第178話 恵みの水の逆
またも三半規管にアレが来た。
浮遊感、というか、逆かな。
エレベーターが一階に止まる直前に減速するあの感覚。ってことは。
十条東寺でとどめさす。京都到着が近いのか。
いや京都には到着できないんだけど。琵琶湖着水の時なんだ。
ちゃんと着水できるのかよ。できたとして、沈まずにいられるのか。
こちらとしては何も準備できぬまま、時間ばかりが呆気なく進んでしまう。
エレベーターが止まった。いや、たぶん着水したのだろう。水の上だから、着地の衝撃すらほとんど無かった。飛行機だって、滑走路に着陸する時には、ドスンと、一瞬だけ地面に吸い寄せられるように強引に足を降ろすもんだしな。
やっと日本本土に到着した、という安心感より先に、再び三半規管に刺激が来た。揺れている。ゆらん、ゆらん。
そう、これは、稚内から利尻島に渡るフェリーに乗った時のような揺れる感覚。水の上に浮かんでいる不安定な船のようなフラフラ感。
ああ、こういう時に、外の様子を見ることができる窓が無いのが悔しい。というか困るぞ。
いやでも窓が無くたって外の様子は状況証拠から想像できる。そもそも潜水艦だって、窓なんか無いのに小さな潜望鏡やソナーの情報だけで標的の様子を探り、魚雷攻撃で一発仕留めるだろう。
今はたぶん、まだ琵琶湖の上に浮いているんだろう。だけど、そんな長時間浮いていられるとは思えない。コイツは船じゃないんだ。国技館なんだ。元は都市艦だったかもしれないけど、パージして来たんだし。
「え? ちょっと何この水?」
悲鳴のような声を挙げたのは、自らのの名前に水を持つ佐藤恵水だった。
「あ、ほんとだ!」
「上から流れて来ているよ。ヤバイんじゃないのコレ」
俺は慌てて、そちらに目を向けた。
西の花道、ってことになるだろうか。
擂り鉢状になっている国技館の、俺たちは一番下の位置に居るわけだが。
西の花道から、透明な水がひと筋、流れてきていて小さな川になっている。
そう。たとえて言うならば、外から帰って洗面所で手洗いをする時に、蛇口をひねって水道水を出す。石鹸を使ってよく泡立てて洗う。その、手洗い用の水の勢いくらいだろうか。だから、ちょぼちょぼではあるが、床は次第に水溜まりになりつつある。
これは恵みの水、の逆だろうな。
「おい、これって、琵琶湖の水が浸水しているってことじゃないのか? このままだと、国技館、俺たちと一緒に湖の底に沈んでしまうぞ」
やめてくれよ。サムズアップしながら溶鉱炉の底に沈んで行くなんてカッコいいシチュエーションはマンガだけで十分だ。俺はそんなの巻き込まれたくない。
「じゃあどうすればいいのよ、盗撮犯!」
この期に及んで俺を盗撮犯呼ばわりかよ、永井映観さんよ!
「み、水を外に掻き出す方法を考えなくちゃ。ど、どこかにヒシャク無かったかな? あでも、全員に行き渡る分は無いかも」
気が動転しているのだろう。トンチンカンなことを言ったのは細川ヒトミだった。双子の妹らしき方。
俺は冷静だ。冷静に考えよう。ヒシャクで水を掻き出すなんて、何の根本的解決にもならない。
そもそも、国技館を日本の国土の要所要所に打ち込んで、それを魔族を封印する結界とするはずだったのだ。
俺たちの国技館は京都に楔を打ち込むはずだった。日本の古都。大事な役割だった。
でも魔族の奸智に負けて軌道がズラされてしまい、琵琶湖に落ちた。
こうなった以上、国技館の沈没は時間の問題だと割り切る必要があるだろう。京都に結界を張る作戦は失敗したのだ。認めたくないけど認めるしかない。
「ヒシャクじゃダメだろ。そこは文明の利器のポンプを使って排水するべきでしょ」
冷静に妹に突っ込んだのは姉の細川アリサだ。
だが待てよ。アリサの提案の方が突っ込みどころが多いように思う。
まず、水の上に到着することなんてそもそも想定していなかったのだから、恐らく排水用ポンプなんて用意していない。
そして仮にポンプだけがあったとしてもダメだ。排水を送るためのホースが必要だ。かなり長いホースが必要だろうな。
ポンプとホースがあっただけでも不足だ。文明の利器というからには電気が無ければ動かない。どこから電源を取るのか。ホースも長くなるけど、電気のコードも長くなるだろう。
もっと細かいことに言及すると。単純に電気につなげばいいってわけじゃない。ポンプのワット数がどうなのかもきちんと把握しないと。あまりワット数の小さい弱いポンプだと、排水が間に合わないだろうから、国技館内に水がどんどん溜まっていってしまう。ワット数の大きい強いポンプなら、コードが細いと大量の電流を流せない。しっかりしたコードを準備したとしても、大きなワット数に見合った電気設備が整っていないと、例えばの話、途中に設置されている漏電ブレーカーの設定電流よりも大きな電流が流れれば過熱によりサーマルトリップしてしまうだろう。
いやいやいやいや。そういう問題以前の話だよ。ヒシャクにしてもポンプにしても、五十歩百歩ってやつだ。水を掻き出すことを考えてどうするんだよ。永遠にこの水上の国技館に立て籠もるんじゃないんですけど。違うだろー、このハゲ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます