先輩に嫉妬されたくはないけれど

「黒田君。突然で申し訳ないんだけどぼくに力を貸してくれないかな」

「もしかしなくても応援演説の推薦文だよね」

「そうです!」


 うえー、と露骨に嫌そうな顔をされる。


 朝の教室。

 登校してきた黒田君に、ぼくは相談を持ちかけていたのだった。


「作家志望者としての能力を、ぜひここで発揮してもらいたいんです」

「お願いしてる側なのにグイグイくるね。まあ、少しくらいなら」

「ありがとう!」


 ぼくは机に原稿用紙を置いた。


「なんて始めようかな」

「まず自己紹介でしょ。柴坂未来生さんの推薦者である戸森――下の名前なんだっけ」

「推薦者の戸森です、と」

「なんでスルー?」

「き、気にしないでくれ。次は?」

「私が柴坂さんを支持する理由として――ここで戸森君の意見を書けばいいんじゃないかな」

「ふむふむ」


 ぼくは月海先輩と話してイメージしていた言葉をつなげていく。


 柴坂さんの飽くなき向上心、積極性。

 お願いはするけど強要はしないバランス感覚などなど……。


「うーん、書くべきことは決めてあるんだけど、上手く文章にできないな」

「純文学の新人賞じゃあるまいし、そこまで文章力なんか求められてないでしょ。適当で大丈夫」

「黒田君こそ適当なのでは……ていうかなに書いてるの?」

「俺も柴坂さんの推薦文書いてみようかと」

「あ、見せて。参考にしたい」

「まだ書き始めだよ」

「いいよ。どれどれ」


『それは、美し人でござゐました――。』


「小説じゃん! いつもの黒田君じゃん!」

「いや、いつもの俺ではないよ。俺こんな文体使わないもん」

「そういう問題!? しかもこの意味のない旧仮名遣いと――ダッシュはなんなの?」

「雰囲気あるでしょ」

「でも、これ音読するとき関係ないよね?」

「……ああ」

「気づいてなかったのか……」

「声に出して原稿読んだことないから」

「なるほど、それでいつも誤字に気づけないんだね」

「ごふっ」


 黒田君が口を押さえた。


「吐血した?」

「待ってくれ、やろうとしてたネタを取るな……」

「最近、周りで吐血ムーブが流行ってるからさ」

「戸森君の周りどうなってんの? 怖いんだけど」

「まあまあ。それはさておき」


 ぼくは黒田君のメモ用紙を指さす。


「黒田君は柴坂さんを美しい人だと思ってるんだ」

「いいだろ、事実だし。でも本人にこの話したらさすがにキレるからそのつもりで」

「そんなことしないよ。黒田君はぼくと月海先輩の関係をばらさないでいてくれたじゃないか」

「……わかってるならいいけどさ。信じてるからね」

「うん、安心して」


 ぼくらは約束の意味を込めて拳をぶつけた。


 チャイムが鳴った。


「あっ」

「ホームルーム始まるな。続きはあとで考えなよ」

「今日は3時間目が国語だったよね。そこで隙を見て進めてみる」

「まあ、気づかれないようにやってよ」


     †     †


 授業中先生に見つかることもなく、お昼休みまでに推薦文を書き上げることができた。

 これを誰かに添削てんさくしてもらおう。


 これから月海先輩のところに行くし、見てもらおうか。


「…………」


 しかし、迷った。


 何せ柴坂さんの長所について、思いつく限りのことを書いたのだ。先輩からすれば、あまり面白くないかもしれない。


 ――私、妬いちゃうかもしれないから……。


 以前、先輩に言われたことを思い出す。


 どうしよう。見せない方がいいかな。

 でも月海先輩はアドバイスが的確だし、内容の弱点も教えてもらえそうな気がするんだけど。


 ぼくはなかなか立ち上がれなかった。

 しばらくすると、携帯にメッセージが届いた。


 ――今日は無理そう?


 月海先輩からだ。待たせてしまっている。


 とりあえずお昼休みは普通に過ごして、帰りに決めるか。

 ぼくは教室を出た。


     †     †


「お疲れさまです」


 屋上ではいつものベンチに月海先輩が座っていた。


「景国くん、忘れ物してない?」


 ぼくは固まった。


「な、何もなかったと思いますよ」

「原稿用紙が見当たらないけど」

「せ、千里眼!?」

「また不思議なリアクションね……。未来生ちゃんから連絡があって、景国くんが推薦文で悩んでいるようだって教えてくれたの。よかったら見せてもらえない?」

「で、でも……」


 月海先輩がからかうように笑う。


「恥ずかしくて見せられない?」

「実はそこで迷ってたんです……」

「そっか。でも未来生ちゃんのいいところはお互い見てきたんだし、アドバイスできるかもしれないよ」

「そ、その……柴坂さんを褒めまくった内容なので……」


 声が小さくなる。


「もしかして、私が嫉妬するとか思ってる?」

「そ、そんなことは……」

「思ってるみたいね」

「すみません」

「謝る必要はないわ」


 ぼくはホッとして月海先輩の顔を見た。が、笑顔が消えていた。


「でも彼女としては、ちょっと面白くないわね。彼氏が他の女の子を褒め称えているのは」

「えっと、謝った方がいいですか……?」

「この前、景国くんは私の好きなところを語ってくれたわね」

「は、はい」

「あれを原稿用紙に書いて、私にちょうだい」

「え?」

「それで私と未来生ちゃんは同点になるし、気持ちに余裕ができるから」


 茶々丸のとき以来の謎ポイントが出てきた……。


「わかりました。そっちも書くので、推薦文を見てください」

「任されたわ」


 本当にこれで解決なのか?


 不安は残ったが、ひとまず月海先輩の機嫌を損ねずに済んだようだ。


     †     †


「まあいいんじゃないかしら」


 損ねてました……。


 その日の夜、先輩がぼくの部屋に来て原稿をチェックしてくれた。が、ずっと真顔。まったく表情が動かない。


「いくつか表現が過剰になってる部分があるから赤ペンを入れておいたわ。やりすぎると逆効果だから、一つのポイントを押し出しすぎないことね」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 先輩から原稿用紙の束を受け取る。

 ぼくはそれを机に置いて、別の原稿用紙を先輩に差し出した。


「これ、先輩の好きなところを書いたものです……」


 サッと持っていかれた。

 さっきまでの真顔が嘘のように柔らかい表情に変わっている。


「景国くん、字が丸くてかわいいわね」

「せ、先輩のように達筆な字は書けないですよ……」


 月海先輩は嬉しそうに文字を追いかけている。


「うん、記憶にある通りの文章だわ。景国くん、勢いだけでしゃべっていたわけじゃないようね」

「そ、それはもちろん……」


 覚えていたのか。すごい記憶力だ……。


 先輩は原稿用紙を胸に抱いた。


「大切にするね。本当にありがとう」


 ぼくは今度こそホッとした。

 先輩を怒らせてしまったかと思ってヒヤヒヤしていた。


 そんな焦りも、優しい表情になった先輩を見ていたら一気に消えていった。

 全部、上手いところに収まった気がする。これで推薦文はクリアだ。

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