第5話 通話に見る日常

 早貴は自室のベッドに座って脚を組み、やらかした足首を眺めていた。


「まさかこんなに酷くなっちゃうなんて。受け身が取れていないとこんなもんか」


 組んだ脚を解きながらベッドへそのまま倒れこむ。

 しばし天井を見つめる。

 今日起きたことが巻き戻されて再生されるように脳内スクリーンに映し出される。

 それを目に見えているわけではないがボーっと眺めている。


「千代とそういう関係……か。親友の絆がより深まったぐらいに思ってはいるけど、気持ちを体で表現するようになったんだよね。なんだろ、相手が千代だから大丈夫な気がしちゃうんだよな。アタシ男女関係なくそんな気持ちを持てる人だったのね」


 スカートのポケットから振動が伝わった。

 ゴソゴソと出しにくそうに寝転がったまま携帯を取り出し、画面を確認する。


「タクだ。はい、もしもし」

『もしもし、早貴ちゃんですか?』

「ははは。何その糸電話とかやっと繋がった無線的なしゃべり方。はい、早貴ですよ~」

『いや、早貴ちゃんと携帯で話すのが初めてだと思ったら普通に電話で話すのってどうやっていたのかわからなくなって』

「引きこもり過ぎなんじゃないの? アタシが中々行けないから誰とも話していないとか言わないでよ?」

『これでも結構忙しくてね。大学と研究室にはちょくちょく出かけているし』

「相変わらずですねえ。少し安心した。ちゃんと食事はしていますか~?」

『していますよ……それなりに』

「あ、なんか怪しいなあ。そっちに行きたいけど危ないから今は駄目なんだよね?」

『うん。まだ妨害電波も解決していないからウチの周辺には要注意だ。あれから不審者を見かけたとかはない?』

「それは無いよ。ただ香菜がメンタルやられちゃったりしたけど今は回復しているよ。後、今日はアタシが怪我をしちゃった」

『どうした? 大丈夫?』

「学校のトイレから急いで出た時に男子とぶつかってさ、倒れた拍子に捻挫しちゃって。足首周りが青というか紫というか凄い色になっています」

『それは災難だったね。』

「ほんとに災難だよ~。最近悪いことが続いているから出来るならそっちへお邪魔したいんだけどね~。新しい建物もまだ案内してもらっていないし。あれってなんで建てたの?」

『それは来てからのお楽しみだよ。』

「ずるいよ、おあずけじゃない。ああん、久しぶりにタクんちに行きたいなあ」

『まずは怪我を治してもらわないとね。何か手助けができるといいんだけど、今はオレと会わないようにしておかないと、早貴ちゃんが危ない目に遭うかもしれないから』


 いつの間にか上半身を起こして通話をしていた早貴。

 怪我をしている右脚を眺めて太ももをポンポンと叩く間をおいてから話を続けた。


「タクさあ、アタシがお邪魔しないと寂しかったりする?」


 多駆郎も間を空けてから答える。


『いつも見ていた顔を見ないと妙に心配したりはするね。今は特に』


「……そっか」


 お互いの部屋の空気感だけが伝わる言葉の無い通話。

 それぞれがぞれぞれの部屋を想像しているのだろうか。

 無言でも何かが伝わっているような様子で二人は携帯を耳に当てている。


「早く元のように戻れたらいいな」

『うん、そうだね』


 それなりの年月を一緒に過ごした二人だ。

 離れていても多駆郎のパソコン前で並んで座っている時と同じような会話ができる。


「戻れたら、月の声聴かせてね」

『月の声……か。いいねそれ。これからはあの音のことはそう呼ぼう』

「あ、なんか自然にそう言っちゃった。なんとなく月から出ている音だと思ったらそんな気がして」

『オレも早く聴かせてあげたいから調査を急ぐよ。オレ自身も落ち着かなくて作業がまともにできないしね』

「無理はしちゃ嫌だからね。アタシみたいに怪我でもしたらそれこそ作業とか言っていられなくなるから」

『わかったよ。善処する』

「うわ~、タクの信用できない答えが帰って来た。どうしたらタクが無理せずにいてくれるのかな。無事に解決できたらアタシの手料理でもごちそうしようか? 簡単なものは作ってあげたことあるけど、もっとちゃんとした豪勢なやつ」

