第33話 失われたビタミンを求めて

 いつまでも歩道上でガックリしていたら通行人の邪魔になってしまうし、近所の十人に奇異の目でみられてしまうかもしれん。あわてて俺は立ち上がった。アスファルトとはいえ地面に手をついていたので、ぱちぱちと掌の埃を払う。


 ズボンの尻ポケットから財布を取り出す。


 中身を確認して、……ああ、額を金槌で殴られたようなショックを受けてしまいましたよ、俺は……


 高額紙幣が一枚。


 あとは小銭がジャラジャラ。


 それだけだ。


 絶望しか無いじゃん!


 まあ元々俺はそんな大金持ちじゃない。倉庫でフォークリフト乗りをしている従業員が、そんな高給をもらえる上級国民だという話を聞いたことは無いから、旭川だけでなく、全国的に見ても、フォークリフト乗りはそれほど高給取りではない。ぶっっっっっっっちゃけ、下級国民サマですよ。


 んでも、手持ちがこれだけか。こりゃ心細い。


 これだと、ビジネスホテルに宿泊するにしても、最初の一泊くらいが限界じゃないか。ATMに行って下ろしてこないと、と思ったところで、朧気ながらも次第に状況を思い出してきた。


 確か……向こうの世界に居た時、俺は、最初は家にいた。駅前のホビーショップで買った美少女フィギュアの箱を開けようとしていたが、空腹を感じてしまった。それで、フィギュアを箱から取り出して棚に飾るのも、下から覗いてどんなパンツをはいているかを確認するのも後での楽しみに取っておき、まずは腹ごしらえに近所のラーメン屋に行こうと思い、財布を持ってアパートを出た。そして歩いているうちに、トラックにひかれて異世界に来てしまった。……という流れだったはず。


 近場のラーメン屋に向かう途中だったから、そんな大金を持ち歩く理由は無い。財布の中に普通に入っていた高額紙幣一枚と小銭だけだ。


 信用金庫のキャッシュカードも持っていない。カード類は、財布とは別に、運転免許証やフォークリフト技能講習の資格カードなどと一緒にパスケースに入れている。


 だけど、車を運転せずに歩いて行くということで、そのケースは家に置いたまま、異世界に来てしまった。ズボンの、財布が入っているのとは反対側の尻ポケットの中も探ったが、そちらは空っぽだった。


 そうだ。


 俺は、腹が減ってラーメンを食べようと思っていたのだった。


 結局、ラーメンを食べる前にトラックにひかれて死んだ。異世界に転生してからは怒濤の展開で魔法学園へ連れて行かれて相撲部監督就任と明日からの職場が決定して、今に至る。


 腹が減った。


 手持ちの金もキャッシュカードも無いとなると、金は節約しなければ。何か食べるにしても、新たな収入の目処が立つまでは節約した方がいいんじゃないのかな。


 新たな危機感が芽生えていく。


 気分をアゲ直すためにも、空腹はなんとかせねば。お金を節約するためにも、安くてそれでいて腹が膨れるものを食べたい。


「コンビニで、ちょっと買い物しよう」


 旭川の大地に二本の脚で立った俺は、両手の拳を力強く握りしめて、力強く宣言した。それは、北海道の高校が甲子園で優勝した時にマウンドに立っていたエースピッチャーが仁王立ちして雄叫びを挙げたシーンのようだった。


「何を買うの?」


「安くて、それでいて腹にたまりそうな食べ物。ビタミンカステラだな」


 北海道内のどこのセイコーマートに行っても売っているはず。ある意味定番商品だ。


「そう。じゃあ、さっさと買いにいきましょう」


 言ってクロハは、目の前の店に入ろうとした。


「待った待った。そっちじゃない。道路を渡って向かい側のセイコーマートに行こう」


「はあ? セイコーマートなんだし、どっちに行っても同じでしょ? ビタミンカステラくらいだったら、どこの店でも置いてあるだろうし、こっちのお店でいいじゃない? なんでわざわざ遠回りするの? マゾなの? それともここでも足腰の鍛錬を気取るつもりなの?」


 なんだよ。クロハは気取りのファッションで足腰の鍛錬として歩くのか?


「俺は監督だから鍛錬は必要無いってさっきから言っているだろ。遠回りしてでも向こうの店舗に行く理由がちゃんとあるんだよ」


 俺のアパートがあるはずの座標には、見覚えの無いコンビニがあった。だが、道路を挟んだ向かいのコンビニは、同じチェーン店であっても、見覚えのある馴染みの店だ。家の近くのコンビニであるからには、しょっちゅう利用していた。店員も、知り合いというわけではないが、顔くらいは覚えている。だから、見覚えのある店員に会えるのではないかというワンチャンスに賭けたいのだ。


 そのことを、俺はクロハに説明した。


 クロハには黙っていたが、理由はもう一つある。自分のアパートのあったはずの場所のコンビニで買い物をすると、自分のアパートがもう存在しないことを認めてしまうようで、イヤだったのだ。ガキっぽいこだわりだから人には言えないが、俺にとっての意地であり矜持だった。


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