第6話 塔の上と熱々シチュー
日が落ちてきた。まもなく夜がやってくる。
塔の上の皇女リュドミラは杖を頼りに半月型に切られた窓から下を覗き込む。
そろそろ芝生の青も色濃くなってきた。
一つの人影もやってこない。リュドミラは静かな落胆を噛みしめていた。
すぐ戻るといっていた彼が帰ってこない。
「……嘘つきは慣れているわ」
ひとりごちた少女は、窓の下の壁にもたれるように座り込む。白い杖は煩わしげに本の山へ放り出した。
「母様……どうしよう」
琥珀色の瞳がゆっくりと、あるところに向こうとした。
その時、背後でこつん、と小石の当たる音がした。なんだろうと後ろを向くと、またこつん、と。
リュドミラは窓枠を見た。するとそこに小石が二つ乗っている。
そして闇の迫った塔の下に、ひときわ黒い影がいることに気付いた。リュドミラに大きく両手を振り、そのまま塔の中に入ってくる。
トントントン、と軽快な足音が最上階に響いたのはまもなく。
「お待たせ」
クローヴィスは背中に大荷物を抱えていた。
「この塔だが、屋上に行く階段があるんだな」
「そ、そうだけど……」
「わかった」
彼はまた扉の向こうに消えた。足音が上へ行く。
すぐに戻ってくると、今度はリュドミラの体を抱えた。
「よいしょ、と」
皇女に拒否権はなかった。彼女はバランスを崩さないように首筋にしがみついた。
たまに皇帝の命で塔の下に連れていかれることがあるので、彼女もこういった事態に慣れている。ただし、知り合って二日目の宝玉騎士にされるとは思っていなかったけれど。
上に遮るものがない屋上は風が強く吹き付ける。彼はどうしてこんなところに連れてきたのだろう。
リュドミラは彼の用意してきた毛布にくるまりながらその行動を眺める。
彼が持ってきたものは、鍋などの調理器具に、肉や野菜といった食材類、銀製の器やスプーンといった食器類だった。
どうやら、彼は料理を作るらしい。
「どうしてこんなところで料理をするの?」
「うまい具合に火をつけられそうなところがあったからな」
彼は屋上の中央でくぼんだ箇所を指さした。おそらく元は兵たちがここでわずかな暖を取るための場所だったのだろう。
「調理過程を見た方が安心できるだろ?」
「それはそうだけど。でも、もしもクロの持ってきた食材の方に毒が入っていたらどうするの?」
「それはない」
食材を切っていた彼は手元から小さな紙の束を出し、皇女に押し付けた。
「俺が買った食材の店の名前と店主の名前、それと生産者まで聞きこんできた。これは、俺が適当に皇宮の外で買い込んだものだ。偶然のものに必然的に毒を仕込むことはできないだろう? 俺の顔だって早々にこの国の人々に知られてはいないさ。毒に反応しやすい銀の食器を用意するのは当然として、あとは俺が皇女殿下の前で毒見をすればいい。それで問題解決。皇女殿下はお腹いっぱい食べられる」
「わたしのために、そんなことをしていたの……?」
彼の準備しているものを見るだけで、どれだけの手間がかかったか、容易に想像できるのだ。
リュドミラは、父以外の男性でここまでよくしてもらったことがなかった。
「俺の雇い主サマだろう?」
それだけで十分だとばかりに彼は告げて調理に戻る。
具材の入った鍋を火にかけるべく、胸ポケットから小さな火炎石を取り出した。見た目は色ガラスの塊だが、純度が高いほどに質がよい。両手で包んでもみこみ、ふっ、ふっ、とその中に息を吹き込む。
発熱を感じる頃合いで火炎石は急ごしらえの竈(かまど)に投げ込まれた。火炎石の火が薪に燃え移り、塔の上の焚き火が完成する。
鍋を焚火の上で固定すればあとは火の頃合いを見ながら調整するだけらしい。
というのも、リュドミラは他人が調理をするところを見たことがないので、その様子を見ながら推測するほかないのだが。
煮立ったところで、彼はできたシチューを器によそい、リュドミラへ突き出した。そして自分は直接鍋からすくうと、彼女にもわかるように口をつける。
「よし。旨い」
それを見た彼女もスプーンでゆっくりとシチューをすくい、口に入れてみる。すぐに目を見張る。
「……あたたかいわね」
「そりゃそうだろ。シチューは熱々を食べるもんだろ」
「ん、いや、そうでなくて……おいしい」
リュドミラは、堅く引き結んだ唇がほぐれてしまうぐらいに感動した。彼女の知る料理は毒見を経て、常に冷え切っているものだったからだ。
「簡単なものだけどな。よろこんでもらえたようで何よりだ」
「あなた、料理人なの?」
「たいていのことはできるように仕込まれただけだ。このヤギ肉の入ったシチューは、うちの国の家庭料理だ。動物の乳をたくさん使うから、なかなかここでは手に入りにくかったがな、ちょっと甥に手伝わせて入手してみた」
一杯目をぺろりと平らげてしまったリュドミラは、少し恥ずかしく思いながらも、お代わりを所望した。
二杯目、三杯目……。
男も結構な量を食べていたが、リュドミラも負けじとよく食べた。結局、二人で鍋一杯分を消費してしまった。
最後の一杯を飲み干した時、元傭兵で王子だという目の前の男は少しだけ嬉しそうに目を細めていた。
「ほんとうに旨そうに食べるんだなあ」
リュドミラの心臓が大きく跳ね上がる。しかし表向きの彼女は冷静沈着そのものの顔をして、「そんなことないわ」とそっけなく言ったけれど。どうしてだか、とてもうれしいと思った。
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