第51話 風よ、梅の香を告げよ
「お兄さん、どこへ行くつもりなの?」
藤峰子似の美女が美しい声で尋ねる。うん、可愛らしい声でありながら、俺が若い頃に徹夜でプレーしたエロゲのヒロインのような、濡れ場シーンでのセクシーさのようなものも含有した、密度の濃い声だ。
「俺、西高、……じゃなくて、旭川西魔法学園に行きたいんです」
「お兄さん、高校生じゃないわよね? それにしてはヒゲ生えているし、いかめしい感じの顔立ちだし、服装も学校の制服じゃなくて私服だし」
その疑問はごもっともですわ。
「あ、すいません。西魔法学園に行きたいんじゃなくて、厳密に言うと、学園の地下にある工場に行きたいんです」
横を向いて、美女の横顔をうっとりと眺めながら、なにげなく言った。
すると、菩薩の横顔が、こちらを向いた。その時には夜叉の顔になっていた。
さっきとは一転した低い声が俺にのしかかるように被せられる。
「お兄さん。地下の工場のことは、迂闊に他人に口外してはダメだよ。いいかしら?」
まるで匕首の刃みたいに、ドスの利いた声色は、マジで恐かった。パンツの中では玉袋が縮こまってしまった。
なんなんだ? 地下の製麺工場って、シークレットなのか?
いや、確かに、製麺工場なんて、わざわざ地下に立地する必要性無いけどな。それをあえて学校の地下なんかに作っているのは、よほど土地が無いのか、シークレットなのか、といった理由しか思い当たらない。
「お兄さん、運がいいというか、奇遇というか、運命的な巡り合わせね! 実は私も、西魔法学園の地下にある製麺工場に行くところだったのよ」
そんな都合のいい偶然って、アリ?
もしかして俺、一生分の運をこの件で使い果たす、なんてことになったりしないだろうか?
いやいや。一生分の運といえば、以前に佐賀県擬人化アニメのイベントに、高倍率をくぐり抜けて当選した時に使い果たしていたはず。
運というのは、使い果たしたからといって完全に枯渇するもんじゃないんだ。貯金通帳とは違う。
日々、地道に頑張っていれば、また運勢ポイントがじわじわと蓄積されていって、運気が巡ってくるものなのだ。いわゆる、ここからまた俺のターン! といった感じだ。
お姉さんは青い車を発進させた。向かうは旭川西魔法学園。……の地下。
車はびゅんびゅんスピードを出して他の車を追い抜いて行く。4トン平ボデートラックも追い抜く。早い早い。
「ちょ……お姉さん、スピード出し過ぎじゃないっすか? 警察に捕まっちまいますよ?」
「大丈夫大丈夫! 大船に乗った気分でゆったり構えていなよ!」
藤峰子に似ている美女は、ハンドルを握って前を見たまま、豪快に笑った。
そういえば、この人の名前、ちゃんと聞いていないし、そもそもどんな素性の人なのかも聞いていない。なぜ製麺工場に向かっていたのかも不明だ。まさか工場の従業員ってことは無いだろうし。取引業者とかかな?
麺を作っているからには、その麺を出荷することになる。取引先は……当然、ラーメン屋だ。だって製麺工場なんだし。
あ、いや、ラーメンとは限らないのか。うどん、蕎麦、そうめん、パスタなどの可能性もあるっちゃあるか。
いやでも旭川はラーメンの街だ。早明浦ダム県とは違ってうどんにはそこまでこだわりは無いはず。江丹別蕎麦に関しては、一旦脇に置いておいて。旭川といえば日本一のラーメンの街だ。
だから、製麺工場の取引先だとすると、この美人のおねいさんは、ラーメン屋さんってことなのかな?
こんな美人がいるラーメン屋なら、毎日通いたい!
「あのー……お姉さん、もしかして、ラーメン屋さん?」
藤峰子似の美女は、運転中なのでしっかり前を見たままではあるが、切れ長の目を丸くした。
「あら、あなた、良く分かったわね。私は麺屋梅風軒本店の女将なのよ」
梅風軒か。旭川を代表する名店じゃないか。チェーン店も世界各地に出店している超有名どころだ。日本全国のラーメン通に知られているチェーン店だが、その中でも本店の女将か。すごいじゃないか。
でも、その本店にいつの間にかこんな美人女将がいたなんて知らなかった。……って、知るわけないか。俺がいたのは現実旭川。ここは平ボデートラックにひかれて死んで転生してやって来た異世界旭川。見た目は似ていても別物だ。
じゃあ、今度の休みには、梅風軒本店へラーメンを食べに行こう。決定だ。
ところで今度の休みとはいうが、休みってそもそもあったっけ? と俺が首を捻っている間も、車はスピードを緩めない。対面一車線の道路を、白いセンターラインをオーバーして対向車線にはみ出して、前を行く襲い車を抜き去る。
ある種、快感ではあるが、恐ろしい。対向車と正面衝突などしようものなら、確実に原型を留めずに死ぬだろうな。交通事故で死ぬ経験なんて、普通の人は一生に一回でも多すぎる。
「この車、魔法で地面から少し浮いているから、道路交通法が適用されるかどうか、裁判で判決が出るまで分からないのよね。あはははははは!」
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