【猫目組物語 第一章】

チャイムの音に紛れて、人の声が聞こえてくる。人、人、人。同じ制服を着た女子だけの空間。閉鎖的で、逃げ道のない世界。この場所がたまらなく嫌いだ。息が詰まる。逃げたくなって窓を見つめても、そこには灰色の空があるだけだ。

「なんか喋れよ」

怒声が聞こえてきた。それからゲラゲラと笑う声。汚い、笑い声。

その中心にいるのはいつも同じだった。床で丸まっている子のスカートから覗く足は、白く細い。そしてまた腕の中には汚れて黒くなった、元は白いキャスケットがあった。

初めの原因はそれだった。猫耳のついたキャスケットは子供っぽくて、持っているだけでもからかわれると分かるのに、彼女は何故か頑なにそれを被ってきた。取られても捨てられても拾ってきて、手元に持っていた。そんな強い拘りは、ただ彼女達の行動を酷くするだけだった。

どうしてあそこまで大事にするんだろと、小さく呟いた妹に顔を向ける。

私たちもなかなかクラスから浮いているけど、あの子がいるから目をつけられることはなかった。私たちは二人で孤立していた。

聞いてみよっかと、いたずらっ子のように妹は笑った。私は返事を返さず、ただあの子の方を見つめていた。そういえばここ数日ずっと彼女を見ている気がする。


廊下に出てきた彼女を尾行して、学校の外で声をかけた。

「……っ」

驚いたように振り向くと、すぐに顔を戻した。言葉を発さずに、こちらが何か言うのを待っている。

「ちょっとお話ししようよ」

こういうとき妹が積極的に動いてくれるからありがたい。

「……いいよ」

久しぶりに聞いた声はほとんど聞こえなかった。でも顔つきははっきりとしていて、不思議な子だと改めて感じた。

二人で過ごす秘密の場所に、人を招待するのは初めてだった。何も言っていないけど、私達は同じ気持ちだったのだろう。彼女が来ることに抵抗はなかった。

「時間はある?」

「遅くなっても平気?」

ほぼ同時に呟いたその言葉は、少しニュアンスが違っていた。よく双子は同じ言葉を同じタイミングで言う場面があるけど、あんなのはほとんど存在しない。因みに時間を聞いたのが私。

「……平気、だけど」

二人でずいと聞いてしまったから、多少戸惑っているみたいだ。

「私たちのこと知ってる?」

妹が聞いた。彼女はこくんと頷く。

「双子の……」

「顔は似てるけど、今はあんまり似てるように見えないよね」

そんなことどうでもいいでしょと睨んだけど、妹の口は止まらない。

「でもね、結構便利なの。あたしが黒く伸ばしたら怜みたくなれるって分かるでしょ? 反対に怜が茶髪にしたらあたしみたいになるの。って思ったけど実際やってみるとねぇ、なんかオーラつーかキャラが違うんだよね。同じ顔のはずなのに服が似合わないとかあるから、全然参考になんないー」

「……大丈夫?」

遮るように声をかけた。何に対しての問いなのかと一瞬考えたのか、彼女は少し遅れてから頷いた。

「大丈夫じゃないよっ! ごめんね……あんなに蹴られたりして痛いと思うんだけど……その、あたしはいいけど怜に被害が来たらさ。力弱いから反撃できないと思うし……それが怖くてさ。でも……っ」

「こんなのは間違ってる」

「……ありがとう気にしてくれて。だけど本当に大丈夫。あなたも言ったように、他の人に害がいくよりマシだから」

二人で顔を見合わせた。やっぱり放っておくべきではないと率直に思った。

「あのキャスケットは何?」

二人でハモった。私は多少なりとも驚いているのに、あちらが気にした様子はなかった。

「あれは、マーク」

マーク? と妹が聞き返す。これも一緒に言いそうになったが、聞くだろうと思って黙った。

「猫目組のマーク。組織っていうか、活動しているグループのモチーフみたいなもの」

「他にもメンバーがいるの?」

これには数秒口を閉ざしてから、静かに顔を振った。

「まだ私しかいないけどいずれ……革命を起こす軍になる」

妹の方を向くと、あちらもさぁ? という表情を返してきた。よく分からないけど面白い。その、ちょっとっていうかだいぶ中二的だけど……。

でも彼女の言葉から聞く革命という言葉は、なんだか美しかった。フランス革命とかのイメージが強いからかもしれない。騎士の鎧に身を包み、薔薇を散らして馬にまたがる姿をなんとなく思い描いてしまった。