『ちょっと興味あるかも。早貴ちゃんは料理上手だもんね。それが食べられるようにするよ』

「興味はしっかり持って欲しかったな~。苦手なものだらけにしちゃうぞ」

『それは勘弁。』


 お互いに笑い合ったところで通話に区切りがついた。

 場所は違うがその日起きた出来事を話し合えた二人。

 これまでの恒例であった一日の締めくくりを久しぶりに感じてすっきりした様子だ。




 五代家では千代が自室の机に向かっていた。

 椅子の背もたれにぐったりと身を預けて顔を赤らめながら回想をする。


「とうとう言っちゃった。早貴があんなにあっさり対応してくれるなんて、やっぱり好きだなあ。心臓が破裂しそうな感じで怖かったけど、伝えて良かった……よね。もう言っちゃったんだし、これで悶々としなくていいんだもん。――――ホッとしたら力が抜けちゃったな」


 両手をぶら下げて独り言を呟きながら告白をした時の感覚を何度も思い出す。

 その度に火照るため、顔の赤みが取れないままだ。

 指先を唇へ持っていき触れたところでドア越しに弟から声を掛けられた。


「姉ちゃん、起きてる?」


 唇を触ったままドアの方を向いてそれに答える。


「寝ちゃいないわよ。何?」

「いや、ちょっと様子がいつもと違ったから何かあったかなと思って、一応弟としての確認です」

「ドア越しもなんだから入って来なよ」


 透は言われるままドアを開けて千代の部屋へ入ってきた。

 赤い顔をしたままでまだ唇を触っている千代が椅子に力無く座っている。


「やっぱ何かあった?」

「どうして?」

「顔真っ赤だし、ぐったりしているじゃん。姉ちゃんは気だるい感じがある方だけど、それとは違うからさあ」

「香菜ちゃんと付き合うようになってからまた一段と優しくなったねえ、あんた」

「そ、そうか? 元々姉ちゃんのことは結構気にしている弟だと思うんだけど」

「優しい弟なのは確かだからいつも感謝しているよ。でもね、もっとあたしの気持ちに近い所へ届くような感じになったっていうのかな。香菜ちゃんへの気持ちがそこまであるんだねえって感心しているんだよ。香菜ちゃんと付き合えて本当に良かったね。あの子はなかなか策士のようだけど」


 透は頭を軽く掻きながら苦笑いをしている。


「策士ね。実は香菜の思う様に事を運ばれているのは感じているよ。でも遊ばれているわけでは無い、ん~、ある意味遊んでいるところもあるとは思うけど、好きを前提にした遊びというか、なんて言うのかな、遊ばれているうちは好きでいてくれているのがわかるというか……」

「あ~はいはい、ご馳走様。思いっきり惚気られるぐらいうまくいっているようで何よりだよ」

「はは、まあうまくいっています」

「まだ言うか」


 椅子を弟の方へ回転させて話題を変える。


「あのさ、早貴のことなんだけど」

「うん、明日香菜にも話すけどタイミングが合えばできるだけ手助けするよ。今は早貴姉ちゃんの周りに人がいた方がいいんだろ?」

「わざわざ言うまでもなかったか。よろしくね」

「そりゃあ今気にすることって言ったら、ねえ」


 千代が手のひらを見せるとそれに軽くタッチをして透は部屋を出て行った。


「透は頼りになるなあ。香菜ちゃん効果が凄いのか。まったく、あの姉妹は超人的だね」


 大きく息を吐いてから机に向き直し、千代はそのまま突っ伏した。


「早貴、元気そうにはしていたけど怪我で思う様に動けないと心細いよね。怪我していなくても自由に動きにくくなっているんだし。――――そうだ、奏が言っていたお泊り会を提案してみるか」


