第144話 ▼ホッパー▼


 爆発事件後、俺は工場にも倉庫にも立ち入っていない。事務所だけだ。自分が乗ることになっった愛車のフォークリフトの安否がどうなっているか確認できていない。


 ……たぶん、ダメだろうな。


 さすがに楽観視はできないだろう。工場、倉庫部分がどれくらいのダメージを負ったのかは見ていないから俺には分かりようは無いけど、崩れた瓦礫に巻き込まれるなどして、壊れてしまっている可能性は高そうだ。


 考え事をしていたけど、人の流れに乗って歩いているので、いくつか角を曲がったけど迷ったり間違えたりすることは無かった。どこかで見た記憶があるような緑色の屋根に白塗り壁の大きな会館に、人々は吸い込まれて行った。なんだろうこのデジャブは。普通、地域の会館って、もっとこぢんまりした建物じゃないのかな。会館と呼称するには随分巨大なようにも感じる。


 会館の地下に降りると、会議室という場所があったが、俺が想像していた会議室とは印象が全く違っていた。


 なんというか、▼ホッパー▼状と言うのか、擂り鉢状と言ったらいいのだろうか。中央部分が一番低くなっていて、そこを取り囲むように周囲が座席になっている。ボクシングの試合を実施する会場みたいな、というよりは、大相撲の会場みたいな感じじゃないか? 真ん中に土俵と吊り屋根があったら、まんまテレビで見る大相撲中継だ。


 とはいえ、今は吊り屋根も土俵も無い。中央部分には、朝の屋外朝礼で校長先生が登って訓辞をするような鉄パイプ製の台がある。マイクスタンドも置いてあるので、そこに大須賀氏が登壇するのだろう。


 座席は決まっていないらしい。ので座ろうとしたが、前を見ても後ろを見ても、当然左右を見ても知り合いがいない。非リア充で、ぼっち状態には慣れている俺とはいえ、大勢が集まった中で誰も見知った顔が無いというのは不安だ。


 よって、俺は慌てて人の流れに逆らって抜け出した。そのまま一旦会議室という場所を出てトイレを探した。話が始まってしまうと、そうそうトイレに立つこともできなくなるだろうから、今のうちに小用を足しておきたかったのも事実だ。


 トイレは広かったが、さすがに来る人数が多いためか、慌ただしく入れ替わり立ち替わりだった。それでも男子トイレの方は並ばずに俺も用を足すことができたが、女子トイレの前は短いながらも行列ができていた。


 おそらく、俺と同じようにあの事務所から移動して来た人たちだけではなく、事情を聞いていて自宅から直接こちらに来ている人も多くいるようだ。あの製麺工場で働いている従業員が全部で何人くらいなのか想像もつかないけど、たぶんそれよりも多い人数がこの会議室に集結しているのではなかろうか。


 俺も席に着いた。が、やっぱり前後左右どちらを見ても知り合いの顔は無い。遠くを探しても、内田マネージャーも小太り眼鏡も長髪のイケメンも見あたらない。会場の大きさを考えれば、視線の届く近くにいないかぎり、探すのは困難だろう。


 と、気づいたけど、俺の左隣に座っているのが、若い女性だった。いかにもオフィスの事務員が着るような紺の制服姿だったが、秋葉原の劇場で歌って踊る48人のアイドルグループに入ってもおかしくないくらい、横顔をチラ見しただけでも顔立ちが整っていて黒髪もつやつやで可愛い。一瞬だけラッキーと思ったけど、ほんとマジで一瞬だけだった。その女性の更に左隣に座っている若い男性が、いかにもスーパー自由な大学サークルに居そうなウェイ系のチャラいイケメンで、その女性に話しかけ始めたのだ。話題が合ったのか、女性の方も楽しげに会話し始めた。俺は急速に女性への興味を失い、まだ大須賀氏が登場しないものかと前の演壇だけに注目した。周囲に知り合いがいない状態というのは、本当に不安なものだ。


 会場がどれくらい埋まったのだろうか。満席、までは行かないだろう。上の方は空席が目立つ。だが、製麺工場の従業員だけにしては随分多すぎる感じがするので、恐らく他の会社とかの人も来ているんじゃないかな。大須賀氏というとテレビのコメンテーターとして知名度があるようだし。


 そうこうしているうちに、東の花道からテレビで見た黒髪ツヤツヤ、ただしおそらくヅラの大須賀氏が入場してきた。会場から拍手が起こる。俺の左隣の美女もその更に左隣のナンパなイケメンも拍手している。


 やっと始まるのか。


 マイクスタンドの前に立った大須賀氏は、正面を向いて、懐から紙を取り出してそれに視線を落とした。俺の座っている位置からは、大須賀氏の横顔を左から見下ろす格好になる。


「えー、大須賀でございます。このたびは、わたくしが役員や理事などを務めさせていただいております、旭川市内の各企業から、みなさまに集まっていただき、まことにありがとうございます」


 やはり、俺の読み通り。製麺工場の人だけが集まっているわけではないらしい。


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