第5話 出会うのが早過ぎて

 残暑もようやく落ち着いてきた十月。

 日向小学校では運動会が開催されていた。

 各学年二組ずつあり、奇数組が白、偶数組が赤に振り分けられ、紅白戦と組戦の二種で競われる。

 早貴と千代は二年一組。

 二人の家族はジャングルジム前に陣取って応援している。

 二年生の徒競走はプログラムの前半に行われるため、すでに二年生は入場口前に整列していた。

 一年生の徒競走が行われる中。

 入場待ちの列で早貴より一つ前のグループとして走る千代が早貴の所へ駆け寄ってきた。

 二人共肩まで伸びた髪が、赤にひっくり返した帽子でしっかりと纏められているかどうか。

 そして一組の色である青色のハチマキの結び具合をお互いにチェックする。


「それでは、けんとうをいのるっ!」


 どこで覚えたのか、千代がそんなセリフを言ってからハイタッチのポーズをする。

 早貴は二年生になりたての頃千代に、


『あたしがこうやってポーズをとったら、おさきちゃんはあたしの手にパチってタッチするのよ』


 そう教え込まれ、何度も練習をしていた。

 夏休み明けの二学期になってようやくそのポーズへの反応が速くなってきていた。


「えいっ!」


 ただ、速くやろうとするとこのように声が出てしまう。

 ハイタッチが決まると千代は自分の場所へ戻っていった。



 ◇



 一年生の徒競走が終わり、砂埃を舞い上げながら駆け足で退場していく。

 いよいよ二年生の出番だ。

 幼稚園の運動会では大人達が必死になってることが怖かったという。

 無事に走り切ることしか考えられなかったと。

 一年生の時は小学生になったんだという妙な緊張をしていて、気づいたら終わっていたらしい。

 運動会の話になると千代にもらしていたことだ。

 そして二年生になり、二度目の運動会。

 これまで思うように走れなかったというものの、結果は一位や二位の上位を取っている。

 それもあって、一位を取ることを目標にして臨んだ今回。

 これが早貴にとって初めて持った目標である。


「二年生、入場!」


 合図とともに行進曲が流れる。

 全員が同時に両こぶしを握って肘を曲げ、前列から順番に動きだした。

 すべてが整い、第一グループから走り出した。

 千代は第四グループ、早貴は第五グループとして出走。

 追い立てるような大音量の曲が響き渡る。

 次々と出走していき、あっという間に千代の出番となった。

 構えたかと思うや否や、スターターピストルの音と共に走り出して行った。

 千代がスタート直後から他三人を置いていく好スタート。

 早貴は千代の様子を見て勝ったと確信したのだろう。

 ガッツポーズをそのまま自分のスターティングポーズへ変える。

 スタートラインに左足先を合わせ、利き足である右足に意識を集中させる。


「よ~い」


 スターターピストルが鳴る。

 少し音に驚いたようで、踏み込む足がスライドしてしまう。

 でも倒れたわけではない。

 ゴールからは目を離さず、駆け出して行った。

 すぐに二人を抜き、白い帽子の二組の子を追いかける。

 ゴールがみるみる迫ってくる。


「やだ、負けたくない」


 そんな言葉をつぶやくと早貴の走りが変わる。

