最後の天使

篠岡遼佳

最後の天使


 ――この世界には、外つ国と、中つ国がある。

 つまりは私の住むこの中つ国の外には、たくさんの外つ国があったそうだ。そこには、今ではたくさんの遺跡がある。

 おとぎ話は言う。世界は一度終わってしまったのだと。しかし、荒野と砂塵の世界から、私たちはゆっくりと緑を増やしていったのだと。


 確かに、外つ国には、見たこともないような大きな建築物の残骸や、長い時間を掛けて顔がつるつるになった彫刻などもある。

 豊かな国たちだったのだろう。水道橋を渡り、埃で服が汚れないようマントをぐっと隙間なく握りしめ、私は歩いていた。


 私は、誰も来ないこの外つ国のとある遺跡で、彼女に出会った。

 それは、外つ国の生き残り。

 背中に翼の生えた、天使であった。



 天使はいつも悲しい顔をしている。

 泣きはらした目をしていることも多い。

「こんにちは、今日も来たよ」

「あっ、あの……こんにちは」

 出会って数ヶ月になるのに、彼女はいまだに敬語を崩さない。

 『私は仕えるものの身ですので』

 とは言われても、私は彼女の主人ではないのだが……。

 彼女は目線をさまよわせながら、私に言った。

「あのう、紅茶はいかがですか」

「紅茶なんてあるの!?」

「あ……失礼しました。もうここにはないんですよね……甘いお茶菓子も」

「そうだねぇ。もう少し人が増えないと難しいと思う」

 中つ国の人口はまだ一万を過ぎたあたりだ。

 宗主は今のところおらず、みんななんとなく集まっては会議をし、作付面積を広げていっている。これでうまくいくのだから不思議だ。


「ねえ、天使さん、天使さんはどうしていつも遺跡にいるの?」

「ここが……わたしの一番長く暮らした場所だからです」

 彼女はふと目元を和ませ、ざらざらの砂で覆われた、立派な黒檀の机の表面を撫でる。

「わたしは、豊かな時代に生まれました。仲間もたくさん居ました。けれど、結局やはり、戦争が起きてしまった。わたしたちが居る所為で」

 天使さんは今見てきたように、真に迫った口調で言った。

 いや、天使さんにとっては、ほんの少し前の出来事なのかも知れない。

「私たちがいなくても、戦は起こる。私たちがいると、やはり戦いが起こる。高き御方は、それで諦めがついたのか、この世界を去ってしまわれました。ですから、この地は砂塵に埋もれ、文明はなかったことになりました」

 頭の中にある物語を紡ぐように、彼女は続けた。

「そして、天使も放棄されました。ただ生き続けるだけの存在として、今もこうして漂っているのです」

 生き続けるだけの存在。それは、終わる文明をただただ見つめているということだ。

 彼女はよく「わたしには祈りしかありません」と言う。

 彼女は戦争に関与できず、すべての死を見て回るしかできないのだ。


「天使さん」

「はい、なんですか?」

「泣いてるよ」

「そんなことは……」

「泣いてるって」

 私は彼女の頬を拭ってやった。空色の瞳が、ぱちぱちと瞬きをする。

 私は尋ねてみる。

「私がとなりにいても、やっぱり、ひとりは淋しい?」

「――いいえ、ひとりが淋しいのではなく、またひとりになるのが淋しいのです」

 天使は静かに羽を広げる。わずかな風が、机の砂を拭くように撫でた。

「そして、どんどんと途切れ途切れになっていく自分自身が、怖いのです」

 天使は死ねない。この世界の終わりを何度も見てきた。

 それが役目だから、神は彼女に余計な感情を付帯させなかった。

 しかし、感情とは感情と出会うことで発露するもの。

 神はそんな初歩的なことすら知らなかったのだ。

 ――記憶や感情は、やがて風化していってしまうことも。


「だから、わたしは祈るのです。ここから」

 半分崩れた高い天井に、色とりどりのガラスで模様が描き出されている。

「お祈りって、どうやればいいのかな?」

 私は彼女の隣に座り、なるべくゆっくりと話しかけた。

 天使はゆっくり瞬きをし、頷いてから説明する。

「手を組んで、思い描くんです。頭じゃなくて、胸で。そして、言葉を続けます」

「……どんな言葉を?」

「心から、伝えたい言葉を、そのまま」


 彼女は手を組み、目を閉じた。私もそれに倣う。

「高き御方、この世界で、私の役目とはなんなのでしょう……」

「神よ、……」

 私は一瞬言い淀んだが、続けて言った。

「彼女を解放してあげて下さい。永遠にひとりぼっちなんて、かなしすぎる」

 視線を感じてちらりと横を見ると、まじまじと彼女が私を見つめていた。

「それは……祈り、なんですか……?」

「そう。届かなくても、私がそうあってほしいから、祈るの」

「そうあってほしい……」

 私は頷いた。

「あなたをひとりになんて、させないから」

しっかりと握られた右手には、縛り付けられた心がほどけるような、ぬくもりがあった。




 ――わたしはこうして何度も繰り返す。

 出逢うことに後悔しても、あなたと居た時は永遠だ。

 そう約束しても、それを忘れてしまう自分を。


 だから、今回は、あなたとの記録を付けようと思うのです。


 一枚一枚、あなたのために、わたしの記録を残して、

 世界が終わったら、一枚一枚、火にくべるのだ。


 涙が出るけど、あなたが拭ってくれた。そのことを受け入れよう。

 世界を好きになれる気がする。

 あなたがそうしていつか、私を吹く風になるなら――。



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最後の天使 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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