ロスチャイルド・ボーイ

暁 睡蓮

第1話 DIEーダイー

1999年、7の月。

人気のない、町外れの研究所の中で、今まさに、人類が待ち望んでいたであろう、神の業ともいうべき研究が成功しようとしていた。

埃の被った、薄暗い建物の中には、1人の男が佇んでいる。

スラリとした長身を白衣に包んだその男は、書物を片手に、何かをじっと見つめている。

肩まで伸びた輝くような金髪と、深い海を思わせる青い瞳。整った鼻筋に、聡明そうな口元。妖しいほどの美貌を放つその男は、明日で二十歳の誕生日を迎えようとしていた。

その男の名は、DR.KILL(ドクター・キル)。天才的な科学者でありながら、彼の名を知る人はいない。

なぜなら、彼は世間の目に隠れるようにして、極秘で研究を続けていたのである。

その間、彼はほとんどの人間と関わりを持とうとしなかった。

禁忌ーTABOO(タブー)。

彼の研究は、法的に禁じられている、いわば犯罪行為であった。


見つかれば、罰せられる。


彼の視線は、部屋の片隅に置かれているガラスケースに注がれていた。そのケースには幾つもの機械が取り付けられており、中には裸の男性が横たわっている。その顔は、キルに似ていた。

『クローン人間の創造とその活用法』

これが、彼の人生を懸けた研究テーマであった。

「もうすぐ、もうすぐ完成だ。

偉大なる私の研究が・・・。」

キルは呟いた。しかし、目は虚ろで、どこを見ているのか、誰に向かって言ったのか、全く分からない。

一人ぼっちの孤独感と、誰かに見つかるかもしれないという恐怖。そんな毎日を過ごしていたために、彼は研究と引き換えに、精神的なバランスを崩してしまった。

彼の顔には、狂気じみた笑いが浮かんでいるが、その表情は、まるで抜け殻のように生命力がない。

「人類の抹殺と新たな世界の創造ー

クローン人間の開発によって、私は神になることができる。

愚かな人間共よ、見るがいい・・・。

私がハルマゲドンを起こす、その時を。」

彼の手が何かのスイッチに触れた。

そして彼は叫んだ。

「さあ目覚めよ、我がしもべ、クローン1号、DIE!(ダイ)」

その瞬間、ガラスケースの中に閃光が走り、横たわっていたものが全身を痙攣させて、その目をカッと見開いた。

しばらくの後、その物体は、自分の意志で動き始める。

奇跡が、起こった。


僕は誰だ

お前はなぜ僕を作った・・・

俺はお前なんかじゃない!


目覚めたクローン人間が最初に感じたのは、創造者に対する憎しみだった。

ダイと名付けられたクローン人間1号は、ドクター・キルを殺意のこもった目で睨みつけた。

キルは不気味に笑いながら、ワインで祝杯を上げている。

その隙に、ダイは研究所を逃げ出した。


日暮れ時。

1人の女性が小高い丘の上から街を見下ろしている。

白銀の長い髪がサラサラと風になびく。

哀し気な瞳は、じっと街を見つめている。


待っているわ

この場所で

あなたは必ず来ると

約束してくれたもの

私は・・・

私じゃなくなっても

あなたを待っているわ

だからお願い

早く来て

世界が滅ぶ前に・・・

すべてが終わる前に・・・


ダイはひたすら走った。

冷たい街の中を無我夢中で走った。

しかし、心は、絶望の淵を彷徨っていた。

そして自分の運命を呪った。


死にたい・・・早く死にたい

僕は誰?

何者なんだ?

僕は何のために生まれてきたのか

僕の存在する理由が分からない

どうすればいい?

どうしたらいい?