 観客やすでに走り終えた生徒達から驚きの声が沸き上がる。

 歓声の中でゴールラインを超えた。 

 早貴は上級生に抱き止められるまで足が止まらなかった。


「おめでとう! 凄かったね」


 上級生にそんな声をかけられ、走り終えた子の列へと誘導される。

 列に着く前に千代が駆け寄ってきた。


「凄いよ、おさきちゃん! 急に速くなってビュンって抜いちゃうんだもん」

「あなたお友達? 列に連れて行くの頼んでいい?」


 上級生の子が千代に一位の列への誘導を任せる。


「アタシ、一位になったの?」

「そうだよ!」


 千代が早貴の背中をバシバシと叩く。

 一位の列にしゃがんで座り、目を輝かせた千代がハイタッチのポーズをしてみせる。

 早貴はパチンと手を合わした。


「アタシ、最後目を閉じちゃって。ゴールテープ触るの楽しみだったのに」


 早貴はがっかり顔で地面を見る。

 その言葉を聞いた二位の子が隣で睨んでいた。

 千代は口に人差し指を持っていき、早貴にダメだよと合図する。

 その後の最終種目、全学年選抜紅白リレーは紅組二年生代表として早貴が選ばれて出場。

 二年生らしからぬ走りを再度見せて三年生へバトンを渡していた。

 この運動会での結果が、早貴と千代にとって陸上部入部のきっかけとなる。



 ◇



 運動会が終わると生徒達はトラックの外周に置いていた各自のイスを教室へ戻しに行く。

 先生達がテントの片づけなどをしている時間、生徒達は教室で待機。

 そこでは足の速さを見せつけられたクラスの子達。

 早貴と千代が話している所へやってきて、ちょっとした騒ぎになっていた。

 やはり、足の速い子は人気がある。

 すでに体育の時間に足が速いことは知られていた。

 実際に記録として残すと、ただ速い子というだけではなくなり、羨望の眼差しへと変わる。

 早貴と千代はなんだかわからないながらも、周りのそんな光景が面白くなってくる。

 お互いに笑顔を見せあっていた。



 ◇



 下校の時間になり、保護者もほぼいなくなっている学校を後にする。

 早貴達の家族も先に帰っている。

 早貴と千代は、道を挟んで向かいにある日向中学校を見ながら正門を出ていく。

 まだ二年生の二人はクタクタになっていて、歩くのもゆっくりだ。

 西日が夕焼けを作ろうと傾き始めているのを見ながら、早貴は水筒に残っているお茶をグイっと飲む。

 日向小学校と中学校は道を挟みはしているが、並んで建てられている。

 早貴達の自宅がある住宅地からはいったん駅前通りまで出る。

 三百メートル程駅とは逆方向に向かって、石垣の間に通されている道を入っていかないとたどり着かない。

 下校はその逆をすることになるわけだ。

 

「中学校を抜けられれば近道なのに、こう、なんかさ、もうちょっとないの?」

「ははは。そうだよね」


 早貴の文句に千代は同意しつつ笑っていた。

 テレビや家族、友達の話などをしながらようやく千代の家に向かう道に着いた。

 二人共、水筒のお茶を飲もうとしたが飲み切っていた。

 それぞれラッパ飲みで一滴が出てくるまで口を開けて待つ。

 ようやく舌に落ちて来たお茶をゴクリと飲む仕草をする。

 