 早速携帯を手に取ってチャットアプリを起動し、企画を打ち込んで送信した。


『どうですかね?』


『うん、楽しそう』

『他に誰か呼ぶ?』

『千代と二人きりでもいいし』


「えーっ! 早貴の方からそんなことを……。迷うじゃない! そりゃ二人きりは魅力的だけど、奏たちも呼んだら早貴がもっと楽しめると思っていたからなあ」


『どした?』

『トイレにでも行ったか』

『チャットならトイレでもできるぞよ』


「もう早貴ったら。変な想像しないでよ」


『トイレ中を想像したの?』


『(ドアからキャラが出てくるスタンプ)』


『覗くな~』


『鍵かけていないのが悪い』


『いや、トイレじゃないから!』

『奏たちも呼ぼうかと思っていたけど』

『二人きりでもいいって言うから』


『そこか』

『千代がうれしいのはそっちなのかなあと』


『あたしは早貴に楽しんでもらおうと思ったから』

『みんなで集まったらどうかなって』

『早貴があたしに優し過ぎ』

『(号泣スタンプ)』


『当然でしょ』

『いっそ二人きりにしよっか?』


「本当にいいの? なんだか早貴も二人の方がいいような感じなのかな」


『色々と責任持たないよ?』

『それでも良ければ二人で』


『腹は括っている』

『だから安心するのじゃ』


「マジか~。その気でいるの~?」


『じゃあ二人で』


『千代可愛い』

『最初から二人が良かったんじゃないの?』


『(ハート一杯の照れているスタンプ)』


『じゃあ詳しくは学校でね』


『(敬礼ポーズのスタンプ)』



 携帯を机に置いてまた突っ伏す千代。

 腕の中に顔を埋めてから水泳の息継ぎの様に顔を出す。


「二人きりになっちゃった。でも香菜ちゃんいるし、透といっしょに行ってあげた方がいいよねえ。ダブルお泊りだ!」


 妙にテンションが上がってきた千代は早速透の部屋へと向かって行った。


「とおる~、寝た?」

「起きる音量で聞かないでくれよ。寝ていないからどうぞ~」


 透の部屋へと入った千代はまだ顔が赤いままで、口がだらしなく半開きになっていた。


「姉ちゃんまだ顔赤いぞ。おまけになんだかニヤニヤしているし、そんな気の抜けた姉ちゃんはほぼ見たことないよ」


「家なんだから気ぐらい抜かせてよ。それよりあんたさ、香菜ちゃんと一夜を共に過ごしたくはないかね」

「はあ!?」


 今度は弟の方が口を開けてしまった。


「どういうこと?」

「いや~、早貴がさあ思う様に動けないでしょ? 外もあまり出歩かない方がいいとなるとさ、あたしらが早貴んちへ行けばいいじゃないって思ってね、お泊り会をしようという話になったのよ」

「それでなんでオレが出てくるの?」

「そりゃあ香菜ちゃんがいるからじゃない。四人共幼馴染なんだし、透と香菜ちゃんは付き合ってまでいるんだから何も可笑しなところがない」


 キョトンとしたまま姉に一つ尋ねる。


「姉ちゃんさあ、お泊り会なんだよね? オレと香菜ってどうすりゃいいの? 四人で寝るの? オレは姉ちゃんと寝るの?」


 忘れていたことを思い出さされたように千代は両手をパチンと叩いた。


「あ、そっか。カップル同士で寝るのはマズイか。でもおばさんオーケー出しそうだけど。あたし交渉してみるよ」

「ちょちょちょっと! マジかよ。正直そんなことできたら嬉しいけど困るわ」

「じゃあやめとく?」

「それは勿体ない」

「んじゃあお泊りする?」

「できれば」


 千代は爆笑しながら透の頭を雑に撫でて自分の部屋へ戻って行った。


「なんだよ、結局オレで遊びに来ただけか。……でも交渉するって言ってたよな。期待しちゃうじゃないかよ~」


 弟も姉と同じく顔を赤くし、妄想を始めるのだった。

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