第6話 二人の日常、湧き出た心情

 二人はお互いに午前中にしていたことを報告会のように話した。

 別に決めごとではない。これまで会うたびにされてきたこと。

 

「何か飲み物飲む~。タクは?」


 早貴がベッドから立ち上がり、小型冷蔵庫へと向かう。


「あ~、お茶しかないよ。――オレもちょうだい」


 冷蔵庫を開けて、お茶の二リッターペットボトルが一本のみしか入っていないことをまのあたりにした早貴は、苦笑いをしながら取り出す。


「コンビニ寄ってくればよかったな。たまにはタクも何か補充してね」

「あ~、なるべくそうする」

「だ~め。自分に執行猶予を付けないの! ほんと基礎生活になると集中力ないなあ」


 早貴は、初めてこの部屋に入った時からある広口なタンブラーグラスを二つ冷蔵庫の上に並べる。

 それにペットボトルからお茶を注ぐ。

 早貴がこの部屋に通うようになってからは帰り際に早貴がグラスを洗って帰るようになっていた。

 そのため、いつでも使えるコンディションを維持されている。

 ペットボトルを冷蔵庫へ戻し、グラスを二つ持ってテーブルへ向かい始めたところで天井を見上げた。


「あん、なんでそういうところはキッチリやるかなあ」


 折り畳みテーブルが出ていない。

 運びかけたお茶を冷蔵庫の上に戻し、テーブルを出してくる。


「テーブルは片づけてあるのよね、いつも。なら他のことも、こう、なんかさ、もうちょっとないの?」

「ごめん。たいてい帰ってから気づくんだよね、いろいろと。んで、帰ってきたらとりあえず寝っ転がるか、スネをぶつけるから、テーブルは用が済んだらすぐ片づけるんだ」


 早貴は改めてグラスを運び、テーブルへと置く。

 