「今日は二人共一位が取れてよかったね!」


 帰りに何度も言ったそのセリフを最後の締めとして言いつつ千代は例のごとく、ハイタッチのポーズをする。

 早貴も即座にタッチする。

 疲れがピークなのか、掛け声も出なくなっていた。

 手を振りあいながらそれぞれの帰路へ軌道修正し、歩き始めた。



 ◇



 早貴が歩き始めると道を挟んだ反対側にある、石垣とその上にあるうっそうとした茂みが目に入る。

 薄暗い街灯が申し訳程度に設置されている道の先から、小さな光が当たった。

 早貴は、普段なら先に何があるのかわからないような怖い感情しか抱かない道は気にもしなかった。

 しかし、夕日が何かに反射して当たったのかと思ったようで、反射しそうなものをキョロキョロと見回してみた。

 後ろを振り返れば夕日そのものが早貴を照らしているが、そういう光ではなかったようだ。

 さらに探していると、また光が目に入り込んできた。

 普段は見ない方向にある茂みに囲まれた道の先からだった。

 水筒のストラップをキュッと握り、道の先を見てみる。

 初めてしっかりと見てみると、二階建ての建物がかすかに見える。

 どうやらその建物の屋上から光が発せられているようだ。


「おうちがあったんだ」


 早貴はどうしても光の正体を知りたくなってしまったようだ。

 道の反対側へ渡り、意を決して薄暗い道を奥へと歩いていく。

 大きな鉄格子の門が閉まっていた。

 開けようと押したり引いたりしてみるが、ビクともしない。

 見えていた二階建ての屋上から、門を揺さぶる音に気付いたのか早貴に声がかけられた。


「どちら様ですか? 何か用事?」


 早貴は、人がいるとは思っていなかったようで、驚いた顔で屋上を見上げる。

 そこには二基あるパラボラアンテナの間に少年が立っていた。

 早貴は走って逃げようとしかけた。

 だが、相手が大人ではなく少年だったからだろうか、踏みとどまり少年に返事をし始めた。


「あ、あの。あっちの道を歩いてたらね、ここから光が当たったから、何かと思って来てみたの」


 足は内股でトイレを我慢しているように見える体勢。

 水筒のストラップを握る手は、ストラップの跡がくっきり付くほど強く握りしめていた。


「ああ、このアンテナに日光が反射したのかな。今このアンテナの向きを変えてたから。ちょっと待っててくれる? 門を開けるからさ」


 少年はそう言って、屋上から降りてくるような動きをしている。

 早貴は困った顔をしたまま、そこで待つことにした。

 門にたどり着いた少年は、体操服姿で早貴に改めて挨拶をする。


「こんにちは、オレは瀬田多駆郎といいます。随分驚かせちゃったみたいだね。オレは四年生だけど、君は何年生?」

「ア、アタシは二年生。な、名前は――」


 名前を言いかけて躊躇している早貴に、多駆郎はにっこりして言った。


「無理しなくていいよ。女の子は名前言いにくいよね。良ければ光を出した正体を見ていかない? お詫びというか、ちょっと面白いものも聞かせてあげるよ」


 妙に大人びた口調の多駆郎を早貴はまだ疑いの目で見ていた。

 しばし下を向いて考える仕草をしてから、多駆郎をじっと見て大きくうなずいた。


「じゃ、こっちから入って」


 門の片側に設けられている大人では頭を下げないと抜けられない高さの小さな扉。

 多駆郎は早貴をその扉へ誘導し、扉を開けた。

 早貴は誘われるままに門をくぐり、敷地内に入った。

 舗装されている道を多駆郎の後ろについて歩いていく。

 敷地内の全容が見えてきて、早貴は目を丸くする。

 一面芝生で覆われている中に、家が二軒離れて建っている。


「こんなに広かったんだ。すごい」


 呆気に取られているのも束の間、多駆郎がいた家の玄関に到着した。


「ようこそ、一応オレの家です。あっちが家族のいる家。元々こっちの家でみんな住んでたんだけど、父親がなぜか小さめに建てちゃって。あの家を建てた時に、この家をオレの作業に使えって言われてさ」