神よ なぜ

我は造られたりしか

我の存在が世を滅ぼすものならば

我 自らに依りて

その命を絶たん


ダイは泣き叫びながら街の中を走り去っていった。


研究所では、ようやくキルがダイの気配のないのに気が付いた。

キルは、悪魔のように微笑んだ。

「ダイめ・・・逃げおったか。」


愚かなことよ・・・

所詮貴様はクローン人間

貴様の行き先ぐらい

分かっているのだよ


そして、彼は叫んだ。

「ブラッド! ファイト!」

別の部屋から、二人の男が姿を現す。

その顔は、やはりキルに似ている。

キルは続けて2号・3号のクローン人間の開発にも成功したのだ。

キルは彼らに命じた。

「ダイを追え、そして殺せ。

それがお前達に与える、最初の使命だ。」

クローン達は、無表情のまま、黙って研究所を出て行った。

研究所の中では、ただ、キルの笑い声だけが、狂ったように鳴り響いていたのだった。


その頃。

ダイはがっくりとうなだれたまま歩き続けていた。

行き先は、たぶんキルが持っていたであろう、かすかな記憶を頼りにして。

ダイは歩きながら考えていた。


死に場所は決めてある

その場所は都会を見下ろす高い所で

白い塔のような建物が

ひっそりと建っていて

そこから見る夕日がとても綺麗で

髪の長い女の人が

僕を待っているんだ・・・


ダイが歩みを止めた時、その場所はあった。

そして、その女性が、いた。

あの人だ・・・。

ダイはその場に立ち尽くした。

すると、その女性が気配に気づいて振り返った。

そして、ダイを見て涙を浮かべた。

「ああラルフ・・やっと会えた・・。」

ダイはおそるおそる呟いた。

「シエ・・ラ?」

シエラと呼ばれた女性は、ニッコリ微笑んだ。

「ずっとあなたを待っていたの。

もう間に合わないかと思ったわ。

でも、あなたは約束を守ってくれたのね。」

ダイは戸惑った。

「約束・・?」

シエラはダイの手を取って歩き出した。

「さあ、帰りましょう、ラルフ。」

歩きながら、ダイは考えた。


分からない・・・

僕は死ぬためにここへ来たのに・・

どこへ帰るんだ・・・


輝く夕日が、赤々と2人の後姿を照らしていた。

まるで、もう昇ることはないかのように、太陽はいつまでも名残惜しそうに輝き続けた。

1999年、7の月。

世界の破滅が、刻々と近づいていた・・・。



ダイはシエラに連れられて、白い塔の中へと入っていった。

内部は塔と同じく円形をしている。真っ白な大理石で作られた床と壁。入った途端、ひんやりするのをダイは感じた。2人の足音が室内に響き渡る。

こじんまりとした室内には、ただ、白いソファーのみがぽつんと置かれている。そして、ガラス張りの窓が一つだけ。天井は見上げるほど高い。部屋と言えば、この一室だけのようだった。

シエラはダイをソファーに座らせ、自分もその隣に腰かけた。

そして、ダイを見て微笑んだ。

ダイもつられてシエラを見つめる。

白銀の長い髪に、銀色の瞳。透き通るような白い肌に、やはり白く長いドレスを身にまとったシエラは、どこか儚げで、憂いを帯びている。美しい女性だが、神秘的で謎めいた雰囲気を漂わせていた。

「ねえ、ラルフ、笑わないで聴いてくれる?」

シエラはダイの肩に頭をもたせるようにしながら話し出した。


私ね、こうしてあなたと2人で暮らすのを

ずっと夢見てた。

小さい頃はいつも一緒だったのに

あなたは歳をとるにつれて

研究にばかり熱中して・・・

私とも次第に口を利かなくなったわ

でもね、ずっと信じてたの

あなたの言葉・・・

だから私は

あなたの行方が分からなくなっても

ずっと待っていたの

バカみたいでしょ

10年間

ただひたすら待って・・・


ダイはじっとシエラの話を聞いていた。

やがてシエラはソファーから立ち上がって、窓辺に佇みダイに背を向けた。

ガラスに映ったシエラの顔は涙ぐんでいる。

ダイはその時初めて、自分の顔を見た。

肩まである艶やかな漆黒の髪に、闇のような黒い瞳。顔かたちはドクター・キルに似せてあるものの、彼は金髪に青い瞳だったことを思い出す。

それなのに、何故彼女は自分の事をラルフと呼ぶのだろうか。様々な思いがダイの脳裏を掠めたが、それでもダイはシエラに同情せずにはいられなかった。

「シエラ・・。」

ダイは立ち上がると、シエラの肩に手をかけ、自分の方に振り向かせる。

そして、思わず言ってしまった。

「長い間待たせてすまなかった。」

シエラはダイに抱きついた。

「もうどこにも行かないで。

私を1人にしないで。」

ダイはうなずいた。

「最後まで君と一緒だよ。」

「うれしい・・・。」

シエラは微笑む。

シエラを抱きしめながら、ダイは思った。


僕はあいつじゃない

だけど僕はあいつだ

僕は確かに死ぬためにここに来たんだ

だけどそれは1人ではなくて

最期の時を

この人と迎えるためだったんだ・・・


しかし、ブラッドとファイトの足音がひっそりと近づいていることを、ダイはまだ知らなかった・・・。

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