような黒目、で。

 私と小人の目が合った瞬間。小ぶりな口から歯が覗いた。小さいギザットしたノコギリのような歯だった。すぐに口元を閉じ、小人は口角をぐいっと上げた。私の全身に鳥肌が立ち、すぐに小人から目をそらした。なにか声を掛けられると思ったが、何も声を掛けられなかった。あれほどテーマパークの道先案内人のように謎めいた問いと道を示してるんであれば、「グットラック」ぐらいの言葉は欲しいものだ。ダメ、ダメよ。期待してはダメ。期待は無言の脅迫でもあるんだから。でも、無言も十分脅迫じみていて怖いのだが。

 私は先の見えない道を歩いた。道は舗装されていた。なので歩きやすかった。私は障害がある方が燃えるのだ。一つひとつ難題を超えていった先に幸福があると信じて疑わない。目の前に障害がありすぎても困る。嫌気がさすから。全てを放り投げてしまうから。なので目の前に与える障害のランクを易しいものからクリアしていき、徐々に難しくしていけばいい。大事を成すには小事から。あれ?こんな言葉あったっけ。まあ、それはいい。

 何キロ、いや、何十キロ進んだかわからない。それともまだ全然進んでいない気さえ、私はした。平坦で変わり映えのしない風景に飽きがきた。私は後ろを振り向きたい衝動に駆られたが、振り向かなかった。振り向いてはいけない気がしたからだ。

 私は飽きが来るのは当然だと思った。

 ここには音がないのだ。

 風の音。

 小鳥の音。

 飛行機の走行音。

 笑い声。

 車の音?

 あれ?と私の視界が捉えたのは、車。そう、車だ。それもBMW3シリーズツーリングタイプだった。色はシルバーだった。この道は一車線であり、否が応でもこのままでは私に衝突する勢いだ。

「ちょっと、ちょと、スピードを緩めなさいよ」

 私は右手を前に出し、ストップ、のサインを出した。

 そんなことはお構いなし、猛スピードでBMWは加速してくる。ああ、このまま私はここで轢き殺されるのだな、と思った時に、右頬に違和感を感じた。なんだろう、異物めいたものがある。鏡がないからわからない。だけど、今この瞬間に、そんなこと、み気を取られている場合ではない。車が私に衝突するかもしれないのだ。

 私は右手を上げた。

 すると、どうだろう。

 車は徐々に減速し、フトンガラスに光が反射した。ブレーキ音がしたのかもわからない。滑らかでテクニカルなブレーキングだった。運転の技術を図る上では、ブレーキ技術を私は重要視する。

 車の運転でスピードを出すのは百歩譲って、いいとしよう。これは一般論ではなく、私の持論だ。スピードは誰でもアクセルを踏めば加速は可能だ。しかし、加速した後の、ブレーキを徐々に踏む行為を世の男はできない。頂けない。愚かすぎて、確か、私は昔付き合っていた男にフルビンタを食らわせたっけ。でも、目の前のBMWの運転手はブレーキ技術に長けていると私は思った。なので、私は運転手がどういう人間かを見極めなければならなかった。運転席側のドアが開く。光景に不釣り合いなダークスーツに身を包んだ老紳士が降りてきた。

「ハハハハハハハ」

 老紳士は笑っていた。不気味なぐらい。私の目がおかしいのだろうか。視界がぼやけている。

「あなたは誰?」

 私は訊いた。

 ハハハ、と老紳士は笑い、「迎えに来ましたよ」と落ち着いた声でいった。ドキッとするぐらい安定した声だった。周波数を計測したいぐらいに。

「私をどこに連れて行く気?」

「それは、あなた様が決めることです」

「小人もあなたの仲間?」

 老紳士はその問いには答えなかったが決められたセリフのように次の言葉を投げかけた。

「あなた様が、終わり、を決めるまで続きます」

「終わり?」

「そう。終わりでございます。何事も始まりがあれば終わりがあります」

「逆もあるのでは?」

 私はすぐさま切り返した。

「ご名答。終わりがあれば始まりもあります」

「哲学的な話は好きじゃないの。抜け毛が増えそうだから」

 ハハハ、と老紳士は快活さを放ち、「あなた様に限らず哲学的な話というのは退屈なものです。机上の空論に過ぎません。が、経験や体験は違います。現実です」と、人差し指を立てた。重要な箇所にマーカーを引くような説得力を伴っていた。

「じゃあ、あなたの車に乗ればいいのね」

「左様」

 それ以上の言葉は不要と言わんばかりに老紳士は再び、ハハハ、と笑いながら運転席に戻った。その笑いは全て私に向けられているようで不快でもあり奇妙でもあった。

 私は助手席には乗らず、後部座席に乗った。シートは革張りで埃一つ、ましてや私以外の指紋以外はないぐらい清潔に保たれていた。車内の温度調整は的確で、私が車内に乗り込んだ際老紳士はエビアンのペットボトルをくれた。私はキャップを開け、ぐいぐいと飲み、喉の渇きを癒した。砂漠での遭難者の気持ちがわかった気がし、肌にまで潤いが戻った気がした。尿意は感じなかった。しかし、眠気は感じた。老紳士は華麗なUターンを見せ、自らが走行してきた道を再び、走り出した。

 車内での会話はなかった。

「ねえ、音楽やラジオとかないの?」

 私は無音を切り裂くようにいった。

 老紳士はなにも応えなかった。

 彼の役目は、笑いと運転、とでも言うように。

 私はウィンドウ越しに景色を眺めた。草木があり、遠くに森があった。コンビニはなく商業施設もなかった。この世から全てがなくなり、私だけ取り残されたような気がした。

 はあ。

 私はため息をつき、ウィンドウ越しに見ていた景色から視線を外し、前方に視線を移そうとしたとき、自分自身の異変に気付いた。

 なんだろう、これはホクロ?

 私の右頬に小さいホクロがあった。人差し指でコリコリと掻いたがマジックで書いたものではなく正真正銘のホクロだった。

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