 多駆郎は母屋を指差しながら家について説明し始めた。

 早貴はポカンとした表情で一方的に入ってくる他人の家の情報を聞いている。

 玄関ドアを開けて多駆郎はホテルのドアマンよろしく軽く会釈しながら手のひらで入室を促している。

 恐る恐る早貴は足を踏み入れた。

 何だかさっぱりわからないであろう機械が多数ある部屋が目に飛び込んできた。

 靴を脱ぎ、そちらへ行こうとした時に多駆郎が一声かけてくる。


「あ、そっちは作業場だから行かないで。こっちの階段から二階へどうぞ」


 壁沿いの階段を上がるように促され、階段へ足をかける」


「あっ、冷たい」

「ごめんね、スリッパとかないんだよ」


 早貴はそのまま鉄製の階段を上がって二階の踊り場で止まった。


「そこがオレの部屋です。ドア開けて入ってくれる?」


 早貴は未だにガチガチになっているのとは裏腹に、怖いもの見たさが勝ったようでドアを開ける。

 そこには一階にあったものとは別の機械や、本棚、ベッドらしきものがある。


「どうぞ奥へ。片付いてなくて申し訳ないけど」


 そう言いながら多駆郎は座布団を一枚ベッドの前へ敷いた。


「ここに座って。今お茶用意するから」


 多駆郎は折り畳みテーブルを出してきて早貴の前に設置する。

 部屋の角にある小型冷蔵庫からペットボトルを出す。

 二つしか置いてないコップを出してお茶を注ごうとした。

 しかし気に入らないのか、コップを持って部屋を出ていく。


「ちょっとそのまま待ってて」


 階段を下りていく音が家中に響き渡る。

 早貴は言われるままに座布団へちょこんと座った。

 珍しそうに部屋中を見回す。

 見たことのない機械や、まだ触ったことのないパソコンなどには当然目がいく。

 それよりも気になるのが常に聞こえているノイズと電子音である。

 混信をしているのだろう、誰かの声が聞こえたりもする。

 ラジオ放送のようなものも聞こえる。


「ここ、なんなの? 凄いとこに来ちゃったみたい、大丈夫かなあ」


 ここまできて今更なことを言う早貴。

 しかし、座布団に座ったことで少しだけ気が緩んできたのか。

 水筒のストラップを握りしめたままになっている手を見る。

 手をゆっくりストラップから離して広げると、血の気が引いてしわがクッキリ付いていた。


「痛くなっちゃった。しわしわだ」


 握っていなかった右手でしわを押したりこすってみたりしている。

 階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 緩み始めていた緊張がまたよみがえる。

 ドアが開いて多駆郎が入ってきた。


「ごめんね、これで大丈夫だから」


 そう言いながらお茶をコップに注ぎ、早貴の前に差し出す。


「どうぞ、お菓子とかは無くて申し訳ないんだけど」


 早貴は小さく首を左右に振ってみせる。

 多駆郎は自分用にもお茶を用意し、パソコン前の座椅子をテーブルに向けて座る。

 人差し指で頬をポリポリと掻いている。

 二年生の女子に対して、何を話したらいいのかわからないのだろう。


「えっと、光が気になったんだっけ。たぶん日差しがアンテナに当たって反射したんだと思うから、とりあえず、アンテナでも見に行く?」


 多駆郎はひねり出した案を言いながら天井を指差す。

 早貴もこの状況に困っていたのだろう、コクリとうなずいた。

 多駆郎は立ち上がると、窓の方へ向かう。

 パソコンが置いてある机の奥には外へ出られる窓がある。

 右半分は机が置かれているため封鎖状態。

 どうやら左側が出入り口となっているようだ。


「こっちから上がるんだ」


 そう言って多駆郎は窓を開けて外へ出てみせる。

 早貴も立ち上がり、外へ出てみた。

 錆びだらけの鉄製な細い足場だった。

 キャットウォークと言った方がいいかもしれない。

 二階の高さと細い古びた足場が相まって恐怖心を煽る。

 少々ビクつきながらも手すりをしっかり握って下を見ないようにした。

 目線が上がった先には、茂みの先に夕焼けが見えていた。


「わあ、きれい」

「結構見晴らしいいでしょ? もうちょっと前なら宵の明星もきれいに見えたんだけど」

「よいのみょうじょう?」

「ああ、一番星のことね。夕方の西の空に見える明るい星がそうなんだけど、あれって金星なんだよ」

「金星……そうだったんだ」

「星は好き?」

「よくわかんない。ちゃんと見たことないから」

「そっか。上に行こうか」


 足場の先には屋上へと上がるための階段があった。

 二人は階段を上り、屋上に上がった。

 そこには二基の直径一メートル程あるパラボラアンテナが設置されている。

 多駆郎がアンテナの横に立ち、早貴の方を振り返る。

 するとアンテナの大きさに驚いたようすの早貴が心配そうに立っていた。


「大丈夫?」


「び、びっくりした。こんなに大きいなんて思わなくて。二つもあるんだ。テレビ観るのにこんなに大きなアンテナいるの?」


 多駆郎は片手を左右に振り、笑いながら答える。


「いやいや、テレビじゃなくて。オレさ、星の音が聞いてみたいなって思ってて、どうやったら聞けるんだろうっていろいろ調べたら、どうもこういうアンテナが必要みたいでさ」

