第8話 募る苛立ち

 研究所からの帰り道。

 日向駅を降りると不思議なもので、肌に感じる風が自宅の近くだと気付かせる。


「何か買って帰るか」


 外出した際の帰りにはなるべく買い物をして帰るようにしている。

 平均して三度に一度だが。

 それでも多駆郎にしては約束を守るようになった方である。

 幼馴染から直接指示を受けないことが、かえってそうさせているようだ。

 買い物と言ってもコンビニで手間の掛からないものにしか手を出さない。

 それには理由がある。

 まず、自分で消費できる量であること。

 そして、早貴が訪れた時にダメ出しをされない最低限であること。


「折角買いに行ったのなら、まともなモノを買えば良いのにと言われそうだな」


 そんな独り言を呟きつつも元来の性格が圧勝してしまう。


「ありがとうございました」


 自動ドアを開けるために買い物袋をセンサーへ向けて差し出す。

 ついやってしまう癖だ。

 センサーはしっかり袋を確認したようで、自動で開くという仕事をして見せた。

 それをきっかけに両脚は残りの家路を歩くための気合が入る。

 コンビニから一本目の横道を曲がれば自宅というポイントに差し掛かる。

 その先の坂上にある綿志賀家が目に入り、ふと早貴の事を思い出す。


「また様子を聞いてみるか」


 見える範囲にあるほんの少しの距離が非常に遠く感じられた。

 しかし未だに妨害電波の原因や不審者の件すら掴めていない状態。

 それを無視して幼馴染に会うことで彼女を巻き込んでしまうのではないか。

 そのために会わないことを選んだというのに。

 これを何度考えただろう。

 唇を噛み、あの家が目に入らぬよう足元を見つめ、歩く進路を自宅へと向けた。



 自宅に入ると買ったものを冷蔵庫やらそれぞれの収納へと片づける。

 早貴に言われるまで買い物をしなかった多駆郎だ。

 整理整頓することが普通になるなどありえなかった。

 親との接触が少ない多駆郎にとって早貴の存在は非常に大きい。

 

