主従旅団
鈴木3号
森の妖精
ふたりの旅人がいた。
ひとりはアメジスト色の髪をもつ、いつも不敵な笑みを浮かべて憚らない青年だった。鋭いようにも眠そうにも見える目つきをしている。たいてい、コートのポケットに手を突っ込んで歩く。
もうひとりはルナール糸に似た柔らかい金髪の、あどけない顔立ちをした少女だった。物腰は穏やかで折り目正しく、身にまとうのはメイドのようなエプロンドレス。いつも、眉尻をさげて笑う。
青年の名を風見煉斗、少女をアイリス・レオンハートといった。ふたりは国から国へ、魔法と冒険に彩られた気ままな旅をしていた。
あてどない旅を。
1
「まさか本当にあったとはなあ……。あの、《エルフの森》が」
緑の光に気をつけろ。妖精族の縄張りだ──。
旅人のあいだで語られる眉唾モノの噂がただの与太話ではないということを、白衣の青年──煉斗は身をもって実感した。となりのメイド──アイリスも、もの珍しそうにあたりをきょろきょろ見回している。
蛍にも似た光が、一面の森にふわふわと漂っていた。それは、エルフやそのほかの妖精族の住みかである証なのだ。しかしそれは奇妙なことでもあった。
なぜなら、つい先ほどまで、ふたりは人間界の、岩山の、ふかい谷底をあるいていたからだ。そのとき突如として、目の前にうっそうとした森があらわれたのだ。そのおかしな光景を目にして、煉斗はつぶやいた。
「……地続きじゃなさそうだな。おもしろそうじゃないか」
「行ってみますか?」
「ああ、そうしよう。ドラゴンがでるかグリフォンがでるか……」
こうして、煉斗とアイリスは未開の土地に足を踏み入れることになった。
「姫巫女草にドラゴンフラワー。 空想のものとされてきた植物ばかりです」
おとぎ話でしか聞かない名前ばかりだ。
「さすがエルブズ・フォレストってところか」
「ほんとうに別世界のようです……」
ただ、あたりに小動物の一匹くらいはいてもよさそうなものだが……近くに見あたらない。驚いてにげてしまったのだろうか。
「とりあえず、ここが違う世界の森ってことは違いなさそうだ」
「引き返しますか?」
妖精族は他の種族をあまり好かないと聞く。引き返すのもひとつの手だ。だが──。
「会ってみたいよなあ……エルフ……」
煉斗は旅人である。旅人というのはおおよそ、未知のものに対する恐怖よりも、好奇心のほうが勝るいきものである。それはアイリスのほうも同じだった。童話のなかでしかであえないはずの《エルフ》に、一目会いたくないといえば嘘になる。というか──。
「もう帰り道もわかりませんし、もどるも進むも同じことでしょう。もとの場所にたどりつけたらよし。もし彼らのテリトリーに踏み込んでしまったら……」
「そのときはそのときだ。なんとかなるさ。さて。じゃあ、どちらに進もうか?」
アイリスは360度、あたりを見わたした。緑色の光の玉がいまも浮かんでいる。ゆるやかに勾配をもつ地面と、そこに根を下ろして立つ木々。枝葉のすき間から入る木漏れ日が、金色の光の柱となってそこかしこに降りそそいでいる。
生命力に溢れた、うつくしい森だ。ただ、なにかの目印になりそうなものは当然ながら見あたらない。
「うーん、どっちに行っても変わらなそうですね。では……」
「オーケー」
そう言ってふたりはアイリスの指さした方向に歩き出そうとした。
そのとき。
「それ以上行くのはやめといたほうがいいわよ。ヴァルハラ行きになりたくなかったらね」
だれかの声が響いた。
(敵か?)
声は横でもうしろでもなく、進行方向──つまり前から聞こえてきていた。しかしその姿は見えない。木の陰に隠れているのだろう。お近付きになりたいなら、姿を現わさずに話しかけるわけはない。警戒している。
(まあ、それもそのはず……)
相手は十中八九、エルフだ。彼らにしてみれば、〝野蛮なヒューマンどもが縄張りに侵入してきた〟と思っていることだろう。はやくも「もし彼らのテリトリーに踏み込んでしまったら……」が実現してしまったわけだ。
「そりゃぞっとしないな。この先に化け物でもいるのか?」
謎の声の主はふっ、と笑ったあと、
「あんたのすぐそばにね‼︎」
勢いよく飛び出してきた!