「ほしのおと? 音があるの? 聞こえてたらうるさくなっちゃうよ」

「何もしなけりゃ聞こえないよ。聞こえるように変えるんだけどね」

「わかんない」

「まだオレも聞けてないんだけど、試しに星からの音を聞かせてあげるよ。部屋に戻ろう」


 多駆郎に言われるまま早貴は階段を降り、部屋に戻った。


「とりあえず座ってて。準備するから」


 そう言って、多駆郎は座椅子をパソコンに向け直し、座ってあぐらをかいた。

 パソコンを操作しだし、数回クリック音を出して早貴を隣に呼んだ。


「まあ、一応星の音ってことで、こんな音なら聞けるんだ」


 そう言って、多駆郎は音声データをクリックし、再生した。

 ポーっという電子音が不定期にスピーカーから聞こえてくる。


「これが星の音?」

「これ、実は流れ星からの音なんだ。流れ星をただ見てるだけだと普通は何も聞こえないんだけど、流れ星を録画したりして、後で観てみるとマイクが音を拾ってるんだ」

「へえ」

「あ、ごめん、ちょっとわかりにくかったかな」


 早貴はコクリとうなずいた。


「今のは例えばこんな感じってことで。でもこれだけじゃなんか物足りなくてさ。確かに星の音とは言えるから、悪くはないんだけど」


 多駆郎はパソコンのモニター横に置いてあるデジタル時計に目を向けると、午後五時半になっていた。


「ごめん! もうこんな時間だ。家の人心配するんじゃない?」


 それを聞いて早貴も時間のことを忘れていたことに気づいた。


「帰らなきゃ」

「外が暗くなっちゃったから、道まで送っていくよ」


 二人は慌てて階段を降り、多駆郎の誘導のもと、いつもの通学路まで出てきた。


「遅くなっちゃってごめんね。でも、もしよければまた来て。門はあの小さい扉からならいつでも入れるから」


 早貴はぺこりとおじぎをして、そのまま家に向かった。

 道を渡り、いつも歩いている自宅側をせっせと上っていく。

 多駆郎は、別れたその場から無事を見届けていた。

 これが、この二人の初めての出会いとなった。

 早貴が自宅に到着すると、玄関ドアを開けて時子が心配そうに待っていた。


「お母さん、遅くなってごめんなさい」


 早貴は深々と頭を下げた。

 時子がガシっと早貴を抱きしめ、


「良かった! すっごく心配したのよ! 何かあったの?」


 早貴のようすを見る限り、ケガはしていない。

 本人もすぐに謝ったところをみると、事件的なことに巻き込まれたわけではないと予想できる。

 時子は冷静に質問した。

 早貴は、一部始終を時子に話した。

 多駆郎が悪い子ではなさそうだというのも伝わったようだ。


「瀬田さんといえば、何かの研究をしてらっしゃって、時々ニュースにも出てる人よね。一応挨拶しておいた方がいいかしら。早貴、その子の家族の方たちには会ったの?」

「会ってない」

「離れにお邪魔したんだっけ。だから会ってないのか。う~ん、このこと知らないのだろうけど、やっぱり挨拶に行っておきましょう」


 多駆郎の父親は、ゴム化工会社の研究所所長。

 数々の特許を取得し、会社の経営を支えているといってもいいほどの要人だ。

 時子は、早貴といっしょに帰った千代の家に早貴について聞いていた。

 そのため、無事に帰ってきたことを電話で報告した。

 翌日の日曜日、時子と早貴は瀬田家に挨拶へ向かった。

 早貴が多駆郎から教わった通りに門の扉を開けようとすると、


「勝手に開けちゃだめでしょ」


 と当然のセリフで制する。

 早貴が多駆郎にこうやって入るようにと言われたことを伝えて時子はそれを信じて門をくぐった。

