生徒会長選挙の裏にあった想い

 名張さんは教室の窓際に立っている。ぼくは教壇に座って、聞く姿勢を作った。


「私の身勝手な行動のためにみんなに迷惑をかけてしまった。選挙費用やみんなの時間を奪った形になったね……」

「どのみち投票はやらなきゃいけなかったんだし、そんなに気にすることじゃないと思うよ」


 それよりも……。


「立候補した理由をズバッと教えてほしいな」

「ああ」


 名張さんがカーテンをいじりながら言った。


「すべては、新村夕奈の背中を押すためだったんだ」


「……新村さんの?」


 確かに彼女は、引っ込み思案な性格を変えたいと応援演説を引き受けた。そのために名張さんが立候補したと?


「実は、夕奈には好きな人がいるんだ」


 おや、どうも予想とは違うようだ。


「その人は有名人で人気もあって、こちらからは話しかけるのさえ難しい相手だったんだ」

「まさか……」


「そう、まずは自分を認識してもらうこと、そして印象づけることをしなければならない。とはいえ実行するには相当の勇気がいる。だったら、やりやすい環境を作るのが一番早い」


「名張さんの狙いは選挙そのものじゃなくて、広報活動をやるところにあったのか」


「相手は3年生だから、もう残された時間は少ない。親友が初めてしてくれた恋愛相談だったからね、私も絶対に成就させてやりたいとスイッチが入った」


 新村さんは演説で言っていた。

 名張さんは人に協力するのが大好き。時にはやりすぎなくらい手伝ってくれるという。


「そんな時にちょうど選挙があった。私はすぐ、これを利用しようと決めたんだ。夕奈は愛されキャラだからクラスの女子たちも快く力を貸してくれたよ。まあ楽しんでいる部分もあっただろうけどね」

「広報活動に出れば、相手に顔を覚えてもらえるわけだ」

「その通り。そして毎日ポスターを渡して印象づける」

「えっ」

「どうした?」


「もしかして、新村さんの好きな人って川崎先輩のこと?」


「さすが戸森君、数日見ただけで気づいたか。何せ川崎先輩は夏の野球大会でブレイクして新聞やテレビでも取り上げられたビッグネームだ。きっかけもなく後輩が声をかけるにはハードルが高すぎる」


 月海先輩の言葉を思い出した。

 川崎先輩が毎日同じ相手からポスターを受け取っていること。


 てっきり陽原さんが勢いだけで渡しているんだと思っていた。

 だが名張さんが言っていたように、陽原さんはクラス委員長の仕事をするためいない日もある。

 だったら陽原さんは、毎日同じ相手にポスターを渡すという条件を満たせない。


 そして川崎先輩の慣れた反応。

 あれこそ、毎日新村さんからポスターをもらっていた証拠じゃないか。


 思い返すと、名張さんたちは広報活動の撤収が早かった。新村さんが川崎先輩にポスターを渡した直後にはもう片づけていた。その目的さえ果たしてしまえば続ける必要はなかったのだ。


 ぼくは広報活動中の名張さんを数回しか見ていない。

 川崎先輩の登校時間が基準になるから、ぼくと月海先輩よりも川崎先輩の方が早く登校していた場合はすでに引き上げたあとだった。だから見かけない日があったのだ。


「昨日、夕奈が川崎先輩に渡したポスターには『伝えたいことがある』と書いてあってね。おそらく、もう告白は終わっているだろう」

「結果は……?」

「それはまだ……いや、出ているな。あれを見てくれ」


 ぼくは窓際へ行った。


 西門の脇に、身長差のある男女が立っている。

 川崎先輩と新村さんだった。


 川崎先輩は新村さんの肩をポンと叩くと、先に学校を出て行った。新村さんはすぐ携帯を取り出すと、何かを打ち込む。


 僕の横で名張さんの携帯が鳴った。


「どうやらうまくいったようだ」


 画面を見て、名張さんは安心した様子を見せる。

 名張さんが手を振ると、新村さんが振り返した。そして、深々と頭を下げた。

 成功した感謝の気持ち、ということか。


 ぼくはまたしてもあることを思い出していた。


 夏休み明け初日。

 川崎先輩に月海先輩を奪われたら……と心配するぼくに、山浦君が言ったのだ。


 川崎先輩は年下が好きだから、と。


 きっと広報や演説を通して、後輩である新村さんの存在が川崎先輩の中で大きくなっていったに違いない。


「ようやくわかったよ」

「何がだい」

「名張さんが選挙に無気力だった理由が」


 名張さんはふっと笑った。


「夕奈のために始めたことだ。生徒会長になるつもりはなかったから、間違っても私が柴坂さんに勝つようなことがあってはいけない。元々彼女の方が優勢だったとはいえ万一ということもある。だからみんなから『こいつには任せたくない』と思われなければならなかったんだ」


「自分の評判が下がることは怖くなかったの?」

「正直に言えば、少し怖かったよ。だけど一度決めたことはやり遂げる主義だからね。それに夕奈の演説が私を救ってくれた」


 新村さんが熱を入れて語った、名張さんの好きなところ。あれのおかげで、不器用だけど優しい人、というイメージはつけられたかもしれない。


 実際その通りじゃないか?

