甘々ホットケーキふたたび
「教室のみんなにからかわれたんですよ」
「ごめんごめん。景国くんとお話することだけで頭がいっぱいだったのよ」
夕暮れ時の帰り道。
ぼくは月海先輩に抗議していた。
みんなぼくらの関係を理解していてくれて本当によかったけど、恥ずかしかったのは事実。
「ねえ、クラリッサのホットケーキを食べに行かない?」
「あ、いいですね。行きましょう!」
「景国くんを困らせちゃったお詫びってことで、私がごちそうするわ」
「いえ、自分のはちゃんと払います。前回は結局受け取ってもらえなかったの、忘れてませんからね」
「本当に律儀なんだから」
「譲れない一線なので」
「一線……」
沈黙。
「まあ、お金のことは向こうについてから決めればいいわ」
「今の間はなんだったんですか……」
妙なところで静かにされると妄想が膨らんでしまう……。
† †
「ブレンドコーヒーとホットケーキを一つずつ」
「ぼくはカフェラテで」
マスターがうなずいてカウンターの向こうへ行った。
前に来た時は初夏だった。もうすっかり秋なので飲み物は温かい方がいい。
今回のクラリッサはぼくたちだけだ。騒がしい女子高生グループはいない。
「ねえ景国くん、今日ずっと考えていて、ある決心をしたの」
「どんな?」
「鍛練を見に来てもらおうかと思って」
「……でも、ぼくがいると駄目なんじゃ」
「そう思ってた。でも、荒療治も必要なんじゃないかって考えたの。景国くんに見てもらって、むりやりにでも慣れていく。私は恐れすぎていたのかもしれないわ」
「強引にやるのはよくない気がします。メンタルに悪い影響が出たら大変ですよ」
「……まあね。だけど本番は景国くんにも見てもらいたいし、
もう覚悟は決まっている様子だ。
「先輩がそこまで言うなら、鍛練を見させてください」
「お願い。明日の夜、未来生ちゃんと立ち合いをやるつもりだから、来てくれるかな」
「行きます。……あの、駄目だと思ったらすぐ言ってください。先輩がつらそうにしてるとこっちまでつらくなるので」
「わかった。約束する」
ホットケーキと飲み物が運ばれてきた。
先輩がホットケーキのお皿を寄せて、早速切り分けた。
来るか……?
「はい景国くん、あーん」
やっぱ来た――――――――!!!
マスター以外に人がいないとはいえ、やっぱり恥ずかしい!
「さあ、あったかいうちに」
「は、はい……」
ぼくは口を開けた。先輩がそっと、ホットケーキを入れてくれた。
うん、おいしい。
先輩の切り分け方も上手いから食べやすい。
「次ね。どうぞ」
再び口を開ける。が、先輩は動かない。
「あーんって言ってほしいな」
くっ……!
「あ、あーん」
「はーい、どうぞ」
二口目をもらう。控えめな甘さが口の中に広がっていく。生地がふわふわでたまらない。先輩からもらっている分、甘さが増している気もするけどね。
よし、ぼくも行っておこう。たまには反撃するぞ。
「月海先輩、ぼくにもやらせてください」
「だーめ。これは私の特権なの」
「あーん、してみたいです……」
ちょっとすねてみると、先輩が「うっ」と言葉に詰まった。おお、予想外の効果。
「駄目、ですか?」
間の取り方は先輩のを見て体で覚えたぞ。どうだ!
「……し、仕方ないわね」
「ありがとうございます!」
先輩がホットケーキのお皿をぼくの方に寄せてくれた。ぼくはすぐさま切り分けた。あまり大きくせず、一口で食べられるくらいに。
フォークを先輩の口に近づける。先輩は視線をあちこちにやってもじもじしていた。
「先輩、あーんですよ」
「うう……や、やらなきゃ駄目?」
「お互いにやらないとフェアじゃないです」
「……あ、あーん」
か、かわいい!
顔が真っ赤になっているのもかわいい……。
「は、早くして」
「どうぞ」
先輩がホットケーキを口にした。恥ずかしいのか、目を閉じてもぐもぐしている。
「景国くん」
「なんですか」
「軽率な気持ちでやってしまったことは謝ります。謝るから許して……」
やはり守勢に回ると防御力が下がる月海先輩であった。
「じゃ、あと一回ずつ交互に」
「そ、そんな……!」
「ぼくが先攻もらいますから。――はい」
「うぅ……あーん……」
もぐもぐ、サッ。
飲み込んだ瞬間、お皿を自分の方に引き寄せる月海先輩。
「ふふ、こうなったらこっちのものよ。さあ、あーんして」
「あーん」
「なっ!? さ、さっきの焦ってた景国くんはどこに……!?」
くくく、慣れればどうってことないぜ。
口を開けていると、先輩が不本意そうな表情でフォークを伸ばしてきた。
これにてあーんの交換は終わり。……なんだか言葉にすると頭の悪そうな響きだ。
そのあとは、二人で一枚ずつホットケーキを食べて、クラリッサを出た。
† †
「月海先輩、お金出します」
「あとでいいわ。とりあえず歩きましょ」
先輩が動き出す。「会計は一緒で」と先手を取られたせいで代金を払えなかった。こうなると月海先輩にお金を受け取ってもらうのは大変なのだ。払い逃げされると申し訳なくなるから、絶対に出す。
「月海先輩、今日こそは出しますからね」
「無理しなくていいのよ? 私が好きでやってることなんだから」
「いえ、よくないです。ぼくの気が収まりません」
「でもお小遣いが減るのは痛いでしょ」
「あんな楽しい時間を過ごせたことに比べればなんでもないです」
「そっか。でも、必要ないわ」
「あります」
ぼくが払おうとしても先輩はあれこれと理屈をつけて出させまいとしてくる。
堂々巡りの会話を続けているうちに、家の前まで来てしまった。
……こうなったら奥の手を使うか。昼間、電話でやられたお返しも兼ねて。
「じゃあまた明日」
「先輩、お金だけは受け取ってください」
「気にしないで。じゃ――」
「光先輩、お願いです」
「なっ――あ、え、待って、今……」
ぼくはじっと、先輩の顔を見つめる。
先輩はあわあわしたあと、手を当てて右目のあたりを隠した。
「わかった。いただくわ」
「ああ、よかった」
ビシッと先輩が人差し指をぼくに向けてきた。
「い、言っておくけど、毎回この手が通じるとは思わないでね! わ、わわわ私は下の名前を呼ばれたくらいでなんでも許しちゃうような人間じゃないから! じゃあおやすみなさい!」
月海先輩はさっさと家に入っていった。
……なんか、ツンデレみたいな反応だったな。
ちょっとやけくそ感あったけど。
まあ、ようやく先輩に食事の代金を渡せたからいいか。
下の名前を呼ぶのはここ一番の時だけ。
とても威力があることはわかったから、気軽に使わないようにしよう。
でないと価値が下がる気がする。
恥ずかしい目にも遭わされたけど、色んな意味でお返しもできたので充実した一日だった。
明日は道場へ鍛練を見に行く。
月海先輩がいつも通りにできますように。
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