第130話 Sincerely


 立ち合い。


 俺は得意の二本差しを狙っていた。これならまわしが無くてもできるし。


 行司恵水の声と共に立った瞬間から、二本差しを狙って両腕を相手の腋目がけて差し出した。感覚的には両前まわしを取りに行くような感じだ。まわしは巻いていないけど。


 だが、フォークリフトのごとき二本差しを狙った手は、俺の上体が起こされたため、空振りに終わった。相手の突きが思った以上に効く。


 だが、俺も負けてはいられない。反撃に転じるぞ。


 俺も突く。突き返す。


 つっぱられたら、つっぱり返す。それが常識。麒麟児vs富士桜の対戦を思い出せ。


 相手の胸をめがけて、俺は手を交互に前に繰り出した。


 あ、誤解の無いように言っておくが、相手の胸を狙ったとは言っても、おっぱいじゃないぞ。相手の鎖骨のあたりを突きに行っている。お互いに前傾姿勢になっているわけだから、鎖骨のあたりが一番距離が近いのだ。


 だが、突っ張りの回転力では、相手の方に一日の長があったようだ。手数で完全に俺の方が劣勢だ。


 じりじりと俺のかかとが後ろに下がって俵が近くなる。


 やばい。まっすぐ直線的に下がると、最短距離で土俵のリングを割ってしまう。後退する時には土俵の円さを利用して無限に下がれる体勢であるべきだ。


 相手のナツカゼの突き押しは容赦なく俺に浴びせかけられる。俺の胸を突くはずの突きがたまたま顔に入ったりする。それって、手のひらでボクシングのストレートを浴びているようなもので、痛いぞ。


 俺も、手数は少ないながらも押し返す。ちょうど、俺の右手が相手の喉輪に入った。ナツカゼが大きく仰け反る。


 よし、このまま左手で喉輪を押してやる!


 しかし、ナツカゼの喉輪を押していた腕に対し、肘の部分に下から掌をあてがわれて、腕を跳ね上げられてしまった。


 まずい。


 こういうオーバーアクションは、腋が甘くなってしまうし、次の突っ張りに移るためにも一瞬時間が余分にかかってしまう。ほんの短い時間の攻防で勝負のつく相撲の取り組みにおいては致命的だ。


 俺の左手がバンザイになってしまった隙をついて、ナツカゼは更に突っ張りを仕掛けてくる。腋が空いたのに差しに来ないのか。あくまでも押し相撲にこだわるらしい。


 ヤツは俺の胸を真っ正面から突いた。着衣の上からではあるけど、おっぱいの部分である。


 まともに食らって、一歩下がってしまった。まだだ。ここから前に出て反撃すれば。


「勝負あり!」


 恵水の声が、夜の神社の境内に響き渡った。一歩下がってしまった俺に対して、ナツカゼはその場に留まっていて、追い打ちをかけてこなかった。二人の間に若干の距離が開いた状態だ。


「ひ、東神楽の勝ち……」


 恵水の続く言葉に、俺は自分の負けを知った。


 足元を見下ろしたら、おっぱいを突かれて一歩下がったその一歩で、土俵のリングを割って出てしまったようだ。確かに俵を跨いでいる。


「ちょっと赤良、何やってんのよ。信じられない」


 敗北した俺に対して、クロハがあからさまにがっかりした表情で失望の念を表明した。俺の健闘を称えてもくれなければ、その俺に勝ったナツカゼの巧みな取り組み展開を褒めもしない。


 つまりそれだけ、まわしすら着用していない非公式の取り組みではあるけど、勝ち負けに拘っていたのだ。


「あ、、、、、負け、たのか? 俺が?」


 アンビリーバボー、という思いがやって来て、俺の頭の周りを時計回りに一周して、どこか遠くへ飛び去ったかと思ったら、また来た、という流れを幾度か繰り返した。その間、俺は単に呆然とするばかりで、一歩も動けなかった。


「ちょっと、あなた、この人たちの監督なんでございますよね? だったら、取り組みの後はきちんと礼をする。ご自分で行動で示さないと、いくらお口で言葉で教えたって伝わらないのではありませんか?」


 ナツカゼは東方に戻り、巫女衣装の乱れを整えながら、俺が西方に戻るのを待っていた。


 そ、そうだな。非公式の取り組みとはいえ、礼は必要だ。


 やはり、このナツカゼと名乗る巫女衣装の変な女、どうもいけ好かないヤツではあるが、相撲に対してはシンシアリー真摯に取り組んでいるようだ。そこだけは好感を持ってもいいんじゃないかな。


 俺は西方の土俵際に戻り、相手のナツカゼが頭を下げるのと合わせて、自分も頭を下げた。


 勝負は終わった。行司は勝ち名乗りも何も言わなかったが、正式の取り組みじゃないのだから、それが無かったからといってどうというのでもない。


 ただ、俺が敗北したという事実だけが残る。


 俺、負けたわ。


 辛うじて取り組み後の礼はしたけど、茫然自失で何もする気力も起きて来ない。


 まさか、自分より体格で劣る女子高生なんかに相撲で負けるわけがない、というミッドウェー海戦時の日本海軍のような慢心が無かった、とは言えないだろう。


 だけど、本当に負けるとは……マジっすか。


「大人の男のくせに、女子高生に相撲で負けるなんて。マジでかっこわるい」


 クロハ、その「男のくせに」という発言は男性差別だぞ。


 他人から言われれば差別だけど、自分の意識の中では、大人の男である俺が、体格で劣る女子高生なんかに負けるという想定はしていなかった。


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