 離れまで歩いている間、前日の早貴と同じように時子も敷地の広さや家の大きさなどに驚いていた。


「お母さん、ここだよ」


 早貴が離れの玄関を指差す。

 時子が身なりを確認し、インターホンを押した。


「はい、どちら様ですか?」


 多駆郎の声が聞こえてきた。

 時子はこの子ね、という感じで返事をする。


「昨日お世話になった綿志賀早貴の母です」

「お母さん、アタシ名前教えてないよ」

「あら、そうなの?」

『ああ、はい、その声は昨日の子だね。今出ますので、少々お待ちください』


 小学四年生らしからぬ対応をされて、時子も調子が狂うようだ。

 すぐに鉄製の階段を下りてくる音が聞こえて来て、玄関ドアが開いた。


「お待たせしました。瀬田多駆郎と言います。昨日は遅くまでこちらに引き留めてしまい、申し訳ありませんでした」

「あ、あの、いえいえ、そんな」


 時子は完全にペースを崩された。

 子供にここまで大人対応されると調子が狂いまくりだ。


「お邪魔させていただいたのはこちらの方ですので、こちらこそ申し訳ありませんでした」


 時子は親御さんに言うはずだったセリフを思わず使っていた。


「ご両親に挨拶をさせていただきたいのだけど、お見えかしら?」

「母ならいるはずです。ご案内します」


 そのまま多駆郎は母屋の方へ二人を連れていく。

 離れとは明らかに違う立派な造りの邸宅に到着した。

 多駆郎が玄関を開け、家内へ手のひらを差し出し、


「中へお入りください」


 とホテルのドアマンよろしく軽く会釈しながら入室を促している。

 二人は言われるままに玄関へと入っていった。

 応接間に通されて、母親を読んでくるから少し待つようにと言われる。

 多駆郎と入れ違いに家政婦が紅茶を運んできた。

 家政婦が去った後、時子が思わず口に出してしまう。


「こういう家って、実際にあるものなのね」


 アンティーク調に統一された内装や家具が、別次元感を醸し出している。

 廊下から話し声が聞こえてきた。どうやら多駆郎が母親を連れてきたらしい。


「おまたせしました。私がこの子の母親で百合子ゆりこと申します」


 時子と早貴が立ち上がり、お辞儀をした。


「私はこの子の母親で綿志賀時子、この子が早貴と申します。昨日は突然お邪魔させていただいたようで、ご家族の方に挨拶もせず、失礼いたしました。心ばかりですが、よろしかったらお召し上がりください」

「そんな、この子こそ遅くまで大事な娘さんを引き留めてしまったようで、私も今さっき聞かされたところですし、こちらこそ申し訳ございませんでした」


 と、この後もひとしきり大人同士で会話がされる。

 子どもたちの耳が話を受け付けなくなってきたころに話が終わり、瀬田家をお暇することになった。

 百合子がしゃがんで早貴と目線を合わせる。


「多駆郎は星の話ができてすごく嬉しかったみたいなの。もし時間のある時は、ぜひ話を聞きにきてあげてくれないかしら。まだ小さいから、ちょっと無理なお願いかしらね」


 百合子は時子へと目線を変える。


「もう少し大きくなってからでもいいし、早貴が興味のあることがあれば聞いてみたら? それに、多駆郎君が四年生ってことは、勉強教えてくれるかもよ」


 時子が早貴の頭を撫でながら、早貴の心配を緩和するように話した。


「それでは、失礼します」


 この出来事から、親同士も了解した早貴と多駆郎の妙な関係が始まるのだった。

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