「おいおい血の気の多いことだな!」
煉斗はアイリスをかばうように前にたち、身構える。飛び出した人影は、まっすぐこちらに突っ込んできた。速い。短剣をにぎって疾駆するさまは、さながら暗殺者だ。
すかさず、煉斗はみずからの左腰に手をやった。そこには、ロングコートに隠れて普段は見えない《さや》がある。そこから突き出た柄をしっかと握り、音高く抜き放つ。
その長剣を目にして、相手もはっと息をのんだようだった。ダガーとロングソード。彼我の間合いの差は一目瞭然、普通ならひるんで足を止めてもおかしくない。
「──ッ!」
しかし、エルフの戦士の勢いが止まることはなかった。彼女は知っているのだ。ここで恐怖に立ち止まってしまえば、おのれの間合いの外から、一方的に打ち込まれるだけだということを。リーチの長い得物は、概して取り回しに劣る。敵の懐にもぐり込んでこそ、短剣の力を存分に活かせるのだ。
煉斗もそれをわかっているがゆえに、そうはさせじと長剣を左下に構え、ひと息に右上へ斬り上げる。相手はそれを身をかがめてかわすと、がら空きの煉斗の胴体へ、刺突一閃。心臓を突き刺す。
──ことはなかった。
「きゃあっ⁉︎」
煉斗の、斬撃の威力そのまま、流れるように繰り出された蹴りが、少女の身体を直撃した。今まで突進してきたのとは真逆の方向に、もんどり打って転がっていく。
煉斗はここで容赦をしなかった。木にぶつかって止まった彼女のもとに一瞬でたどり着くと、その首もとに生殺与奪の剣を突きつけた。
「こっ、殺すなら殺しなさいよ!」
キックがみぞおちに入って一瞬息が止まったのだろう、なみだを目尻に浮かべながらこちらを睨みつけるエルフは、予想以上に幼かった。人間でいうところの、十四、五歳ほど。可憐なりし乙女である。
煉斗は、未だに敵意を向けてくる、少女の気丈な姿に、ぴゅうと口笛を吹いた。
「泣いて命乞いをしたって、だれも責めないだろうぜ」
「そんなみじめな行いをするくらいなら、死んだほうがましよ! それともなに、なぐさみものをお望みかしら⁉︎」
自分から服をぬぎだそうとする少女に、煉斗のほうがあわてて止めた。
「頼むから落ち着いてくれよ。俺たちは別にあんたをどうにかしようとは考えちゃいないよ」
「うそよ! ヒューマンなんてのは野蛮で、卑劣で……」
「どうしたもんかな……」
なかなか警戒をといてもらえない。エルフの他種族嫌いはよっぽどのものがあるようだ。
そのときだった。
「煉斗! なにか来ます!」
アイリスの警告が響いた。
「どっちだ?」
アイリスが指したのは、さきほど煉斗たちが進み出そうとしていた方向だった。煉斗自身は今はなにも感じてはいないが、アイリスの感覚は鋭敏で、いつもすばやく危険を知らせてくれる。彼女がそういうのだから、間違いないだろう。
すこしして、煉斗にもそれがわかってきた。ブーツの底から、わずかな振動が伝わってくる。そしてそれは、次第に大きくなっていく。こちらに近づいているのだ。
「ひとつ確かなのは、そいつは俺たちとは仲良くなりたそうじゃないってことだ」
足音も殺さずに猛烈な勢いでこちらを目指していることからして、話し合いの余地はなさそうだ。
「……あんたの知り合いか?」
「だったら一緒に襲ってるわよ」
「違いない。あんた、まだ戦えるか?」
「ばかにしないで! このぐらいの傷──ぐ、ごほっ、ごほっ」
骨を折った感触はしなかったと思う……が、ダメージが抜けきってはいないようだ。
「アイリスと一緒に下がっててくれよ。あんたに死なれちゃ困る」
「えっ?」
卑劣なはずの《ヒューマン》が、なんとも意外な言葉を吐いたものだ。
「あの、立てますか?」
手を差しのべてくる《アイリス》。思えばこの少女も、想像していた《ヒューマン》とは大違いだ。もっと大きくて、きたないものだと思っていたが……。
「え、ええ……」
(人間って、なんなのかしら。ほんとうは、エルフが考えているよりずっと……ううん、きっと、優しくして、あたしを騙そうとしてるんだわ。見た目だって、幻術かなにかを使ってるに違いない。気をしっかり持つのよ、あたし!)
アイリスに手を引かれ、煉斗のいるところから少し離れる。
「ここまで来れば大丈夫だと思います。でも、流れ弾が飛んでくるかもしれないので、気をつけてくださいね」
「あ、うん……」
「それと、煉斗にやられた傷ですが、先ほどの様子からすると、骨よりも、心配なのは内臓のほうです。大事ないとは思いますが、一応……【カイズィ・エール】」
謎の言葉をつぶやいたアイリスの両手が、ライトグリーンに輝きだした。怪しい術かと身構えたが、身体が軽くなっていくのを感じる。治療されているの
(あたしは、あんたたちの命を狙っていたのに……)
エルフとて、そんな相手にあれこれ世話を焼いたりはしない。
(もう、《ヒューマン》ってなんかヘン!)
少女の《人間観》ともいうべきものは揺らぎはじめていた。
「お出ましだぞ!」
煉斗の声が辛うじて聞こえる。それほどに、大地を揺るがす振動は大きくなっっていた。それに、バキバキと木々をなぎ倒す雷鳴じみた轟音がからだの芯とでもいうべき場所を底から打ちつけ、否応なしに恐怖を呼び起こす。
「ブゴオオオオォォォ‼︎」
管楽器を思わせる重低音とともに現れたのは、高さ100フィートはあろうかという巨大なトロールだった。
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