第175話 ベルヌーイの定理


 いかにしてどっしりと構えていようと心がけていても、どうしても一瞬びっくりしてしまうのは、仕方ない。たとえて言うなれば、地震大国である日本で震度3の地震が起きたら、誰だって一瞬「お、揺れたな。地震か」と思ってしまうようなものだ。


 一瞬ビックリしたとしても、まあいい。落ち着いて泰然自若と構えていればいいのだ。


 それこそ、土俵下で自分の取り組みを待つ横綱が、腕組みしてどっしり構えて待っているようなもんだよ。


 ズーン、ゴーン。


 なんか、左から音がしたと思ったら、今度は右からした。


 なんだかんだいって、ミサイルは命中しているってことか。


 大体想像はつくけど、飛んでいる速度は遅そうだ。


 現実の飛行機なんかはある程度の速度が無ければ浮力を得られない。スイスの物理学者のベルヌーイの定理だったっけか?


 だけど、俺たちが乗っている国技館は、魔法も含めた推進力らしいけど、飛行機なんかとは比べ物にならないくらい質量がデカ盛りで重いので、速度はそれほどでもないらしい。ミサイルを命中させようと思ったら、そんなに難しくはないのかもしれない。


 それに、空を飛んでいる国技館は、俺たちだけじゃないしな。都市艦旭川から多数飛び立っている。ええと、全国47都道府県に対して、国技館30個だったっけ。


 つまり、敵の攻撃も30分の1に分散されてしまうっていうことだ。


 それに、俺たち都市艦旭川が日本本土上陸作戦を開始したことに影響を受けて、後に続く都市艦がいるはずだ。必ずいるはずだ。後続が参加すれば、更に敵の攻撃は分散される。


 ま、ほかの都市艦が参加する頃には、俺たちは京都の鴨川の河原に降り立っているだろうけどな。


 ズズズズーン・・・・


左から四発連続で低い音が轟いた。こりゃまるで、チャイコフスキーの悲愴交響曲の第三楽章のラストみたいだ。壮大な盛り上がりゆえに演奏の途中であるにもかかわらずつい拍手が起きてしまうことも稀にあるところ。


 ズーーン。


 また左か。ぼちぼち、ただ単なる命中に飽きてきたかも。


 あくびが出てきた。ついでに涙もちょちょぎれた。


 繰り返し、幾度も左から命中する。ああ、これは、あれだな。ダメな官僚というか、アカンお役所仕事パターンだ。一度、何かの事業を開始したら、それがダメだと途中で分かったとしても中断することができずに延々とズルズル続けてしまうやつ。


 これなら、勝ち確定だな。少なくともこちらは、結界維持のための相撲さえ継続していれば問題ない。ノープロブレム。相手の魔族には、こちらの国技館を破壊する方法が無さそうだ。


 一番コワいのは、対空ミサイルをやめて、魔族自身が大挙して押し寄せて魔貫光殺砲の集中砲火を浴びせられることだ。


 ま、マヌケな魔族連中のことだ。そんな智恵は回らないだろうな。


 そもそも智恵が回るんだったら、効果が無いのに無駄に高価な対空ミサイル攻撃を継続したりせず、もういいかげん中断しているはずだよ。


 俺は心にゆとりを持った。胸の真ん中にぽっかりとオレンジ色の明るい光が点ったような感覚がする。こちらの旭川に転生してから、ずっと慌ただしく駆け回ってばかりいたので、ゆとりなんて抱く機会が今まで無かったな。


 勝ちが確定的なら、前祝いで勝利の祝杯としてビールを飲みたいな。


 酒は俺の人生を彩る魔法のエキスだよ。


 ってことは、このまま京都か。楽しみ楽しみ。定番だけど、八ツ橋も食べておくべきだな。定番を馬鹿にするヤツもいるけど、まずはきっちり食べてから、他の名物も食べてみたいところだ。


 なんか、土俵付近が少し姦しくなった感じがして、そちらに目を向けると、んっ? と俺は思わず首を傾げてしまった。


 土俵上には誰も居ない。力士二人もいないし、行司もいない。


 どうしたんだ? 肝心の結界維持のために最も必要なことを怠ってどうする。魔族に対して万に一つの勝機を与えてしまうことになる。油断大敵。欲しがりません勝つまでは、だぞ。


 レオタードにまわし姿の女子六名は、土俵下に降りて、ひとかたまりになって話し合っているようだった。


 取り組みを休んで全員で話すなんて。何か重要案件でも発生したとでも言うつもりなのだろうか。


「おーい! みんな、どうしたんだ? どうして誰も相撲をとっていないんだ?」


 もしかしたら、怪我人が出てしまったのかな、と、この一瞬、頭を過ぎった。


 いや、でも、土俵際に集まって立ち話をしている六人は、特に誰かが怪我をしているような感じには見えない。特定の誰かを心配しているような素振りは無い。


 ただ、一斉に俺の方に顔を向けた六人全員が、等しく不安げな表情で顔を曇らせていた。


 な、なんなんだよ? 何が起きた?


 まさか、魔族の対空ミサイルなんていう弱小へなちょこ攻撃で国技館が損傷したとか、言い出したりしないよな? 冗談顔だけにしろよ?


「赤良、どうも魔族の攻撃を受けて、マズいことになったみたいなのよ」


 少し沈んだ声でクロハが言った。


 なんだよ、何がマズくなったんだよ。女子高生六人は既に概要を知っているようだが、俺だけ蚊帳の外で虫さされ状態だ。いくら俺がモテないボッチだからといって俺だけ仲間はずれにしないでくれや。情報の共有は大事だぞ。もったいぶらずに早く教えてくれよ。


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