 親友の恋を応援するために、ここまで大がかりな手を打ってしまうんだから。


 新村さんの言葉がよみがえってくる。


 ――わたしも、学校のみんなに迷惑かけてると思ってて。


 あれは乗り気じゃない名張さんを押し上げたせいで選挙戦になったことを言っているのだと思っていた。


 だけど実際は、自分の恋愛のために選挙戦が発生したことを指していたのだ。


 新村さんも、名張さんに相談した結果、こんな展開になるとは想像もしていなかっただろう。それでも名張さんを止めなかったということは、逃げ道を断って覚悟を決めたということ。それは実った。


「私はどうやら変わった人間らしい」

「まあ、そうだね」

「そのせいか、入学してからクラスに馴染むまでに時間がかかった。そんな私を溶け込ませるために行動してくれたのが夕奈だったんだ。だから、あの子の想いをどうしても叶えてあげたかった……」


 張り切りまくったわけだ。うん、まさに不器用で優しい人だよ。


「しかし、柴坂さんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。結果の見えている戦いだ。彼女の熱心な広報活動にはほとんど意味がなかった。余計なエネルギーを使わせてしまっただけだ」


「そんなことないよ」


 ぼくが笑うと、名張さんが不思議そうな顔をした。


 柴坂さんは選挙活動を通して、自分がさらに成長している実感を覚えていた。


 この経験は無駄にはならない。選挙戦になってよかった。


 そう言っていた。

 柴坂さんは充実感を得ているだろう。単なる信任投票になるより、全校に名前も浸透したはずだ。


 柴坂さんは成長して、名張さんは親友の願いを叶えられた。


 Win-Winでしょ? これも青春の思い出ってことで。


「戸森君、この話はキミの心にしまっておいてほしい。わがままばかり言っているのはわかっている。だが――」


「心配しないで」


 ぼくは言った。


「絶対に、誰にも言わない。もちろん月海先輩にもね」


「……ありがとう」


 名張さんは自分のバッグを手にした。


「ようやく気が楽になった。これからもよろしくね、戸森君」

「こちらこそ。本当にお疲れさま」

「お互いさまだよ」


 じゃあね、と名張さんは手を挙げて帰っていった。動きが様になっているなあ。


 ともかく、これにて一件落着だ。

 この秘密は胸にしまっておく。名張さんと新村さんの友情を汚すような真似だけは絶対にしないと心に誓った。


 今度こそ、ぼくも帰ろう。


     †     †


 月海先輩は、正門の前でずっと待ってくれていた。


「景国くん、お疲れさま」

「遅くなってすみませんでした」

「気にしないで。誰かと会っていたの?」

「はい。名張さんと」

「ふうん……」

「か、顔が怖いですよ先輩」

「そう?」

「べ、別に変な話はしてないですから。ただ……」

「ただ?」

「自分がやる気なさすぎたから、柴坂さんに失礼だったかもしれないって言われたんです。ぼくが今度柴坂さんに伝えることになりました」

「そっか。でも、本人の意志じゃなかったのなら仕方ないことよね。これで未来生ちゃんも名張さんもホッとしてるんじゃない?」

「きっと、そうだと思います」


 月海先輩に嘘をついてしまった。けれど、こう伝えておけばこれ以上の興味を示されることもないはずだ。


 いいよね、これで。


「景国くんも大役を果たしたね。かっこよかったよ」

「あ、ありがとうございます」

「遠かったから、表情がよくわからなかったのが残念だけど」

「そういうのは見なくていいんです……」

「ひとまずお仕事は片づいたようだし、ゆっくりできそうかな。またどこかに出かけたりしようね」

「はい、ぜひ」

「じゃあ、手を貸して」


 そっと手を伸ばすと、月海先輩が指を絡めてきた。


「のんびり帰りましょ」


 ぼくは先輩の手をしっかりと握った。


「ぼくも、ちょうどそうしたい気分でした」

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