「それは知ってるけど、そんなんじゃ、彼女ができた時にすぐ逃げられるよ~。今どきじゃ、よほどの世話好きって人も少ないだろうし」


 多駆郎は頬をポリポリと掻きながら天井を見上げる。

 グラスの置かれた音により、回転台を取り付けた座椅子を百八十度回転させてテーブルへ向ける。

 早貴もテーブル前に座布団を持ってきてポトっと落とすように敷いた上にちょこんと座る。

 二人は向かい合ってお茶を一口含む。

 多駆郎は一口をそのまま飲み干したが、早貴は口の中で含んだまま転がしている。

 多駆郎が机に突っ伏して深いため息をついたのをきっかけに、早貴はゴクリとお茶を飲みこんだ。

 早貴は首を傾げ、多駆郎のつむじに目が行きつつ顔を近づけ尋ねる。


「どしたの? 何かあった?」


 いつも淡々と事をこなしていく多駆郎がため息をつくなんて珍しい。

 早貴にとっても多駆郎に対して心配する、なんてことは一度もなかった。


「いやね、屋上のアンテナをさ、感度を上げようと思ってね、数を増やしたわけさ。だけど屋上だと狭いから小さいやつで数を増やしたのさ」


 呆れ顔になっている早貴をよそに多駆郎は続ける。


「そしたら小さいわけだから、電波を捉える範囲が狭いわけだ。数でカバーできるだろうって気持ちが先走って、肝心なことが抜けていたからショックを受けてるんだ」


 早貴は元の姿勢に戻り、お茶を一口飲んだ。


「心配して損した」

「――え~」


 多駆郎は同意してもらえないことにもショックを受け、頭を上げてブーイング。

 すると早貴が萌え袖でグラスを両手持ちし、もう一口飲もうとしている。

 内巻きワンカールロングの髪が、両側のこめかみから一部ずつ両手にかかっている。

 多駆郎はじっと早貴を見つめていた。

 早貴がお茶を飲む動きで我にかえり、自分もグラスを持って残りを一気飲みする。

 多駆郎は座椅子をパソコンへと向き直す。

 パソコンモニター横のデジタル時計に映った自分の顔が赤くなっていることに気づいた。


「あれ、ナニコレ」


 多駆郎が思わず出した声が耳に入ってはきたものの、何を言ったかは聞き取れなかった早貴が尋ねる。


「ほんと、大丈夫? なんか変だよ?」


 多駆郎は自分で自分にどう説明すればいいのかわからず、とりあえず首をブンブンと振ってリセットを試みた。


「タク、この前の続き聞かせてよ。月のやつ」


 早貴にそう頼まれたことで、助かったと言いたげな顔になる。

 月にすがるように音のデータを探した。


「うん、いいよ。」


 カーテンの無い窓から見える空は、ホリゾントライトを空に投射しているよう。

 澄んだオレンジからピーチ、そしてブルーへの綺麗なグラデーションになっていた。

 早貴は座布団を多駆郎の左横にポトっと置いて、窓へ寄り、開けて足場へ出てみる。

 ひるむこともなく、慣れた動きで手すりに肘をかけて夕焼けを眺める。

 見とれながら手すりの上で腕組みに変え、そこへ顔を乗せる。


「綺麗だなあ。ほんとココ、ビューポイントだよね。好き」


 ファイルはとっくに見つけていつでも再生できる状態にしたまま。

 夕焼けが当たっている早貴に見とれていた多駆郎が、早貴の『好き』の言葉に妙に反応し、慌てて早貴を呼ぶ。


「聞けるよ」

「は~い」


 早貴は部屋に入り窓を閉めて、多駆郎の横に置いた座布団へちょこんと座る。


「いつまででも見ていられる夕焼けで綺麗だったあ。でもすぐに暗くなっちゃうんだよね」

「えっと、んじゃ、流すよ」


 流しているのは月の音。

 多駆郎がずっと手に入れられずに苦戦しているものだ。

 とりあえず実際に聞いてみたいということで、父親の顔の広さに無茶ぶりをした。

 電波望遠鏡の関係者に頼み込んで、月からの電波データを保存したものを入手。

 それを音として聞けるように変換したものを流している。

 無理やり音にして聞けるようにしているだけ。

 発信音や人によってはただの雑音にしか聞こえないもの。

 だが聞けたというだけでも多駆郎にとっては何よりの喜びだ。


「これを自分でキャッチしたいんだけど、やっぱ自力じゃ無理かな。電波は微弱過ぎるし、設備も大変だ。でも、星が発してるものに触れるって、最高じゃない?」


 このセリフを何度呟いているだろうか。

 聞かされてきている早貴は、星空を見上げることが楽しくはなっていた。

 ただ、多駆郎のテンション高い専門知識の応酬を受け入れるには、まだ至っていない。

 よくあるプラネタリウムのようなお話なら楽しめたのだろうが、多駆郎の話は電磁波だ。

 それこそ電波望遠鏡を扱うような団体と付き合いがあるのだ。

 綺麗な星団の一つでも見せれば早貴にも響いただろうに。

 しかし早貴も月の音に関しては、今日のように聞かせて欲しいというぐらいだ。

 興味が湧いてきているのだろう。



 ◇



 月の音を流し始めてから十五分ほど経っただろうか。

 多駆郎は左肩に重みを感じたが、これはいつものこと。

 早貴がゆっくりと眠りに入り、多駆郎の肩に頭を乗せたのだ。

 これまでずっと流星のエコー音を聞かせていた。

 聞きながら飲み物やお菓子を食べたり、他愛もない話をしているうちに三十分ほどで眠っていた。

 月の音を聞かせるのは二度目だが、どうもこちらの音の方が眠りやすいらしい。

 普段は気にせずモニターを眺めたり無線のチャンネルをいじっているのだが、今日は早貴の様子を見だした。


「いつもこんな感じで寝てたんだ。起こす時すらどんなだったか覚えてないな。ん~この子、こんなにかわいかったっけ? というか、キレイ、なんだな。えっと、なんかオレおかしくなったか?」


 そんなことをブツブツ一人で呟きながら、自然と早貴を眺め続けていた。

 


 ◇


 

