第10話 友との再会(※一方的です)
甥との別れを済ませ、皇宮の門をくぐったクローヴィス。牛は早々に東の塔近くの厨房に預けることにした。しばらく自由に乳しぼりをしてもよいと言えば、彼らは喜んだ。
ハッセル出身にはあまり考え難いことだが、ガー皇国首都には新鮮な牛乳はあまり出回らないとのこと。乳牛自体が少ないのだ。
この調子ならば、ハッセルから特産のハチミツを持ってきたらさぞやもてはやされることだろうと考えるクローヴィス。実行するにしても先になるだろうが。
「どうだろう? これは規則違反だろうか?」
「いえ、我々で消費する分には一向に構わないでしょう!」
厨房の男は腕まくりをしていた。やる気十分なのは結構なことである。だからクローヴィスも言っておいた。
「メアリーを食べるなよ」
「メ、メアリーちゃん……」
彼の顔は引きつっていた。何かおかしなことを言っただろうか?
それからクローヴィスは塔のリュドミラの顔を見に戻ったのち、すぐさま塔を下りた。
リュドミラはぺたんと床に座り込みながら上目遣いをしつつも何も言わなかった。傍に侍女のキャロラインがいたためである。
口を利けないことになっているため、皇女が他人と意思疎通をはかる際は身振り手振りか蝋板を用いるほかない。だが、身振り手振りでは細かなニュアンスは伝わらないし、蝋板はリュドミラの手にはなかった。蝋板に金属の針を傷つけることで文字を書け、蝋を溶かせば何度も使える。
だからキャロラインに「蝋板はないのか」を尋ねたところ、「ございません」とにべもない返答だ。
なるほど、とようやくクローヴィスは理解することとなった。
キャロラインがリュドミラの監視役と言いながらもクローヴィスとの場にいる必要はないのだ。塔の外に出ない彼女の言葉は、蝋板一つ取り上げるだけで簡単に封じられるのだから。
しかし、今、それを糾弾することは過ちだろう。キャロラインを責めたところで、その背後にいるであろう大蔵卿ザーリーが意向を変えるとは思えない。何より、リュドミラがそのことを望んでいないのだ。
自分の思い通りに物事を動かしたいのなら時期を選ぶことと、忍耐を必要とすることぐらい、彼にもわかっている。
キャロラインたちが今すぐ皇女を害しはしないと踏み、クローヴィスは東の塔から離れた。
皇宮警備隊の本部に行くためだ。
皇宮警備隊の屯所を探そうとしたクローヴィスだが、新参者には皇宮の地理などわかるはずもない。
はたと立ち止まったクローヴィス。困ったなあ、と独り言を漏らす。
適当に彷徨うこと、しばし。
重い書物を抱えた男が、目の前を横切る。
男はクローヴィスに気付き、げ、と嫌そうな顔をした。
ひょろひょろでがりがり、眼鏡をかけたその男は、クローヴィスのお姫様抱っこの経験者だ。
「やあ、グスタフ。荷物を持とう。あと俺に場所を教えてくれ」
「なぜこんなところにいるんですか、騎士殿! ここは大蔵省のド真ん前ですよ!」
そういわれて、辺りを見回すと、確かに石造りの恐ろしく立派な建物が鎮座していた。クローヴィスのような騎士服を纏った者はどこにもいない。
官吏らしき人々は遠目でクローヴィスの様子を窺っている。
「そりゃあ素敵だな」
お姫様からの任務(ミッション)その一、「大蔵卿ザーリーの情報を手に入れてこい」の達成のチャンスだと思ったから発言したのに、グスタフは挙動不審になりながら別の建物の陰にクローヴィスを引っ張り込んだ。
「騎士殿、相当目立っていましたよ」
「騎士殿とは他人行儀だな、クローヴィスでいいぞ」
「あなた、わたくしを殺したいんですか?」
「は? なぜ?」
グスタフとは一方的に友人になった間柄なので、何もおかしな提案をしていないはずなのに、グスタフは息を潜めたままこう告げる。
「第三皇女の宝玉騎士の件は皇宮でも知れ渡っているんですよ。どんな人物か、って。いずれ、それがあなただと知れ渡る日は来ます。今から目立ってどうするんですか!」
「それではだめなのか」
「他の殿下方ならともかく、第三皇女ですよ! わけが違います。よくも悪くも皇室の中では異質な方ですし、疎んでいる方も大勢いらっしゃいます。特に第一皇女などは何かと目の敵にしているのですよ。第一皇女の母は現皇后で、わたくしたちの上司の大蔵卿ザーリー閣下の妹です。いろいろとまずいんですよ!」
「ザーリーはそんなに狭量な男なのか?」
「とてもではありませんが、わたくしの口からは申せませんよ! 死にたくありませんからね! では失礼!」
パタパタパタ、と戻っていこうとするグスタフ。すぐまた引き返してきた。
「……ザーリー閣下の噂はたくさん耳に入りますが、たいがい根も葉もない噂も多いです。あの方はわざと多くの情報を流し、偽の情報を掴まされた政敵を追い落とす策を好んでおいでです。とはいえ、虎の口に手を入れなければ、真実の情報もまた手に入れられないことでしょう。わたくしが睨むに、閣下の最近の金回りの噂は事実でしょう。あの方は熱心にミチカドルから花の種を大量に輸入し、大儲けされている……」
ミチカドルとは、南にある皇国の属国。のどかなハッセルとは違い、港を擁し、交易の盛んな国だ。
「花の種?」
「ええ、青いチューリップの種です。貴族たちの間でもたいそう流行している花ですよ」
「へえ……」
「ではそういうことで」
男は立ち去ろうとした。
「待った」
首根っこを掴まれた形になったグスタフは恨めしそうな目をした。
「わたくし、限界までしゃべりましたよね。ね!」
「まあまあ。ついでに皇宮警備隊までの道を吐いてくれ」
「吐く!?」
見た目がいかつくとも、彼は迷子の子猫ちゃんであった。
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