 最近一人の時間が増えている。

 それが今まで気づかなかった彼女の存在の大きさを実感させ始めていた。


「問題を解決したいけど、一つも解決できていないんだよな」


 焦りを募らせるばかりの多駆郎。

 事が起きてから何一つ解決できていないのだから当然だ。


「とにかく妨害電波だ。これを解決しないと」


 多駆郎が一番得意とする分野で何者かに負け続けている状況が我慢できなかった。

 故に、最初に解決する事案は電波とした。


「どうも頻繁に発生源を変えているみたいだな。相手が本気ってことか」


 呟きながら二階に上がる。

 眉間にシワを寄せて部屋の定位置へと座り込んだ。


「研究所の作業なんて後だ。電波系統を解決しないと他事に神経を使えやしない」


 アンテナはたくさんある。

 それを駆使して周囲をチェックし始めると、発生源を変更しているようだ。


「発生源を変えられているのに一点を探していたから外しているんだよな」


 頭を拳で軽く数回叩いて呟く。


「こんな簡単なことに気付かないなんて、相手に笑われていそうだな」


 悔しさで唇を噛む。


「オレ、動揺していたな。今までが平穏過ぎたからか?」


 家の敷地周りの地図を取り出し、作戦を立てる。


「平穏を取り戻さないと。巻き込んでいる人もいるんだから」


 気づけば日も落ちて薄暗くなっている室内。

 だが、部屋の照明を点けることもせずにモニターの明かりだけで地図を睨んでいた。



 ◇   ◇   ◇



 綿志賀家で行われていたお泊り会も翌日の朝を迎えていた。

 早貴のベッドではまだ二人は寝ている。

 早貴が千代の頭を抱え、撫でながら眠ったようだ。

 そのままどちらも寝返りすらせずに朝を迎えたらしい。

 千代は両腕の中で胸元に顔を埋めていた。

 露出している腕が冷えたせいか、千代が目を覚ます。


「――――早貴の胸だ」


 寝入る時に感じたままの状況で起きたのである。


「早貴、起きてる?」


 声を掛けてみるが、寝息が聞こえるだけで反応が無い。


「へえ。こんな感じなんだ」


 早貴の胸をゆっくりと突いている。


「ん? 千代起きたの?」

「あ、起こしちゃった?」

「なんか動いてる気がしたから」

「胸をね、押してたの」

「え」


 何か言われる前にと千代は胸に顔を埋めて左右に振った。


「人の身体で遊ぶな。そういう子にはこうしてやる」


 千代の首筋を爪先で軽く触れたまま下から上へとなぞった。

 すると首を縮めて千代は早貴から反射的に離れる。


「あは。くすぐったい」

「朝だよね。起きよう」



 一階では時子一人で朝食の準備をしていた。

 起きて一階へ来ると必ず朝食の準備中に挨拶をしている。

 毎度母親に感心する瞬間だ。


「おはようお母さん」

「はい、おはよう。千代ちゃん、よく寝られた?」

「久しぶりだから寝られないかもと思ってたけど、すぐに寝ちゃいました」

「それなら良かったわ。じゃあ、そんなにお話はできなかったのかしら」

「普段話はしているから、二人だけで寝るってことであたしの方が安心できたみたいで」

「そうね、いつも会っているんだものね」


 そこへ中学生カップルが登場した。


「おっと、初夜を過ごしたお二人の登場だ」


 珍しく遅く起きて来た香菜は、普段姉には見せていない寝起き顔でムッとした。


「朝から酔っ払いモードなの? そんな言い方やめてよ」

「あら、ご機嫌斜め?」

「おねぇちゃんの発言でこうなったの!」

「ごめんなさいね~。でも楽しかったんじゃないの?」

「そりゃあ、好きな人と一緒に時間を気にせず話ができれば嬉しいわよ」


 隣にいる透が困った顔をしている。

 下手に口出しをすれば冷やかされるネタにしかならないと思うからだ。


「ちょっと早貴、それぐらいにしときなよ」


 透の様子を見たからか、千代が話を止めに入った。


「朝から変な空気作らないでよ。せっかくの会なんだから」

「ごめん。透ちゃんもごめんね。失礼しました」


 早貴は二人に深々と頭を下げた。


「さあ、朝ごはんにしましょう。私のご飯を食べたら明るくなるわよ」



 ◇   ◇   ◇



 朝六時五十分。

 結局多駆郎は夜通し地図を睨みつけたまま朝を迎えてしまった。

 思考もまともにできなくなってきたのを実感した頃、インターホンが鳴った。


「こんな時間に? まさかあの子じゃないよな」


 睡魔に襲われているからか、そんなことを呟いてしまう。


「はい、どなた?」

『おはようございます、浜砂です』


 一瞬誰か思い出せないようで天井を見上げる。


「ああ、研究所で会ったあの人か」


 頭に研究員の顔が浮かんできたことで名前を思い出したようだ。


「ああ、おはようございます。早いですね」

『今日は七時からの日となりますので』

「そうなんですか。本当に今日からなんですね」

『申し訳ありませんが』

「そちらに行くので、少々お待ちください」


 二階から階段を降りる足音をたてながら玄関へ向かう。

 その音を耳にしつつ敷地内全体を浜砂は見回していた。


「実際に敷地内に入ると広さがとんでもないわね」


 浜砂は胸ポケットに挿しているペンを弄りながら呟く。

 玄関ドア付近でゴソゴソと音が聞こえてきたので姿勢を正した。


「お待たせしました。片付いていないので女性に優しくない家ですがどうぞ」

「うふふ、構いませんよ。身の回りのこともお手伝いさせていただきますので何なりとお申し付けください」

「手伝ってもらう方向が違う気もしますが、よろしくお願いします。中へどうぞ」


 玄関を入り用意されたスリッパに履き替える。

 以前は用意されていなかったが、これも早貴からの提案で導入されたものだ。

 浜砂は一階にある小型のテーブルへと案内される。


「こんな場所なので普通の家とは勝手が違いますがご了承ください」

「ある程度お話を伺ってから引き受けたことなので、大丈夫ですよ」

「それならいいんですが」


 浜砂は胸ポケットのペンへ手を伸ばそうとしたが、多駆郎に話しかけられ手を戻す。


「何か飲み物出しますね。……と言ってもペットボトルのお茶しかありませんが」

「お構いなく。これからはその辺のことも全て私にお任せくださいね」

「なんだか普通にお手伝いさんというか家政婦さんのような気がするんですが」


 多駆郎は首をひねりながらコップを用意する。


「もし手伝いというのがそんな感じでしたら、実はウチに本当の家政婦さんがいるので正直間に合っていますよ」

「そうなんですか!? 主にサポートさせていただくのは開発作業補助です。補助が必要無い場合は身の回りのことを補助させていただくという役目となっています」


 お茶を差し出して浜砂の向かいに座る多駆郎。

 続く話をどうすればいいか困っているようだ。


「それにしても家政婦さんがいらっしゃるなんて、さすが瀬田先生のお宅ですね」

「自分のやりたいことに没頭したかっただけですよ。それと少しだけ母親への謝罪ですかね」

「謝罪?」

「結婚していることに意味を感じなくなる程研究に没頭していましたからね。そのことへの謝罪です」


 お茶をグイっと一気飲みして多駆郎は立ち上がった。


「今日は開発作業の予定をしていないので、サポートしてもらうための具体的な話をしましょうか」

「作業の予定が無いのですか? 今日は初日ですのでどのように進めていくかのお話で良いとは思いますけど」

「オレの本業は学生なのでね、開発作業を最優先していたら留年しちゃいますよ」

「そうですね。学生さんにお任せするには随分と大きなプロジェクトですものね」

「まったくです。では少しでも時間が欲しいので、早速話を進めましょう」


 多駆郎が急ぐ理由は言うまでもないだろう。

 問題を解決しない限り、開発作業などできるはずがない。



 話は一時間程しただろうか。

 最終的に全てのことについてその場の流れで多駆郎から指示を出すことになった。

 多駆郎の性格上、その場の閃きで動いてしまうためだ。

 浜砂が訪ねてから二時間弱。

 今日は張り付いてもお願いすることが無いからと多駆郎は帰るようにお願いした。


「わかりました。今日はこれで」

「すみません。よろしくお願いします」


 多駆郎は家を出て門を出るところまで送った。


「わざわざ来てくださったのに」

「色々なケースがあると思いますので、改めてメンバーとも話をしてみますね。では」


 軽く会釈をして自宅へ戻っていく。


「実際に来られると正直やりにくいな。秘匿性の高いことばかりなのに」


 余計な心配事が増えたように思えるのだろう。

 地面を叩くように踏み込みながら歩いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る