 夕日もすっかり沈み、辺りは暗くなっていた。時刻は午後六時半。

 慣れているとはいえ、さすがに左肩の限界も感じて来る。

 多駆郎は少々もったいないような気もしながら、早貴を起こすことにした。


「早貴ちゃん、そろそろ帰ったほうがいい時間だよ」


 そう言いながら、早貴を軽く揺する。

 早貴は、半開きの目で頭を起こし、座ったまま両腕を頭上に上げて伸びをした。

 すると、袖が肘まで下がってきて、早貴の白い腕がモニターの光で浮かび上がる。

 多駆郎は思わずくぎ付けになってしまった。


「あ~、すっかり寝ちゃった。って、いつもか。でも月の音は癖になるなあ。今何時?」

「ろ、六時半だよ」

「そろそろ帰りますか。じゃ、グラス洗ってくるね」


 早貴はひょいっと立ち上がり、座布団を持って片づけにいく。

 そのついでに入り口の室内灯スイッチをオンにして部屋を明るくし、グラスを冷蔵庫の上にいったん置く。

 続いて折り畳みテーブルを片づけてから改めてグラスを持って一階へ降りて行った。


「ん~、今日はオレがおかしいのか、早貴ちゃんがいつもと違うのか、なんなんだ?」


 多駆郎は今までにない感覚で頭の中はパニックになっていた。

 これまで早貴が中学生の頃から始まり、昨年のクリスマスハートブレイク事件など、何度か聞かされた恋バナ。

 経験もないのに相談を受けて、ありきたりな返答でお茶を濁していた。

 そんな時でも、早貴に対して特別な感情が湧いたことはなかった。

 だが今日は違う。

 これまで聞いてきた話が、なんだか今になって刺さっていそうだ。


「今まであの子の彼氏だった連中は、こんな思いをしていたってのか? いやいや、あ~、もうわけわかんない」


 多駆郎が頭を掻きむしっている時に、グラスを洗い終わった早貴が戻ってきた。


「え、どうしたの?」


 早貴は、頭を掻きむしる多駆郎も初めて見るので心配そうな顔をしている。


「ああ、いやいや、大丈夫大丈夫。ちょっとかゆくなっただけだから。それより、通りまで送るよ」


 そう言って立ち上がり、帰宅を促す。

 早貴はグラスにガーゼハンカチをかけ、ショルダーバッグを肩にかける。

 部屋を出て階段を下りていく。

 多駆郎も部屋の電気を切って続いて降りる。

 玄関前で、早貴がブーツを履こうと足を滑り込ませているのを後ろから多駆郎は見ながら待っている。


「あ、猫の靴下履いてたんだ」

「そうなの。かわいいでしょ? パジャマも猫柄のをお母さんに買ってもらって、昨日から着てるんだよ~」

「そうなんだ」


 先ほどから解決していない気持ちが続いている中、さらに早貴ちゃん情報が舞い込んでしまう。

 多駆郎は手に汗をかくほどパニックになっているのを必死にこらえているようだ。


「お待たせ。ブーツは履いちゃえばなんてことないんだけど、脱ぎ履きがね。それを気にしちゃ楽しめないんだけどさ。じゃ、行きましょ」



 二人は多駆郎の家を後にし、歩き始める。

 多駆郎の身長は百八十二センチ、早貴は百六十二センチ。

 早貴の同級生にしてみれば、少々背が高く見えるのだが、多駆郎からすれば、小さい子にしか見えていない。

 ほんとに小さい頃から知っているということもあるのだろうが。

 


 ◇



 いつものお別れポイントに到着した。

 早貴は多駆郎の方を向いて、これもいつものように挨拶をする。


「今日もありがと。夕焼け綺麗だったし、月の音は不思議だし、楽しかったよ。また来るね」

「はいよ。そろそろ学校も始まるし、また来るなら夜になるんだから、気を付けてね」

「あれ、めずらし~。タクからそんな言葉が出るなんて。今日はタクの見たことないとこだらけだったな~」


 早貴はにっこりして手を振りながら歩きだした。


「じゃあね。今度は何か持ってくけど、タクも何か買って冷蔵庫入れておくんだよ~」


 道を渡って自宅側へ移り、坂を上っていく早貴を多駆郎は見送っていた。


「ん~、やっぱあの子、きれいでかわいいんだよな。外が暗くなってきたからそう見えるのか?――わからん」


 こうしてこれまで何度も繰り返されてきた二人の不思議な時間が終わる。



 ◇



 自宅に着いた早貴は、ポストをチラ見し、玄関へと入っていく。


「ただいま~」


 自宅に入ると外モードから家モードになるため、立ったまま片足を上げて手でブーツを引っこ抜くような脱ぎ方をする。

 おかえりを言いに香菜が玄関へ寄ってきた。


「おかえり~って、また可愛い格好しちゃって。なのにそのブーツの脱ぎ方で台無しじゃん」

「お。可愛いと言ってくれましたね。どちらかというと手を抜いた方なんだけど、うれしいな」


 早貴は言う。


「別に誰かに見せるわけじゃないんだから脱ぎ方ぐらいいいじゃん。この子は紐緩めにしてあるから、これで、脱げるし」


 早貴はブーツを引っこ抜きながらそんな返答をする。

 玄関を上がってからブーツをシューズボックスへと収納した。

 早貴と同じ猫柄でサーモンピンク色の半袖パジャマのシャツと、スウェットショートパンツ姿の香菜に抱き着き、早貴はリビングへと歩いていく。


「お母さん、ただいま~。可愛い姉妹が帰ってきましたよ~」

 

 早貴が酔っ払って帰って来た会社員のように言って見せる。


「私は出かけていないぞ」

「はい、お帰り~。結構ゆっくりだったわね」

「そう? まあ、ゆっくりしに行ったしねえ」


 時子はミッションが完了した炊飯器からの炊き立てご飯の匂いに包まれながら早貴を迎えた。

 早貴は香菜から離脱し、自室へと上がっていった。

 自室に入ってショルダーバッグをポールハンガーに掛け、ベッドへと倒れこむ。

 なんとなく寝ていた余韻を感じながら、携帯電話を確認する。

 チャットアプリに千代から数件届いていた。


「ありゃま。全然気づかなかったな。あ~、まだ聞いておりませぬ。夕飯とお風呂済んだらゆっくり聞きまする、っと」


 午後は多駆郎の家にいたため、千代から借りたCDをまだ聞いていない。


「おねぇちゃ~ん、ご飯だから手伝ってえ」

「は~い、着替えるから少し時間をおくれ~」


 こうして春休みのとある一日が終わろうとしていた。

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