「どういう活動をするの?」

「まずは人の選別。その残ったものと共に国を作る。一から始める地下帝国。その為の活動」

「……すごい、ね」

さすがに妹も面食らったようだ。その隣で私は少しわくわくしていた。帝国なんて言葉の響きがカッコよかったからかもしれない。

「私もやりたい。それ」

久々に妹よりも前に出て、後先考えずに発言していた。

二人がこちらを見つめてくる。

「怜が言うなんて珍しい……」

「上手くいくか分からないよ」

途端に弱気の発言になってしまった。それに反論するように詰め寄る。

「いい。それでもずっとこの世界に生きなきゃいけないって、そんな現実を過ごすよりマシ」

「……怜」

「入れて。私達も」

強く見つめると視線がだんだん下にいってしまった。待っていると地面に彷徨わせた目を上げて、今度ははっきりとこちらを見た。

「じゃあこれから詳しく説明する。その前に、この事を誰にも言わないって誓いをして欲しい。この計画は信頼が全てだから」

小指にカッターを当てるとピリッとした痛みが走った。それを彼女が出したノートの一番後ろのページに押す。三人分の血判が載せられたページを大事そうに眺めた後、一番初めのページを開いた。

帝国の理想図だろうか、地図のようなものが書いてあった。ほとんどが四角や丸で、その絵が要らないのではと思うほど文字で説明が書かれている。

それを飛ばして、文字だけのページを開いた。

「こんな感じで進んでいくと思う。ここからは起こりうる事態を予想したもの」

彼女の理想や危惧した出来事は、何かの物語を聞いているようで面白かった。きっとこんなこと私たちだけじゃできない。でもこの三人で誰にも内緒の日々が過ごせるだけでも、退屈から抜け出せるだけでも、満足だ。

秘密、いずれ人類を脅かす存在になるのではという野望。叶えられなくても、夢物語の主人公になれるかもしれないと、体の内側から熱くなった。


教室の隅でこそこそ話す三人組。不気味、気持ち悪い、その言葉を何度も聞いた。私は頭の中で処刑する。有罪有罪、どいつもこいつもみんな有罪。

そんな中で目の前を見ると、真っ白な無罪の二人がいた。妹は別に真っ白って訳ではないけれど、彼女の効果が大きい。私たちにはとても優しい彼女が真逆の事を……いや延長なのか、理想を叶えるその為には、戦いが避けられないのかもしれない。優しい世界を作るのに矛盾している気がしたけれど、こんな人間達の為に優しくする必要なんてない。また処刑。

無罪の彼女、神の少女。そんな人の隣にいれることは幸せだった。その幸せに霞んで、ちっぽけな不幸はどうでもよくなった。

三人で過ごすようになると、彼女にちょっかいを出す人はいなくなった。何故だろうと思ったけど、こちらに干渉しないなら気にすることでもない。

教室内で仮初めの話を出すことはしなかった。なぜ仮初めなのか聞いたら、幸福は一時だと答えた。その一時はずっと続く一時で、国にいる間は幸せなんだと。

仮初めで調べてみたらあまり良い意味では使われてなかったけど、私たちは彼女に従うだけだ。


――昔を思い出すのはそれぐらいにしておけ。

私の頭の中を読んだみたいなタイミングで、リーダーが言った。鞭の手入れ中の彼女に振り返り謝罪する。

「怒っている訳ではない。けれど、なるべく現世での事は忘れた方が良い。我らの住むべき場所ではないのだからな」

はいと返事をして旗の製作に戻った。リーダーはこう言うけれど、現実世界のリーダーは今と違ってまた素敵な一面がある。私の人生を変えたあの日を、忘れることはできないだろう。

昼間は地味な女学生が夜になったらここまで豹変するなんて、なんだかヒーロー物の主人公みたいでとてもカッコいい。

赤や紫のセロハンを貼った照明のせいで多少視力が下がった。休みの日は昼間から活動することもあるけど、やはり夜の時間は特別だ。

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